安産の定義はない

私、行ってきました、母親学級に。
立会い出産を希望しているので、
あらかじめ母親学級に出席しなければならないのです。
会場の正面には「両親学級」と書いてあり、
なんだか変な感じでした。
出席者は15,6名ほどでしたが、そのうち私を含めて5組が
夫同伴でした。
夫が同伴するのって最近多いのですね〜。
(ってお前も同伴しとるがな)

冒頭で、助産婦さんが言いました。

「安産に定義はない」
「出産に対する正しい知識を持ち、
“不安”“恐怖”をなくす」
「前向きな姿勢で出産にのぞむ」
「出産、育児計画を立てる」
「あわてず落ち着いて行動する」

この言葉、なんにでも応用できますよね。

「良き人生に定義はない」
「物事に対する知識を持ち“不安”“恐怖”をなくす」
「前向きな姿勢でのぞむ」
「人生計画を立てる」
「あわてず落ち着いて行動する」

何に対しても、ことに臨んだときの姿勢というのは
変わらないんだな、と思いました。
思わぬ勉強になりました。

さらに、いろんな話を聞いていて思ったのは、
結局は、「身体に聴け!」なのだ、ということです。

陣痛が来る、
自分のリラックスできる体勢をとる、
生みやすい姿勢で出産する。

これ、言葉で言われても何のことやらわかりませんが、
女性は身体で経験できます。
妻の通っている病院は全国にその名をとどろかす
亀○総合病院なのですが、有名どころだけあって
システマチックにお産を進めるんだろうと考えていました。

ところが、その期待はいい意味で裏切られました。
立会い出産、分娩姿勢、母子同室、母乳育児の可否などは、
原則として妊婦の自由で、様子を見ながら対応していく、というのです。
お金もその分しっかり取られるのですが、
希望してもできなかった時代に比べて選択の自由が増えました。

これから要求されるのは、私たちのしっかりした姿勢です。
病院側がこれだけ選択の自由を与えるということは
それだけ個人にかかる思考負担、
責任負担が重くなるということですが、
私にとってはすばらしい状況ですし、妻にとっても
楽しいようなので、問題はありません。

私は出産できるわけではないのですが、
妻のそばにいてやり、
妻が身体の声を聴くことの手助けを
してやらねばならんな、と思ったのでした。

午前中は家畑に夢中でした。
種まきはほぼ終了。
ミントの移植も終了。
農協に注文していた柿、柚子、月桂樹、ブルーベリーそして梅が
届いたので、来週も忙しくなりそうです。

画像:王国自然畑から移植したミント

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