Kaiさんが、コメントを寄せてくれたので、
少し「ざ・こもんず」(12月1日の記事)
から引用したい。
「人間は基本的に人との共同や、
自然・労働・身体の調和を求める生き物である」
この言葉に、賛同した。
実は今日、新聞記者さんが取材に来てくれたのだけど、
そのとき、「たくさんの若者たちが農村に入ってきて
いますが、それについて、なぜそうなのだと思いますか?」
と聞かれた。
私が答えたのは、「それは、生活に現場感を
取り戻すためだと思います」というものだった。
これは私の実感なのだが、甲斐さんのこの言葉自体が
もっと適切な表現なのだと思う。
私がここで暮らしてなぜ精神的な充足を
得ているかというと、
ここには私の存在感が、現実として存在しているからだ。
確かに都会でも、自分の存在感はある。
しかし、具体的に足跡が見える仕事は
そう簡単にはないように思う。
さらに、農村で暮らすこと自体が、何百年も
続いてきた共同体の中で暮らすということであり、
それは大きな流れの中に包まれていることの
実態でもあるのだ。
「つながっていたい」と欲望せずとも、
そこらじゅうの人とつながらずにはいられない(笑)。
それがいつか苦痛になるのかもしれないが、
今は興味と楽しみ、喜びのほうが勝っている。
文献でしか読んでこなかった村の実態、
ある思想によって作られた共同体ではない
「生活を営むための共同体」で暮らす実感が
私に大きな精神的充足をもたらすのだろう。
そして、農村で暮らすことが簡単ではない人たちが
行き来できる場所が自然王国であり、
私が取り組んでゆきたい業なのだ。