朝刊を取りに外に出てみると、
畑の野菜一面に白いものが見えた。
霜だ!
明日は少し暖かくなるらしいが、
やっと冬本番といったところか。
霜対策もはじめなければならない。
昼からは、富津市にある「もみじロード」
というところまで紅葉を見に行った。
まばらではあったが、もみじがきれいに赤くなっていた。
しかし、ふと大阪は箕面の滝で見た
すばらしい紅葉を思い出してしまったのであった。
懐かしきわが故郷(来週には帰るのだ)。
農家民泊で田舎体験
11月中旬まで活躍してくれた
ピーマン、ししとうたちもついに
片付けの日を迎えた。
支柱に縛っていた紐をほどき、
支柱を抜いて、木も引っこ抜く。
木はまとめて畑の隅に野積み。
マルチも、土に残らないよう丁寧にはがす。
片付け終わった畑を見ると、
5月からがんばってくれた野菜たちに、
「おつかれさま」という言葉が自然に出てきた。
ありがとう。
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懸案になっていたもみがら運びを今日行った。
もみがらは、排水をよくするために畑に敷く。
お世話になっている農家の方に紹介してもらったところに
ミツヲさんと2台で向かった。
一台には20袋積める。
2往復したので、80袋。
こちらを、画像のようにたまねぎ畑の
溝に敷いた。
かなりリッチに(笑)敷いてみた。
草抑えにもなるし、日に当たって分解すれば、
土にもすきこみやすいというもの。
野菜栽培もますますがんばろうと思うのだ。
以前のブログを読む今日は甲斐さんが泊まる予定です。たくさん話をしたいのですが、きっと飲み過ぎてしまうんだろうな…(-.-;)
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後一月で今年も終わる。
農作業は、追い込みにかかっていて、
年内にやっておきたい仕事を
進めているところだ。
今のうちに、来年の作付け計画を立てている。
なんせ、来年は忙しくなりそう。
石の上にも三年、とよく言うし、
自分も人によく言うのだが、
来年がいよいよその三年目、
はりきってゆこう。
6月に種を蒔いた大豆を、
イベントで収穫した。
今年は、秋になっても暖かい日が続いているので、
大豆がなかなか枯れない。
それでも、日程は容赦なく迫ってくるので、
結局のところ、青い木は残して収穫することにした。
古い脱穀機で脱穀した後、みんなで選別。
もっと効率のいい方法はないの?
といわれつつ、
少しずつ工夫して今はお盆の上に
大豆を載せてふぅふぅ吹きながら
ごみを飛ばすのだ。
寒風の中でも、みんなと話をしながら
作業を進めるのが楽しい。
来月は、残りの大豆を収穫して選別する予定。
みなさん、よろしくおねがいします。
さて、イベント後は急いで家に帰って、
村の神社の祭典に出席。
二拝ニ拍手一拝、という神道の作法に従って
礼をする。
このようにして、村の神社は維持されてきたのだ。
声を限りに叫ばなくとも、
何年も前からこの時期に祭典をやっている。
失われてしまった何か、
一見保守的に見える、
迷信にも思えてしまえるものが、
ここではちゃんと息づいている。
私も、ここで生きているのだな。
最近、とても寒くなってきた。
やっとこさ冬が近づいてきたようだ。
大豆はいい感じで枯れている。
脱穀できるか心配だが、
今日は一日晴れたし、
明日は何とかなるだろう。
TVで、大根がとれすぎて
廃棄している映像を見た。
いつもいつも報道されることだけど、
そのたびに心苦しさを覚える。
慣行農法とは、現在主流の
化学肥料と、農薬を使う農業をいう。
有機農法や、自然農法とは少し違った
受け取られ方をしている。
でも、作り手の心情としては
同じだと思う。
必死に育てた大根が、売れないため
廃棄せねばならないのは、その後補助金で
いくらか物的損害が回復されたとしても
決して精神的損害は回復されないだろう。
市場で生きる、というのはこういうことだ。
この単純な事実をどのように受け止めるのか。
生活のレベルを切り詰めるのか、
とんでもない付加価値をつける方向で行くのか。
私には、単作農家で生きていく自信はない。
有機農家で生きていくことも厳しいだろう。
現段階は、農ある暮らしを基礎にして暮らしていくことだけだろう。
この先どうなるか分からないけど、
今は、ゲーテの
「静かに仕事を続けていてください。結局そこから、
世界の展望も、経験も、最も確実にまた純粋に
生まれてくるのです。」
という言葉を胸に抱こう。
山廃仕込 岩の井 岩瀬酒造株式会社に、房田の酒米を届けた。
20俵の収穫があった。
どんなお酒になるのか楽しみ。
昨日、帰農塾が終了した。
参加者18人。今までで一番多い人数。
何度も参加してくれる人もいるけど、
ほとんどの人は一回だけの参加なので、
いつも気合が入るのだ。
ただ、一人一人のニーズにこたえるのは
難しいようだ。
私自身の実力不足もあるし。
王国としても、帰農塾でできた縁を
基にしてこれから活動していくんだろう。
まとまりのない雑感になってしまった。
また明日。
大人数だ。
予想していた事態に対する
自分の対処が非常に無責任なものであった。
具体的にはかけないのだが、
自分の傍観者的態度が
決定的にマイナス要因となった。
しかし、それを指摘してくれた人がいる。
それを受けて、自分をもっと
改善していこう。
「あの人を責めたが、自分としては
ほかにやりようがなかったのか?」
ということを問うていきたい。
「人とともにやっていこう」とするのが
自分ならば、それにいついかなるときでも
全力を尽くすのが自分だ。
悔やむな、取り組め。