唐突ですが,『農業を儲けるものにすれば農業は活性化する』
という考えについてどう思いますか?
一般的には,決して悪い考えとはいえないと思います。
お金が儲かって嫌な人はそんなにいないでしょうから。
農政としても,競争力を高め,付加価値をつけて農産物を
売りまくる!という姿勢です。
自然王国は,ご承知の方も多いと思いますが,
中山間地にあります。棚田がほとんどで,生産効率も悪いです。
農業で儲ける,と考える場合この棚田で採れたお米を
高い価格で販売できれば,儲かるでしょう。
王国に来て,甲斐さん始めいろいろな方の話を聞き,
曲がりなりにも自分で農作業をし,農作物を販売するなかで
からだに入ってきた考えがあります。
それは、農的生活とは,暮らしを作る生活だ,ということです。
あらゆるものを他人に任せ,分業化を進めていく社会の中で,
農的生活は,できることから始める,自分でできることは自分でやるという
とてもシンプルな生活です。
つまり、私は「農」と聞いたときに「くらしをつくるもの」という認識であるのに対し,
「農業で儲けて活性化」という考えは「農業も産業であり、市場原理に則るものである』という
認識であると思われます。
私は,農とは暮らしを作るものである,と考えたいです。
活性化は儲けが伴わなくても,食べることができる,その事業を維持していくことができる、
という状態になれば活性化,といってもいいと思います。
それに関連して,医療の問題もあげられます。
今回の増刊現代農業は,「医療再生」というテーマです。
医療に市場原理を持ち込んだ結果,日本のあちこちで医療崩壊が起こっている。
でも、システムが悪い!行政が悪い!というだけでなく、
自分たちのできるところから行動を始めるという事例が紹介されます。
また、農的暮らしをしながら医療を行う人,
医療専門学校生に農業実習をやらせる学校の事例もあります。
そこに現れているのは,これからは大きく展開することよりも,
地域のなかで支え合っていく,地域全体で盛り上がっていくことこそが
必要不可欠だ,という考えです。
医療と,農業はよく似ているのかもしれません。
医療で儲けて活性化するんじゃなくて,医療は根本的に必要なのだから,
それが十分活動できる仕組み、場が必要なのです。
農業で儲けて活性化するんじゃなくて,農業は根本的に必要なのだから,
農業を続けていける仕組み、場が必要なのです。
農業を続けていける仕組みとして,「鳴子の米プロジェクト」は
一つの画期的な仕組みだと思います。
王国も,そんな仕組みを作っていきたい。
大風呂敷は広げられないかもしれないけど,
まずは自分たちの活動が維持できる,地域に必要とされる場所を作りたいと思うのです。
農業で儲けることは可能だとは思いますが,
そこには必然的に儲けられない人の存在があるでしょう。
ともに生きていける場,というのは理想にすぎないんだろうか?