例えば、ある程度客観的に判断した場合、
あきらかにその仕事は本来的な意味での業務ではないとしよう。
しかし、その仕事を業務として行えと言われた場合、雇用されており、
それが反社会的な行為でなければ行動するしかないというしかないときがある。
それにたいして、「こんな仕事は仕事じゃないよ」と言いきってしまうのは簡単だ。
しかし、それでは先に進まないし、サボタージュしてもしょうがない。
いやいややることは、結局自分の気持ちがなえるだけだ。
昨日の友と話していたとき、友は「お前の仕事、すごいやってみたい」と言っていた。
彼から見れば、私の仕事は工夫がたくさんできて、自分の力を試す仕事に思えたようだ。
彼と別れてから、いろいろ考えていた。
いきなり話はでかくなるが、ものの本でよくいわれることに、
「あなたに起こることは無意味ではなく、すべて意味があります」
とか、
「すべての物事、人から学びなさい」
とかいう言葉がある。
結局のところ、いつもこんな言葉をよりどころにして、私は生きて働いているのだと思う。
冒頭に書いた、「客観的に販売した場合、それは明らかに本来的な意味の業務ではない」としても、
そこから学ぶことはあるし、むろん仕事にいずれは結びつく蓋然性は高い。
だとすれば、文句を言ってもしょうがない。
今の自分の置かれた立場で、どのように全力を尽くすのか、問題はそれだけだ。
この仕事についてから、ある意味世俗にまみれているのだけど、それも社会経験。
純粋培養は、隔離された閉鎖的な空間においては意味をもつけれど、
開放的な空間においては、さまざまなものと醗酵し合うほうがよりおいしくなる。
気をつけることは、腐敗せずに醗酵し続けることだ。
- 作者: 寺田啓佐
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ずいぶん前にこの本に書かれたことを思い出した。
きっと昨日の再会が、私の浮上へのいい触媒となったのだろう。
事実は一つで、それをどうとらえるかですべて変わるし、
事実を変えられなくても、自分は変えられるとおもう。