自由という重荷

ゲド戦記 2 こわれた腕環 (ソフトカバー版)

ゲド戦記 2 こわれた腕環 (ソフトカバー版)

を読んでいる。
2巻目を読み終わった。

最後のほう、巫女とゲドが島を脱出するのだが、
そのシーンを描いた言葉。
少し長いが、引用する。


「彼女が今知り始めていたのは、
自由の重さだった。
自由は、それを担おうとする者にとって、
実に重い荷物である。
勝手の分からない大きな荷物である。
それは、決して気楽なものではない。
自由は与えられるものではなくて、
選択すべきものであり、しかもその選択は、
必ずしも容易なものではないのだ。」

私は、どうやら細かいことから大きなことまで、
「やってみたいな」と思うと
すぐ「やりたい、やります」と言ってしまうようだ。

しかし、生来の怠け者であるため、
やらねばならぬことが後手後手になってしまう。
考えてみれば、今までずっとこうだったのかもしれない。

どこかでこの連鎖を断ち切り、
そこから新しい出発をしたい。
目の前にある具体的なことを
一つずつつめていくことでしか
解決の道は歩めないだろう。

と、大上段に構えながら今日やったのは、
ヤギ牧場に犬3頭を移動させること(苦笑)。
夜ほえてうるさいのと、
散歩に連れていけていないので、
少しでも歩けるようにと、
番線を張ってその間だけ動けるようにした。

画像は、ちょうさんが番線を張ったところを
草刈してくれているところである。
これで少しは犬のストレスも解消されるといいのだが。

自分自身に能力がまだあるのなら、
もっと活性化させてゆこう。
この場に自分をどれだけ活かせるか、
そこに取り組んでゆこう。

好きな言葉がある。

小型新約聖書 詩篇附 - 文語訳

小型新約聖書 詩篇附 – 文語訳

「凡て労する者、重荷を負う者、われに来れ。
われ汝らを休ません。」
(マタイ傳第11章28節)

重荷を負っているような気がして休みたいときもあるけど、
それは自由を選択した重さなのだ。
さすれば、ただ進むのみ。

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