「半商品」という考え方

今回の増刊現代農業のタイトルは
「農的共生社会−自治と自給で「格差」を超える」である。
http://www.ruralnet.or.jp/zoukan/200705kyosei_m.htm

その中に、内山節さんの本に出てくる「半商品」という
言葉がある。
半商品とは、商品として流通はしているが、
それを作る過程や生産者と消費者との関係には、
経済合理主義が必ずしも貫徹していない商品のことをいう

市場経済、産業が発達するにつれて、
大量生産される商品はどんどん個性を失い、
結局のところ、社会を構成するひとりひとりが均質化してしまう。
そして、わずかな差異をとらえて、
「付加価値」という表現で商品を販売するのだ。

その中で、「半商品」という考え方は、
高度産業社会における「商品」を考える上で
一つの有力な考え方となるだろう。
福岡県で、「むすび庵」という直販所をやっている八尋さん
の言葉で、

「具体的な他者との関係の中で自分の役割を感じ、
働いているときのほうがずっとおもしろい。
(中略)『あいつがやっているのなら』と思っていただける
人間になりたい。」

という言葉があった。
これは、自分も目指したい生き方である。
商品は、全力で仕上げる。
でも、それに加えて
「あいつがやってるんやったら・・・」
と思ってもらえるのは、冥利に尽きるだろう。

王国は、商品というか、農産物というか、
イベントももっと充実させていかねばならない。
でも、その中で一番大切にしなければならないのは、
人やものとの「関係性」だろう。
完成度か、「関係性」か、という話もあるが、
それは車の両輪のようなもので、
その物自身が兼ね備えているべきものだと思う。

最後に、「鳴子の米プロジェクト」を提案している
結城登美雄さんの言葉を紹介したい。

「(このプロジェクトは、)米だけでなく、
農業、農村の問題を私たちの明日の食糧問題と
受け止め、決して他人事とせず、わが家族、
わが隣人の、わが地域の問題として解決を目指す。
わが食料と地域の将来を、国家と市場経済にゆだねず、
そこに関わる人々の思いと力によって支えていく運動である」

「半商品」の考え方が、端的に現れている言葉だ。
半商品化を進めることは、市場経済に反旗を翻すことではなく、
市場経済を内部から空洞化させる可能性を秘めている行動だ。

(「半商品」についての出典:「創造的である」ということ〈上〉農の営みから (人間選書)
この本はまだ買えていない。)

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