梅雨の晴れ間には

昨日の雨は、朝まで残らずに、今朝はいい天気。この時期は、週末には田んぼ化畑に出ている。朝から、仲間とやっているお米作り集団「佐野山賊会」の田んぼに追肥をして、草刈りを行う。

先日、お国からもらった「定額給付金」で、念願の26㏄タイプの草刈り機を購入したので、すいすい刈れてしまう。もっと早く買えばよかったと思うけど、安い機械ではないので、この際買えてよかったなと思うのであった。

午前中は山賊会の草刈り、午後からは我が家の田んぼの草刈り。妻と二人で同時に草刈りを進める。夕方までやって、全体の4分の1くらい終了。明日も、空き時間にちょっとやらないとな。

夕食は、中2の娘が作ってくれた豚の生姜焼き。初めて作ったらしいのだが、とても美味であった。親バカである。

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自分のテーマとは

家の入り口に咲くアジサイ。

いきなり大上段に構えてしまったのは、訳がある。45歳にもなって、書くことでもあるまいと思うのだが、最近いろいろと来し方を振り返ることがあるのだ。鴨川に来て16年、子供たちも中学生になって、巣立ちも近づいてきた。私は私で、充実した日々を過ごしているものの、何もかも思い通りになっているわけでもない。

そんな時、久々にのぞいたのが、ほぼ日刊イトイ新聞に連載中の「おとなの小論文教室」である。山田ズーニーさんのこのエッセイを読み始めたのは、鴨川に来る前だったかと思う。その中に、

「やる側」にまわるとしたら、

「ゆるくても何か一つテーマがあるといい」

というのが、あくまで私の考えだ。

https://www.1101.com/essay/2020-06-10.html

という文章があった。これは、自分にとって、そうだな、と思える一文だった。私はいろいろと企画したり、何かをやることが好きで、中には中途半端に終わってしまっているものもある。巻き込んでしまった仲間たちには申し訳ないな、と思っているのだけど。

ただ、そんな自分にも何かテーマがあるのでは?とあらためて思わせてくれた一文だった。私は、鴨川自然王国に来て、やりたいことの軸が本当に定まったと思う。

それは、「農的生活をしながら、この地で実践していることを発信し、交流の場とする。」ということだと思う。いろんな仕事をしているけど、すべてはここに収斂されていくのだと思っている。

だから、あきらめないで、やり続けようと思うのだ。

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きっかけがないと動かない…

雨上がりの我が家。シロツメクサの背景に、育苗ハウスを入れた。このハウスには、今はミニトマトとバジルを中心に植えている。昨日は娘と一緒にトマトの結束を行った。

友人から、「2019年1月1日以来、全然ブログ更新してませんね。」と声をかけられ、うっと声を詰まらせた。何度か書き始めようと思ったのだけど、結局書かないままであった。書き始めたら書き続けるのだけど、気がそれてしまうとすぐにやめてしまう。書いたりやめたりを続けているのだ。

このコロナ禍の中、いろいろと企画していることもあり、それをぼちぼち動かしていきたいと思っている。農家民泊の営業再開はまだ先になりそうだが、営業再開に向けて準備もしていこう。

というわけで、久方ぶりのごあいさつでした。

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謹賀新年

2019年が明けました。自宅から、初日の出を拝み、1年を描きます。

人生には予想もしないことが起こるとは月並みな表現ですが、今の私にはこの表現がぴったりです。

鴨川に来て15年目。人生が積み重ねであるとすれば、今年も一歩ずつ歩みを積み重ねてゆくのでしょう。

その歩みの先に何が見えるのか?自分にとっても挑戦の一年になりそうです。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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体験するということ

他人の体験談を聞いたり読むだけでなく、自分でやって、確認して前に進みたい。たいていのことは時間をかければできる。成功したいわけじゃなくて、体験したいんですよ。

西村佳哲の本が好きで、出版されているほとんどの本を読んでいる。彼の言葉に最初に触れたのは

この本だ。

この世界は一人一人の小さな「仕事」の累積なのだから、世界が変わる方法はどこか余所にではなく、実は一人一人の手元にある。

この言葉が、どれだけ私を励ましてくれただろうか。世界は、誰かの働きがあって成り立っているということを知ると、自分の日々の取り組みも世界につながっていると感じることができる。

冒頭に引用した言葉は、高山木工所の高山さんの言葉だ。農的生活の中で一番価値があるものの一つは、「自分でやってみる」ことに取り組むことが比較的容易だということだろう。農作業の全てがそうだし、木を伐ったり炭を焼いたり、加工品を作ったり、販売したりすることも、体験したいと思ったらできるのだ。

この農的生活を始める前と後では、私という人は確実に変わった気がする。体と頭を動かして、いろんなことに実際にトライするようになった。できる、という経験が私を前に進ませているような気がする。

なんでも自分でやってみることは、自分の存在意義を確認することなのかもしれない。

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マーケット・インの発想

7時前に家を出て、木更津市潮浜公園へ。今日はグローカルハピネスというイベントの開催日だ。私はNPO法人うずとして、これまで千葉大学国際教養学部の学生とお米づくりに関わってきたこともあって、参加することにした。もちろん、にらファイトも持って。

大学生たちは、最初は300グラム500円、1キログラム1000円の値つけで売り始めた。しかし、売れ行きがはかばかしくなく、昼過ぎに300グラム300円、1キログラム700円に値下げ。そんな時に、通りがかったコンサルティング会社勤務の方に、「お客さんは、千葉大学、無農薬、天日干しというのを見たいんじゃないかな?」と言われ、なるほどと思い、その言葉を強調するポップを作り、コメの姿を見てもらおうと、白米をザルの上にあけて見えるようにした。すると、バカ売れはしなかったけど、話しかけてくださるお客さんが増え、その結果少しずつ売れ始めた。

そのやりとりをずっと見ていて、

という本を思い出した。

その中では、これからはマーケティングの考えが必要だ、「いい製品を作れば売れる」と考えるのがプロダクト・アウトの考え方、「市場が求めているものを作り出す」と考えるのがマーケット・インの発想だとあった。そして、自分たちのやり方は変えないままで、どれだけ多くの人に自分を知ってもらうかという活動が「PR」、自分の商品を作り変える、つまり顧客の需要がどういうところにあって、それを取り込むにはどうしたらよいのかという「戦略」に立ち、根本から事業を見直すのがマーケティングだというのだ。

この考えを援用すると、お米、というだけでただ販売するのではなく、お客さんはどこを見たいと思っているのか、つまりお客さんの立場に立って販売方法を考えてみることになる。

もちろん、先述した工夫などは、無意識にやってしまっている場合も多いのだけど、この考えを知っているかいないかで、物事に向かう時の意識は変わるのではないかと思ったのだ。

他にも、みかんの1キロ量り売りをしているのを見て、「1キロの目安はこれくらい」と実際にみかんをザルに乗せて展示したほうがいいというアドバイスも受けて、これもなるほど、と思った。普段当たり前と思ってやっていることも、視点を変えればまだまだ可能性はあるのだと思う。

都市農村交流イベントをやっていても、プロダクト・アウトに偏らず、マーケット・インの発想を意識していこうと考えるきっかけとなった。千葉大生とはこの後も実習が続く予定なので、事業を作り上げていく過程を共に歩みたいと思う。

久々に出店したグローカルハピネスだったけど、アクアコインという木更津市限定で使える電子コインが使えたり、友人が作った竹の靴べらを買えたり、お気に入りの梅酢のおいなりさん、自家製ソーセージのホットドッグを食べたりと、盛りだくさんな1日で楽しかった。

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自由を切望し、行動した女性の物語

午前中、少し時間があったのでチーズを放してやった。餌をやった後だったのだが、食べる食べる。しかも面白いことに、ある種類の草を食べてしばらくすると移動して別の草を食べ、さらに別の草を食べにいっているのが見られた。当たり前だが、草にも味があるに違いない。飽きないように、いろいろ選んでいるのだろうか。「人間の関心を引くために動物は生きているわけではない」と、馬牧場を経営している人に言われたことを、ふと思い出す。私にできるのは、チーズにとってできるだけいい環境を用意してやることだと思う。

少6の娘が学校から借りてきていた「ある奴隷少女に起こった出来事」原題”incidents in the life of a slave girl”を借りて、読了した。私が読んだのは単行本だが、文庫で出ているようだ。

本書は1861年にペンネームで発行され、事実かどうかわからないままに長い間埋もれていた作品だったが、今から30年ほど前に、実際に奴隷だった女性が執筆した自伝的小説であることが判明し、アメリカで改めてベストセラーになったそうだ。

6歳になるまで自分が奴隷であることを知らずに育った少女が、”所有者”である白人から受けた数々の被害と、そこから逃亡して自由を掴み取るまでの物語だ。逃亡の際は、7年間も屋根裏部屋に隠れて、捜索を続ける”所有者”から逃げ延び、その間子供に会うことはほとんどできなかった。北部に逃げても、執拗に追っ手の手が伸びてくる。そして、恐るべきことは、立場、環境が違えば、人間は誰でも、これほどまでにおぞましく振舞うことができるということだ。

しかし、「生きる」ことに対して、これほどの障害があっても、人は生きていくことができるのだと感じた。どれほど理不尽なことがあっても、生きることを決めて、自由を切望し、壁に向かっていく姿勢、行動に大きな感銘を受けた。そして、この姿勢は今を生きる私たちにこそ必要な姿勢だと感じた。

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ゆるくつながる

年末に、鴨川市ふるさと回帰支援センターhttp://furusato-kamogawa.net/と自然王国と共同で、東京のふるさと回帰支援センターhttp://www.furusatokaiki.net/でセミナーをする計画を進めているので、市役所に行って来た。

鴨川市のセンターは、帰農者セミナーというのをずっと行っていて、最近では定年者だけではなく子育て世代もたくさん参加しているのだそうだ。様子を聞いてみると、行政で準備したことだけをやるのではなく、参加者同士で意見を出し合ったりして、セミナーを作り上げて行っているそうだ。これは、自然王国のイベントとも共通することだ。お客様として接するだけでなく、ともに自然王国を作って行くサポーターとして活動している。一般的に、サービスはなるべく無個性化し、均一化して進めて行くものだけど、このセミナーは、主催者と参加者が結び合って進めているようだ。

ふと気になって、自宅の書棚から、久しぶりに内山節さんの講演録「未来についての想像ー農ある世界への構想」(農文協2009)を手に取った。

要約すると、私たちはこれまで、市場との関係を、消費者として、労働者として結び合い、金銭を介したやり取りをしてきたが、その結果として、自分たちの労働を作り出せなくなった。その点、農村では未だ自然と人間とが相互に結び合った関係を作れていて、その中でこそ、個人が、個体ではなく相互性の中の個人で在れる。そしてこれからは、生命の結びつきがはっきり見えるローカルな世界、つまり「私たちはこういう関係、こういう結び合いの中で、ここに足をつけて生きている」といえる場所を作り、そこで生命同士の連帯のあり方を掴んでいく必要がある、というのだ。

今、鴨川市の帰農者セミナーも、自然王国のイベントも、そんなローカルな世界を目指しているのではないかと思う。

市役所との打ち合わせを済ませて帰宅した後、船橋に住む友人夫妻が1歳になって少しの双子を連れて訪ねてくれた。「時間が空いたので鴨川に行きたくなって」とわざわざ寄ってくれたのだ。今年の1月以来の再会なので、子どもたちが本当に元気でニコニコしている様子を見させてもらって嬉しかった。そんなに長くはいられなかったのだけど、彼らと、ふと寄りたくなってもらえるような関係であれることがとても幸せだと思った。イデオロギーや利害関係でなく、ゆるくつながっている関係があることが幸せで、これこそが私にとっての「ローカルな世界」なのだ。

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久しぶり?のオフ。

今朝も朝から草刈り。今日の草刈りは、以前も書いたけど、廃校になった旧大山小学校の草刈りだ。8時半に集まって、遊具が置いてあるところや土手を刈っていく。いつもどこかで草刈りをやっているので、別に特別な作業というわけでもないのだが、私の所属する「大山廃校利用を考える有志の会」としては、象徴的な作業だ。大山小の一部が公民館になって以来、私たちが草刈りをすることはなかったのだけど、ある意味で気分一新というか、やってみよう、ということで草刈りをすることになったのだ。2時間強で予定していた場所の草刈りを終えた。

昼食は、副会長のお宅でバーベキュー。これまでも何度も、早稲田大学や千葉大学の学生ともやってきた。今日は有志の会のメンバーだけでこじんまりと。最初に食べたのが、サーロインステーキ!普段は、というか今までこんな厚い肉は食べたことがなかった。

蓋つきのバーベキューコンロで焼いたので、熱気がコンロ全体に回り、ミディアムレアで仕上がり、最高だった。

副会長の奥さんにリクエストされて、久々にギターを弾いた。最近やることがたくさんありすぎて、ギターには何ヶ月も触っていなかったのだけど、私はやはり弾き語りをするのが好きみたいだ。

おかげさまで、毎日充実した日々を過ごさせてもらっているのだけれど、ともすれば仕事に追われて、気持ちの余裕をなくしそうになってくる。今日は、午後目一杯楽しませてもらって、なんだか穏やかな気持ちになれた。

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