先日帰省した折に、梅田の紀伊國屋書店で購入。
現代農業に著者が寄稿していたのをたびたび読んでいたので、
大阪で出会えて懐かしい気分にさえなってしまった。
本書は、「近いうちに」失業が見えている私にとって、
一つの視点を提示してくれた。
それは、”面白がる気持ち””それを一緒にやる人”がいれば、
結構楽しく暮らせるよ、ということ。
著者の発想は、専業で働くこと、会社にすべてをささげて働くことが
当たり前という常識から、”ナリワイ”といったあいまいな概念で、
あらゆる局面において、特に「住む」という局面において、
持久力を高めていくという点にある。
空き家の床張りワークショップをやったり、
モンゴルで遊牧民の暮らしを学ぶツアーをやったり、
木造校舎で結婚式をプロデュースしたり。
「仕事をつくる」ことこそが本来の当り前の形だということを気づかされる。
また、「会社に勤めていなくて、身体を壊してしまったらどうするの?」
という問いに対して、会社で「身体を壊す」ことがむしろ前提になっているのでは?、
ナリワイ的発想では、身体を壊すほど働かない、自分の身体の健康管理は太極拳や
日々の運動で維持していくことになる。
これなら、取り組む気持ちと、持続する行動があれば、無理しなくてもやっていけるんじゃないか?
とさえ思わされる。
ところで、この本を読んでみて全く違和感がなかったわけは。
すでに鴨川にはたくさんの引っ越してきた人たちがいて、
その人たちの暮らしがすでに”ナリワイ”的発想を実践した暮らしだったから。
自分で家を建てて、
自分で食品をつくって、
自分で服をつくって、
自分たちでマーケットをつくって。
あらら。
すでに実現されていたのね。
つまり、私の逡巡は、まだこの世界に入っていないことからくる焦燥感によるものなのだ。
四の五の言わずに、手を付けられることから始めて、それを継続すればいいじゃないか。
その準備をしていくこと。