田んぼを持つということ

秋に大雨で崩れた田の修復が今日始まりました。
準備が遅れていた王国田んぼですが、
これからは天気に合わせて準備が進んでゆくことでしょう。

4メートルの丸太を運ぶのは重かったです。
へろへろになってしまって、
石田さんと小原さんに笑われてしまいました(泣)。
体力だ〜。

崩れているのは合計7箇所です。
そのうち4箇所を直しました。
思ったのは、田を持つとは大変な責任である、
ということです。

稲作に関しては、戦後機械化が進み、
今やほとんどの作業が機械でやれます。
一見するとこれはすばらしいことのように思えますが、
稲作に関する機械を一通りそろえようと思うと、
少なくとも1500万円は必要です。

ところが、昨年の米の一俵(60キログラム)あたりの
買い上げ金額は1万2千円です。
反収10俵としても、わずか12万円にしかなりません。

私が単なる消費者であった頃は、
米が高いと思っていました」が、
これだけの機械を使い、石油燃料を消費しても
農家に入る利益というものは本当に微々たる物であることを
考えると、もう少し高くてもいいのかな、
という気がします。

今日やった作業にしても、直接生産にはつながらない
(これをやらなければ生産もできないものですが)作業です。

こういった無形の作業をどのように
金銭に換算しようというのでしょうか?
本来、農業で儲けよう、というのは
難しい話であり、
農業に経済原理を導入することは
農家により大きな負担をかけることになります。

それでも稲を作るのは、
根本的には稲作が好きで、
先祖代々の土地を守ろう、という意識があるからかな?
と考えています。

田舎への新規参入にはとても敷居が高いですが、
ここに居場所を見つけたいです。
自分で自分の居場所を作るのだ。

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