自分の感受性くらい

詩人の茨木のり子さんがなくなりました。
自分の感受性くらい
この中に、『自分の感受性くらい』という詩があります。

自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ

この詩は、私の軟弱な精神に鋭い一突きをくらわせました。
事あるたびに、これを思い出します。

自分の感受性くらい 自分で守れ
突き放したようなこの言葉が、深い腹の底に
沈んでいます。

情報は次から次へとやってきますが、
大切な言葉を持っておくことは自分の指針にもなり、
ありがたいものです。

実は、茨木のり子さんの詩を歌にして歌っている歌手がいます。

わたしが一番きれいだったとき

わたしが一番きれいだったとき

このアルバムは、いろんな人の歌をカバーしているのですが、
茨木のり子さんの詩は、『自分の感受性くらい』と、
『わたしが一番きれいだったとき』の二つが楽曲化されています。

沢知恵さんの歌を初めて聴いたのは、2002年のことでした。
ライブが始まって、10分ほどで涙があふれて止まりませんでした。
歌の力をすごく感じました。
心から聞こえて来る音があると知りました。
それからはライブに行く機会がないのですが、CDは出るたびに聴いています。

今回の「わたしが一番きれいだったとき」は、一番新しい、
全曲ライブ録音のアルバムです。
やさしい歌声で、ほっとしたいとき、自分を見つめなおしたいときには
とてもいい音楽だと思っています。

ちなみに、彼女は詩人の金 素雲(キム ソウン)の
お孫さんです。
金 素雲の著作は、岩波文庫で手に入ります。
代表的な著作は、朝鮮詩集 (岩波文庫)ですかね。

朝鮮統治時代に日本に渡り、朝鮮の詩人たちの詩を
和訳して発表した方です。
この本には島崎藤村が序文を寄せています。

今日久々に読んでいて、感じた詩を以下に掲載しておきます。

金 素月 (キム ソゥオル)という人の詩です。

ついぞ昔は

春秋ならず夜毎の月を
ついぞ昔は知らなんだ。

かうもせつないためいきを
ついぞ昔は知らなんだ。

月は仰いでみるものと
ついぞ昔は知らなんだ。

いまにかなしいあの月を
ついぞ昔は知らなんだ。

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