収穫祭準備も大詰めだ。

今日も、10月20日に行われる鴨川自然王国大収穫祭2018の準備を行った。午前中はこの間進めてきた山小屋横のトイレの改装の仕上げ。下屋を支える柱がほとんど効いていないので、セメントで柱を固定する作業だ。

午後からは、新しい看板の設置。今までの看板は6〜7年前のものだったので、収穫祭をきっかけに新しいものに変えることになった。この看板は、端材を材料として、代表とyaeちゃんが作ったものだ。手前味噌だけれども、見やすくてわかりやすい看板になったのではないだろうか。

自然王国は、一つひとつ新しい形を作っていっている。お金をかけて専門業者に頼まずに、自分たちでできるところから環境を整えている。一見すると、素人がどんくさくやっているように見えるかもしれない。でもこれは、私たちがひとつずつ、暮らしを作り直している過程だと思っている。試行錯誤を繰り返すことで、変化していっているのだ。劇的な変化はないが、着実に状態が変わっていっている事実がある。物事を語るときには、言葉とイメージで語る方法があるが、私の好きな方法は、現物を見てもらう方法だ。事実をして語らしめることが必要だと思っている。

駐車場のマスもラインカーで引き終わり、あとは細かいことをやって明後日を待つばかりだ。今回はなんだかたくさんの人が来てくれそうな気がする。出店者のみなさんも準備をされていることだろう。私も、塾講師を終えてから、さっきまでにらファイトを仕込んでいた。いい天気になりそうだし、いい収穫祭にしたいな。

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ゆるくつながる

年末に、鴨川市ふるさと回帰支援センターhttp://furusato-kamogawa.net/と自然王国と共同で、東京のふるさと回帰支援センターhttp://www.furusatokaiki.net/でセミナーをする計画を進めているので、市役所に行って来た。

鴨川市のセンターは、帰農者セミナーというのをずっと行っていて、最近では定年者だけではなく子育て世代もたくさん参加しているのだそうだ。様子を聞いてみると、行政で準備したことだけをやるのではなく、参加者同士で意見を出し合ったりして、セミナーを作り上げて行っているそうだ。これは、自然王国のイベントとも共通することだ。お客様として接するだけでなく、ともに自然王国を作って行くサポーターとして活動している。一般的に、サービスはなるべく無個性化し、均一化して進めて行くものだけど、このセミナーは、主催者と参加者が結び合って進めているようだ。

ふと気になって、自宅の書棚から、久しぶりに内山節さんの講演録「未来についての想像ー農ある世界への構想」(農文協2009)を手に取った。

要約すると、私たちはこれまで、市場との関係を、消費者として、労働者として結び合い、金銭を介したやり取りをしてきたが、その結果として、自分たちの労働を作り出せなくなった。その点、農村では未だ自然と人間とが相互に結び合った関係を作れていて、その中でこそ、個人が、個体ではなく相互性の中の個人で在れる。そしてこれからは、生命の結びつきがはっきり見えるローカルな世界、つまり「私たちはこういう関係、こういう結び合いの中で、ここに足をつけて生きている」といえる場所を作り、そこで生命同士の連帯のあり方を掴んでいく必要がある、というのだ。

今、鴨川市の帰農者セミナーも、自然王国のイベントも、そんなローカルな世界を目指しているのではないかと思う。

市役所との打ち合わせを済ませて帰宅した後、船橋に住む友人夫妻が1歳になって少しの双子を連れて訪ねてくれた。「時間が空いたので鴨川に行きたくなって」とわざわざ寄ってくれたのだ。今年の1月以来の再会なので、子どもたちが本当に元気でニコニコしている様子を見させてもらって嬉しかった。そんなに長くはいられなかったのだけど、彼らと、ふと寄りたくなってもらえるような関係であれることがとても幸せだと思った。イデオロギーや利害関係でなく、ゆるくつながっている関係があることが幸せで、これこそが私にとっての「ローカルな世界」なのだ。

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チーズがいること

昨日から台湾からの中学生男子が3人泊まっていた。朝食を食べた後、「ヤギのえさやりに行かないかい?」と声をかけると、喜んでついてきた。保存してあるさつまいものツルをハサミで切って、一緒に持っていった。さつまいものツルを見たチーズは、すごい勢いでツルを食べ始める。さつまいもを噛みしだく音がシャクシャクいっていて、その音にも驚いたようだった。台湾の民泊者たちは、時間の都合もあって5時過ぎにチェックインし、翌朝8時にはチェックアウトしてしまう。だから、ほんの少しの時間でもと思うと、鶏やヤギの世話の一部のお世話をすることになる。動物のえさやりを嫌がる人は少ないので、結構人気の作業になっている。別れ際に、「ヤギが可愛かった」とはにかんで言っていた。

餌箱に顔をつっこむ。

チーズが来て、4ヶ月が過ぎた。今のところ毎日元気で、食欲もある。去年飼っていたサツキはその年の12月に死んでしまったので、なんとか無事に生きさせてやりたいと思っている。彼女も、楽しく暮らしてくれていればいいのだけど。今週末には自然王国の大収穫祭で友人たちがたくさん来てくれるので、ヤギの世話でも一緒にやろうか。

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10/20自然王国大収穫祭に向けて!

午前中は、タアサイ、のらぼう菜、そして白菜の苗の植え付けを行なった。一般的には直播きといって、種をそのまま畑に蒔くことが多いのだけど、確実に育てるために苗に仕立てたのだ。冬には大きく育って食卓を彩ってくれるだろう。

午後からは、道のこさ切り。王国の敷地ではないのだが、王国を訪れる車が木の枝に当たってしまっているのがずっと気になっていた。そこで、地主にお願いして、車に当たりそうなところを切らせてもらった。

王国には、小がるくんという、片手で扱えるチェーンソーがあるので、軽トラの荷台に脚立を載せて枝葉を落としていった。最初は調子よく落としていけたが、だんだん疲れてきてしまい、最後の方はへばる寸前であった。小さくても、チェーンソーはなめてはいけない。

でも、おかげさまで気になっていたところは全て切ることができた。これで、収穫祭に来てくれた人も、枝葉を気にせず進んで来れることだろう。

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憲法の伝道師に会いに

慌ただしく朝の作業をすませて館山へ。伊藤真氏の憲法講演を聞きに行くためだ。司法試験受験生の頃、彼のビデオ講義でずっと勉強していたので、いらっしゃるなら是非聞きたいと思ったのだ。20年近く前、「憲法体系マスター」という授業があって、その中で忘れられないシーンがあったので、再現してみる。

ある人に、「日本国憲法で、一番大切な部分はなんですか?」と問われた氏は、「日本国憲法には三大原則があり、1国民主権、2平和主義、3基本的人権の尊重です」と答えた。

「いえ、最も大切な部分はなんですか?」

「…。」氏は言いよどんだ。すると、

「憲法で最も大切なのは、憲法13条の「個人の尊重」です」と言われたそうだ。

当時、この話にとても驚いた。なぜなら、学校では憲法の三大原則を習うだけで、最も大切なことについては習った記憶がなかったからだ。

では、「個人の尊重」とは何だろうか。ここからは今日の講演スライドから引用する。

日本国憲法の根本価値

憲法13条前段(個人の尊重)

「すべて国民は個人として尊重される」

一人ひとりの自由を保障し、誰もが人間としての尊厳を持って個として尊重されて、生きることができるようにすることをめざす。

→一人ひとりを大切にする。

存在価値の保障

とあった。憲法のいう「個人の尊重」は、利己主義とは全く異なり、一人ひとりを個として尊重することなのだ。このことを、改めて強く思い知った。

憲法について書くことは、政治的なことを書くことにつながるのだけど、憲法改正について賛否を問うなら、憲法とは何かを考えずして、答えは出せないはずだ。

氏は、「憲法を知ってしまった責任として、その憲法の価値を実現しなければならない。憲法の伝道師となって、どこにでも行く」と言っていた。20年前も言っていた。ずっと継続されているのだな、と感銘を受けた。

私は今特別な活動をしているわけではないけれど、日々の暮らしの中で気づいたことを積み重ねて行くことだけは、し続けよう。

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読解力をつける

「AI vs 教科書が読めない子どもたち」(新井紀子著 東洋経済新報社)という本が、八重洲ブックセンターに平積みされていた。流し読みしかしていないので、中身について述べることはできないのだけど、衝撃的な事実は、教科書の文章を読めている子どもが3分の1しかいないという事だ。

実はこのことは、普段の塾講師の仕事で中高生と接しているときに感じていたことだった。例えば、国語の問題では、出題文を最初から読まずに、設問のために引いてある傍線前後だけを読んで、辻褄を合わせようとして合わない、ということが多発する。

授業の中では、この文章が筆者の主張で、これが具体例、ここに筆者の問題意識があるんだよ、こんな形で文章が構成されているんだよなどと説明するのだが、それが彼らの読解に活かされているようには感じられず、自分の無力さと虚しさを感じていた。

学校の勉強や受験勉強に役立つことがあるとすれば、活字情報を自分の言葉で組み立て直す力が身につくことが挙げられる。現状では、英語にしても何にしても、教科書や参考書の説明を読んで理解する作業をする子が本当に少ない。教えられないと、黙って待っている子どもたちが多い。

自分で本を読めるようになれば、わからないところを調べる気力が湧いてくるのではないか。今までは、私の伝え方の技術をもっと向上させれば問題は解決するのではと意気込んでいるところがあったのだが、そもそも受け入れる素地がないとただ熱のある、羅列された音が聞こえているだけになってしまうだろう。

読解力とは、筆者のメッセージと、その構成を読み取る力と考えている。その力がつけば、自分で文章を書くときにも応用できるはずだ。

「シカゴ スタイルに学ぶ論理的に考え、書く技術」(吉岡友治著 草思社)は、自分の考えをまとめるために、大変有益な本だった。この本を再度読み直して、中3の受験前最後に、なんとか道筋をつけるようにしていきたい。

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いつか、有楽町に。

8時半前のバスに乗って上京。交通会館にある、ふるさと回帰支援センターにご挨拶に行く。先日、千葉県担当の方が視察に来てくださったことをきっかけに、何か再び鴨川市と王国でセミナーでもやれれば、といった話になった。年内にやれればいいのだが。打ち合わせを進めていきたい。

その後、隣にある無印良品の店へ。行ってみたら?というお声かけをいただいたので、行ってみようと思ったのだった。一階は物産の販売になっていて、とてもきれいに展示されていた。美味しそうなピクルスがあったので、お土産に買って帰る。

今、みんなみの里で売っているにらファイトを、いつか無印で売れれば、と思う。その時はにらファイト、という名前ではなくなっているかもしれないのだけど。ふと、展示されている様子が目に浮かんだ。実現するかも?

せっかく東京に来たので、前から行ってみたかった第一教科書へ。JR大久保駅から見える。

ここは普通の書店では売っていない、学校教科書を販売しているお店なのだ。業界の人しか来ないみたいな、静かな店だが、教科書とそれに関連する問題集が飾り気なく並べられていたので、かえって興奮してしまった。

前から欲しかった、中学数学教科書を3学年分購入する。英語にしても数学にしても、今になってみると教科書ってなんて面白いんだと思うのだ。

久々の東京一人歩き。美味しそうな店はたくさんあるし、銀座には高級店がいっぱいだし、完全なお上りさんであった。

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草刈りの日々。

先日も書いたように、最近は自然王国では草刈りを続けている。代表は岩田さんと山小屋のトイレの大改修中なので、一人で草刈りだ。別に一人が嫌なわけではない。むしろ目の前の作業に没頭できるので、好きと言ってもいい。

いつも事務所からの写真ばかりなので、たまには事務所全体が見える写真を。今日も天気が良かったので、日によく映えている。王国に来たばかりの頃は、今は藤本さんの年表などがある部屋で生活していた。だいぶ前にリフォームしたので、昔をしのぶよすがはほとんどないのだけど、この場所が私の鴨川での暮らしの始まりであることには変わりがない。

29歳で鴨川に来てから14年が過ぎて、すっかり中年になってしまい、「最近若者が来ないね」なんて話をすることもしばしばだ。少し、考えや行動が挑戦的というよりは保守的になっているかもしれない。今までやって来たことを振り返ったりするのはその表れと言えるのではないか。

そんなわけで、明日は久しぶりに上京する。iphoneのバッテリー交換を理由にして、ふるさと回帰支援センターに顔出しして、本屋に寄ったりする予定。何を感じられるのか、楽しみにしている。

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拠点、にしよう。

みんなみの里に寄ってみると、自然王国で出している辛胡椒の隣に、にらファイトが置いてある。おかげさまで、いろんな方から感想をいただいている。コツコツ売っていきたい。

昼からは、久しぶりに里山オフィスへ行った。最近は、たまに会議で使う程度で、あまり使えていなかったのが実情だ。里山オフィスを借りようと思ったのは、シェアオフィスという形にすることで、普段はそれぞれの場所でバラバラに仕事をしている人々が集えば、何か新しいものが生まれたり、交流ができるのではないかと思ったからだ。

しかし、実情は、せっかくシェアしている人々もそれぞれの現場が忙しく、わざわざオフィスに集う時間もないといったところなのだ。率直に言えば、目論見が甘かったと思わざるを得ない。

そんなことを思いながら、2時間ほどオフィスで仕事をする。もともと教室だったところなので、広くて天井が高くて、結構落ち着くし、集中して仕事ができる。家にいるといろんなことが気になって、気が散ってしまうことが多い私は、こんな場所があることがとてもありがたい、と改めて思った。

拠点にしよう、と思ったことは、きっと間違ってないと思う。

拠点にする方法が必要なのだ。

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