人がいること

一泊二日の飯山の方との交流を終えて
帰ってまいりました。

今回の企画は飯山に住む人々、王国によく遊びに来てくださる
ちょうさんの全面的なリードのもと行われました。
交流会会場、宿泊施設を提供してくださった
高源院http://www.ntcs.ne.jp/ajisaidera/top.htmlの住職、
いいやまNPOセンターhttp://www.city.iiyama.nagano.jp/npo/index.htmlの方、
飯山故郷庵のかたがたなど、
多くの方の熱意と協力が一体となりました。

『飯山もいいよ』といつも言っていたちょうさんの
言葉が肚にしみわたった旅でした。

石垣で作った棚田は、大山千枚田の何分の一かの広さですが、
米作りに対する先人たちの思いがひしひしと伝わってくる
すばらしい棚田でした。

また、今朝は森の家http://www.iiyama-catv.ne.jp/~morinoie/
近くにあるブナ林に連れて行ってもらいました。
写真は、ぶなを下から撮ったものです。

その場で、熊の糞を見つけました。
同行してくれた先生に言われて臭いをかいでみると、
ぜんぜん臭くなく、植物の芳しいにおいがしました。
肉や果物などを食べていないためだそうです。

一番心に残ったのは、
多くの人に会えたことでした。

自分たちの住む町である飯山を本当に
愛していることが伝わってきたし、その場での活動も
わくわくするものがたくさんありました。
『人に出会う』ということは
それだけで多くの可能性を広げることです

飯山には飯山のよさがあり、
鴨川には鴨川のよさがある。
飯山には、『あるを尽くす』という表現があるそうですが、
これは地元学の『あるもの探し』という言葉にもつながりますよね。

これから、ますますやりたいことが見えてきました。
『必ず冬にまた来ます』と約束してしまいました。
がんばって貯金して資金をためよう。

只今交流会中2345

飯山の人々は私たちを暖かく迎えてくださいました。
鴨川でがんばってゆこうとする想いが、ますます高まって来ました。

おつかれさまでした!

昨日の田の草取り。まだ田の水はにごっていて、
本当にできたかどうかはわかりません。
楽しみですね〜。

朝から、じゃがいも収穫を行いました。
これは3月12日にイベントで植えたものです。
あの時はまだ寒くて、ちょうど一週間前には
大雪でイベントを中止したのでした。

あれから3ヶ月。
掘り上げたじゃがいもはみな元気に育っていました。
収穫高は約420キロです。
男爵、メークイン、北あかりと3品種を
植えました。
あのときの種芋の小ささからはなかなか想像できない
子芋の大きさでした。

会員の皆さんが帰られた後、
私たちに残されたのはサツマイモ定植とじゃがいもの
天日干しでした。

大きく育ちすぎてはじけそうになった
紫たまねぎを収穫した後、
じゃがいもをブルーシートに広げ、
下の畑に行きサツマイモの畝立てをして
定植。

石井さんと3人でやったのですが、昨日の今日なので、
ふらふらになってしまいました。
う〜ん、鍛えねばなりませぬ。

そして、最後に残ったじゃがいもの袋詰め。
広げるのは簡単でも、つめるのは簡単ではありません。
かなり多い量でした。

幸い、残っていてくださったTさん、Kさん、Aさんが
手伝ってくれたので、何とか日の出ているうちに
終わらせることができました。
どうもありがとうございました。
ふい〜、さすがに疲れて眠いです。

明日から、1泊2日で長野県飯山市に交流に
行ってきます。
これは、今年の3月まで神楽坂で『故郷庵』という
飯山市の出張事務所の所長をされていた
ちょうさんが企画してくださったものです。

お互いに何か得るものがあるよう、
学んで、活かしてこようと思っています。
(blogの更新が変則的になりますが、どうぞご了承ください)

実際やってみると。。。

昨日お知らせしましたように、
今日は田の草取りイベントでした。

昨日も行ったのですが、
やはりきちんとレクチャーを受けたほうが、
この土地にあったやり方ができる、と
痛感しました。

田の草は、水面に顔を出しているものもありますが、
大半は水にもぐっています。
それを、手を熊手のような形にして
どんどん掻いていくのです。

これ、意外に手の力を使います。
無農薬農業への道はなかなか遠い。
昨日も、除草剤が要請された理由を書きましたが、
今日また新しい事実を知りました。

大田代でも昔は、田植えは共同作業でしたが、
草取りは各家族の仕事だったようです。
大変だったでしょうね。

幸い自然王国には今日たくさんの人が訪れてくれたので、
一応は田の草取りを終わらせることができました。
他の水面に浮かぶ草は、無事仕事を終えた喜びを
倍増させてくれます。

それでは、今日はこの辺で。

予行演習

鴨川自然王国では、除草剤を使わない稲作りを行っています。
ということは!

草が出るということです。

農家にとって、戦後除草剤が登場したことは、
福音に等しかったそうです。
働き手が都市に出、村のつながりが薄くなり、
農業の担い手が少なくなったとき、
最も手のかかる作業であった除草が
農薬によって大幅に軽減されたのです。

しかし、レイチェル・カーソンの『沈黙の春

沈黙の春 (新潮文庫)

沈黙の春 (新潮文庫)

有吉佐和子の『複合汚染』

複合汚染 (新潮文庫)

複合汚染 (新潮文庫)

などの著作も関連して、
農薬を使わない、安全な農業をしようという動きが始まりました。

人間にとって最も重要な食の安全を考えれば
できるだけ農薬を使わない生産物ができることは
とても好ましいことです。

しかし、ここで問題なのは!
担い手不足は依然深刻、どころかもっと深刻だということです。
そこで生まれたのがトラスト制度。
都市の人に、農業体験もかねて農作業を手伝ってもらうことにより、
昔ながらの安全な農法でお米を生産してもらおう、
という制度です。

今年から、鴨川自然王国会員制
http://www.k-sizenohkoku.com/2005/boshu/kaiinboshu_top.html
を導入したため、トラスト制度は廃止しましたが、
その精神は脈々と受け継がれています。

そんな中、今日はYaeさんのファンクラブの田んぼの
草取りを行いました。
田に生えている草をとってそのまま田の土に埋め込み、
草を窒息させてしまいます。

田の土は軟らかで、感触は手を通して
体の中に入ってきます。
『仕事』としてやれば大変ですが、
『イベント』で『共同』でやれば、なんてことはありません。
手の感触を楽しんでいるうちに終わってしまいます。
ちょうど、明日の予行演習をやった形になりました。

・・・長々と書いてきましたが、
会員のみなさん、明日は田の草取りですよ〜!
除草剤をまかない田んぼには、
草がいっぱいですよ〜。

あなたが来なければ始まらないっっ!

畑の草取りとはだいぶ違う作業ですが、
かなり面白いですよ。
お待ちしてます。

それでも日は昇る

4月中旬から徐々に進めていた堆肥場のハウス建設が
今日終了しました。
私にとっては久々のハウス建設で、
思い出しながらやることになりました。
ここには、現在作っているボカシ肥(三尾さんによる関連記事)
http://www.k-sizenohkoku.com/futures/futures_hemp/2005.5.23/futures_hemp2005.5.23.html
を製造、保管する施設として使います。

ところで、私は大学生の頃FIWC関西委員会
http://www.mognet.org/fiwc/index.html(友人が作っている関連Website)
というワークキャンプの団体に所属し、
毎年の夏には韓国の学生と韓国のハンセン病の人々が
暮らしている村で一緒にワークキャンプをやってきました。

詳しいことはいずれ書くこともあろうかと思いますが、
そこでの根本的な約束は、
『その地でともにワークキャンプを行う』という一点において
合意し、キャンプを行うことでした。

一点においてのみ拘束され、
後は自分がやりたいことを実現させていこう、とするのが
その趣旨です。

誰に強制されるわけでもなく、
その地において必要とされていることをやることがスタイルでした。

今は、ボランティアではなくお金をもらってここで働いています。
しかし、ふと思えば学生時代にやってきたことも
形を変えれば適用できるのではないか、と思うのです。
なにほどのことをした、というわけでもないのですが、
あの面白かった体験を今、大好きな自然王国の活動に
取り入れていけないかと思案中です。

私は今、得ようとして得られないほどの
『現場』にいるのだと思っています。

『日は昇る』ことを信じなくても、
『時が来れば日は昇る』のだから、
やるべきことをやってゆくだけですね!

ともに生きる

「お前はもっと馬鹿にならなきゃだめだ」
鴨川自然王国をよく訪れてくださる会員さんの言葉です。
「どんな自然王国にしていきたいんだ?」
いろんな方からかけられる言葉です。

自然王国憲章http://www.k-sizenohkoku.com/2005/kensho/kensho.html
で記したように、私の目標はさまざまな人たちが
一つところで過ごせるような場所を作ることです。

そして、今ここがそれを実現するための
実験場です。
しかし、「あの人に嫌な思いをさせてしまうかもしれない。
しょうがないな・・・。」と妥協をしているのが現状です。
実はこれは、自分が傷つきたくない、ということの
裏返しなのかもしれません。

どこにいても、どんな場にいても必ず問題は発生する
ことは所与の条件として存在するものであり、
『組織的問題を解決することこそが組織の役割である』
ことも頭では理解しているはずです。

ずっと自分が置いてけぼりにしてきた問題、
誰かに助けてきてもらった問題をいよいよ
自分のコミットメントから解決の方向に向かわせねばならない
時期に来たのかもしれません。

さ〜、どっから手をつけようか。
自分がどうこうではなく、『ともに生きる』ことの
実践として取り組んでゆこう。