今日は週に一度のお休みでした。
たいがいの休みは、妊娠している妻の検診に
ついてゆくことにしています。
エコーでみていると、赤ちゃんが元気よく
動いている様子がわかって面白いです。
今のところは、赤ちゃんの頭も下にあるようで、
逆子の心配は少なそうです。
って今思ったのですが、赤ちゃんの頭が
母体の恥骨あたりにあるとするならば、
赤ちゃんは頭に血が上ったりしないんでしょうか?
ふとした疑問ですが・・・
子供ができたとわかったときは、あまり
実感もわかなかったのですが、時間がたつにつれて、
親としての責任を少しずつ感じ始めています。
『子を持って初めてわかる親のありがたみ』という
言葉がありますが、その言葉の意味ももうすぐ
わかるのでしょう。
子供ができるということは、自分に絶対的に依存する
存在ができるということなのかな。
『大変やなぁ』という思いと『楽しみやなぁ』という
思いが同居しています。
病院に行く前、家の周りの敷地がどれくらいなのかを
おばあさんと一緒に歩いて教えてもらいました。
境界には木を植えてあるのですが、木を植えるポイントは、
境界から『三尺下がって植える』ということだそうです。
よくみると、全部そう植えてあったし、裏山も隣の家とは
ぜんぜん違う方向に植えてあり、田舎の風習の一端に
触れることができました。
おじいさんが亡くなって以来、いくらかある畑も
ほったらかしで、草が生えれば刈るというだけの状態に
なっています。
私は、増刊現代農業編集長の甲斐良治さんに私淑しているのですが、
彼に教えてもらった言葉に、
『地元学は、ないものねだりではなくあるもの探しだ』
という言葉があります。
言葉だけ聞くと、「なるほどな〜」と思いますが、
これを実践するにはなかなか覚悟がいりそうです。
たとえば、将来的に生活費が足りなくなることが
あらかじめわかっているときに、
海の方までアルバイトに行けば、ある程度の収入を
得られるでしょう。
しかし、家にある畑を元にもどし、野菜の栽培を始めても、
アルバイトに行ったと同じだけの収入は望めないかも
しれません。
でも、家の周りにこれだけの場所があるのに、
これをほったらかしにして他の場所に行ってしまえば、
結局のところ従来どおりのライフスタイルを
踏襲することになってしまいます。
そうではなく、何とかこの場を活かしてゆく方向は
ないだろうか。私の今の決心の置き所は、
ないものねだりでいくか、あるもの探しでいくか、
ここにありそうです。
斎藤一人 変な人が書いた驚くほどツイてる話 (知的生きかた文庫)
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この本の中に、人生の分かれ道に来たときは、
『どちらが楽しいか、を、判断基準にしてください』
という言葉があります。
私の心自身がこういった言葉を
待っているだけかもしれませんが、
どうせ決断するならこの言葉を大切にしたいと思います。
さらに補強材料を出せば、
亡くなった藤本国王も、
『楽しくなければ自然王国じゃない。
楽しくなければ人生じゃない。』
と言っていますから。
さぁ、わたしのあるもの探しはどうなるでしょうか?
どうなっても現場からの出発だ!