私は、どちらかといえば組織的な、官僚的な人間であるように思える。
私を知っている皆さんも同意するんではなかろうか。
「宮田君は、どちらかといえば形にこだわる人間やねぇ」と人にも言われた。
そうかもしれない。
確かに私は、形式にこだわる部分がある。
それは私の人間を不自由にする方向に働く。
しかし、官僚的な人間もある意味必要悪として存在するのだと思う。
一匹狼になるのは、「組織に縛られず、やりたいことをやる」といった
価値観からはかっこいい。
人間は、どこかで納得して妥協していく生き物だと認識する。
なぜなら、一人で生きているとはいっても、たくさんのつながりの中で生きていると感ずるからだ。
一匹狼も、本当は一人でやりたいことだけやれるわけではないだろう。
「世の中の 人はなんとも いはばいへ 我なすること われのみぞ知る」
という言葉は、甘いロマンチシズムのにおいがする。
でも、冷静な事実を突きつけられたとき、なにくそ!という思いでこの言葉にすがりそうになる。
脱線したが、官僚的人間について。
たとえば私は、組織を破壊する人間ではなく、構築された組織内部を調整するほうが得意である。
自分の意見を通すよりも、妥協できるところまでは妥協しようと試みる人間である。
妥協できないところまできたら、おそらく糸が切れたようにふっといなくなるだろう。
適材適所という言葉がある。
ある意味言い訳めいた言葉遣いになるかもしれないが、小さな組織の中でそれぞれがそれぞれの分に応じて役割を果たすことは必要だ。
つまるところ、今の私にとって、
官僚的人間がいいのか一匹狼がいいのかが問題ではない。
目の前にある穴を誰が埋めるのかが問題なのだ。
誰も埋めないのなら、私がその穴を埋めよう。
穴を埋めるという目的を、あらゆる手段を使って果たすのだ。
そう納得し、そう動いていこう。
こんなことをごちゃごちゃ考えているから、「頭でっかちだ」なんていわれるのだが、まぁしょうがない、これが私だからだ。
さぁ、今日もはりきってゆこう。