わからないものを

ちょっと今日は恥ずかしい話なのだが。
ドラッカーの訳者として名高い上田惇生さんの言葉の中に、
「わからないものをわからないままで、自分の前を通すな」という言葉がある。
自分がよくわからないものをそのまま通り過ごして人に渡すな、という意味で使っていた。

これは、私の悪い癖なのである。
一知半解と言おうか、ちょっときいただけで自分なりに分かったつもりになり、
そのまま仕事を進めようとしてしまう。

「出たものをそのまま受け入れる」という考えが強すぎるのか、
他人のすることに対する批判精神がないのか、食い付きが足りないというのか、
いまいちこの考え方の癖が問題を起こしている。

例えば、今日書いていた政策提言は別の人が書いたものなのだが、
「言ってることがよくわからんな」と思っても、
「自分より目上の人の書いたものだし、最低限の語尾のおかしさのみ直しておけばよいか」
といった気持でそのまま最終チェックに回してしまった。
幸いなことに、最終チェックを見てくれた人は自分もフリーでライターもしていることから、
するどくチェックを入れてきた。
そのチェックは、多くの部分は自分が疑問として持っていたにもかかわらず、
ある意味「まぁいいか」という気持ちで流してしまっていたところだったのだ。

誰に叱られたわけでもないのだけど、今日は自分の仕事のやり方のまずさが改めて明らかになったこともあり、
本当に恥ずかしい思いをした。

考えてみれば、今日の農水省、厚生省からのレクチャーも、最低限のレクチャーは受けることができたのだが、
地元の農家さんの話をもっときちんと聞いて、きちんと聞いてということはつまり問題点と、どのようにしてほしいのかという要望をしっかり聞くことだと思うのだが、そうしていればもっと充実したレクになったと思うのだ。

これは誰のせいでもなく、ひとえに私自身に起因する問題。
冒頭の言葉は、もうずいぶん前に聞いた言葉なのに、
今日立て続けにこれにかかわる問題が起きたのだ。

恥ずかしいが、今後の取り組みが見えた一日であった。
(勝手に自己満足しているが…)

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