飯山では。

ちょうさんは少しゆったり過ごしたそうです。
電話の声も、落ち着いていました。
社会福祉協議会のボランティアは現在募集を停止したようで、
これからはさらに個人的にお手伝いを続けるようです。

ちょうさんの活動に賛同してくださり、たくさんのカンパを
いただきました。本当にありがとうございます。
どこかの団体をまとめて支援するのではなく、一個人の活動を
支援するということは、なかなか難しいことですが、顔の見える
活動という点では面白いのではないかと考えています。
ちょうさんは嬉しいながらも、自分がこれだけ応援してもらった
ということに驚きもしていました。
(詳しくは、15日付のコメント欄をご参照ください)

ところで、昨日もお知らせしましたが、当面の予定では22日までの
活動となっております。したがいまして、カンパの募集も17日(火)
を持ちまして終了とさせていただきます。
たくさんの人の縁によって、私たちは支えられていることを強く
感じました。
本当にありがとうございました。

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畑の表情

来週の月曜日、東京でやるあるパーティーに呼ばれています。
去年の5月の里山帰農塾に参加していた映像作家のTさんが
そのパーティーを主催しているのですが、そこで鴨川自然王国
紹介したいということで、今日撮影に訪れていました。

Tさんを案内して畑を見渡してみると、作業で訪れるときとは
異なり、畑自体をゆったり眺めることができました。
ちょうど3日前の豪雨で畑の土はかなり水を含み、野菜
それぞれの色もはっきりと見えます。

考えてみれば、毎朝凍っていたのに、枯れずに元気に育って
くれています。カブの葉などは、霜に当たって、一部分だけ
枯れているのもありますが。
キャベツやブロッコリーを見ても、「健気やな」と思います。
野菜が何を必要としているか、その声を聞き取れるように
なりたいです。

最近、自然王国の一年のイベントを考えているのですが、
中心になるのはやはり畑です。今日はTさんを案内しな
がら、四季の畑の表情を頭に描いていました。
そこにはさんさんと照りつける太陽の下、赤く色づいたトマト、
葉の下に隠れそうなきゅうりたちが顔を出していました。

やっぱり、私は畑が好きみたいです。
畑にいると、やりたいことが沸いて出てきます。
この大地で活動できて、嬉しいです。

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カンパ、感謝です。

「ちょうさん、飯山へゆく」のシリーズを始めて
今日で5日目です。
初日に募集したカンパの呼びかけに応じて、
11日以降ですでに10人の人々がカンパに
ご協力くださっています。
中には、この「王国的生活」を読んで、自分のブログに転載し、
そこでカンパを呼びかけてくださった方もいらっしゃいます。
その結果、ちょうさんを直接は知らない方からも
ご協力をいただくことができました。
本当に、言葉にできないくらい感謝しております。
ありがとうございます。

後先考えず、一本の電話に応えて飛んでいってしまった
ちょうさんに、私が何とか役立てることはないか、と考えて
皆様にお声かけさせていただきました。

当面の予定では、ちょうさんは22日の日曜日くらいまで
飯山で活動する予定
です。
そして、23日か24日には神楽坂の小学校に雪を届けられたら、
という話をしています。発泡スチロールの発注はすでに行いました。
皆様のご協力が、活動に必要なお金に当てられています。
ありがとうございます。

今日は飯山市の道の駅の雪かきをしたそうです。
ここからはちょうさんからのメールの引用です。
道の駅の防火水槽の確保!除雪機の入る高さを
越えるほどの雪なので、スコップを使う!
3時間かかった!プレートは雪の重みで曲がってた!」

さらに、宿泊させてもらっている子供の様子を
伝えてくれるメールから。
ちょうさんがお世話になっているとこの
タイセイ君!いつも僕が雪かきで帰ってきたら、
お帰りなさい!お疲れ様と子供言葉で迎えてくれる!
疲れが飛びます!
ここには4世代が同居です、日本の良き物が残っています

とのことでした。

明日はいよいよ最初にお電話のあったおばさんのお店の
雪かきに向かうそうです。個人的に動けることの強みが
ここにありますよね。

さて、「ちょうさんがんばれ」とばかり言ってないで、
私もばりばり王国で実践しなければなりません。
昨日は、我が家に登紀子さんが泊まってくれました。
妻と三人で、いろいろな話ができて楽しかったです。
登紀子さんと話をすると、なんかわくわくしてきます。
話に触発されて、やる気になってきます。
ばりばりやることで、道が見つけられるのでは?という
期待もあります。はりきってゆこう。

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会議終了

自然王国会議が行われました。
今年度の里山帰農塾をどのように進めていくかが、
主な議題です。
里山帰農塾も継続的に始めて今年は4年目。
ひとつの転機を迎えています。
団塊世代にターゲットを合わせつつも、
王国ならではの提案をしていけるような体制を
とりたいです。
農的生活は新しいライフスタイルであることを、
楽しく実践しながら伝えてゆきます。

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普段の飯山

今、飯山には平日に40人、休日には70人くらいの
ボランティアさんがお手伝いに来てくれています。
皆さん休みを利用してくださっているようなので、
「大変な」飯山しか味わえずに帰るようにもなります。

飯山と鴨川を愛する男、ちょうさんは、ここぞとばかりに
気持ちが盛り上がってきます。
「普段の飯山は、こんなふうにグリーンツーリズムの取り組みを
しているんですよ」
「菜の花がきれいで、5月には菜の花祭りをしているんですよ」
など、たくさんの飯山のいいところを伝えているようです。

現場にいると、ともすれば現状の大変さに気を奪われ、
「普段の飯山はこうだよ」とはいえないかもしれませんが、
そこは地元人ではないちょうさんには客観的に気づける部分も
あるのですね。

私も、去年の6月に訪問させてもらいましたが、
「今度は冬においでよ〜」といわれながら果たせないままです。
でも、去年に飯山を訪問できたからこそ、
今こんな風にインターネットを通じて応援体制をつくろうと
思ったのです。
結局のところ、ちょうさんという一人物を通して、私は飯山で
知り合ったたくさんの人々、土地を想うのでしょう。
なんだか私も行きたくなってきたな〜。

カンパ、道具購入費などに当てさせてもらっているようです。
ある種の防雪スプレー?をかけると、スコップに雪が
つきにくいそうなので、それを購入させてもらってボランティアさんにも
使ってもらっている、とのことです。
真っ暗な夜道は危険なので、車につける反射板も購入し、
安全に活動できる体制を整えています。

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ちょうさん、ピンチ?!

雪かきをしようと、スコップを勢いよくいれたその時、
・・・ちょうさんの眼鏡は割れてしまいました!
どうやら、雪の中に埋まっていた小石をはじいてしまったようです。
「眼鏡をかけていなかったら危なかったよ〜」と言っていました。
飯山に入って3日目、緊張の連続でかなり疲れているみたいです。

「でも、すごいよ。みんな雪かきをした後にきれいな階段を作るんだ。
それを見て、雪かきも生活の一部なんだなって思ったよ。」
そうですよね。ちょうさんにとっては、緊急支援活動ですが、
雪深い場所の人々には、普通の生活なんですものね。

「おれは雪かきも上手にできないし、なかなか役に立てないよ。」
とも言っていましたが、飯山の方の立場から考えたら、
ちょうさんが助けに来てくれたことはどれだけ嬉しいでしょう?

実は私は、95年1月17日に阪神大震災に遭いました。
その時、嬉しかったのは、電車が止まってしまったため、長い時間をかけて
歩いてきてくれた友人、生死不明だった私のためにずっとラジオで安否確認
の放送を頼んでくれた友人。中学校の校庭に水を入れたタンクを積んで
駆けつけてくれた造園業者のおじさんたちのことです。
具体的に動いてくれた人々の存在が、どれだけ私の助けになってくれたか。
あの時私たちを助けてくれた無数の人たちの存在が、無意識のうちに
私の心に深く刻み込まれています。

今、ちょうさんは具体的に顔の見える活動をしています。
顔見知りなちょうさんが、助けに来てくれただけで、
きっと元気を取り戻していらっしゃるように思います。

ちょうさんは現在、私たちも昨年6月にお世話になった
高源院で宿泊させてもらっています。ご飯も家族の皆さんと
ご一緒させていただいているそうです。
「鴨川でも田中さん家http://blog3.fc2.com/yugakunomori/
杉山さん家http://www7.ocn.ne.jp/~sasaya/kamaba.htmlでお世話になってるけど、
こっちでも家族みたいなつきあいができて嬉しいよ」
と言っていました。

明日は、飯山市社会福祉協議会関連のボランティア活動をするようです。
たくさん来ているボランティアさんと、横のつながりを作っていきたい
とのことでした。

「体はぼろぼろだけど、楽しくやっていますよ!」と元気に話していましたよ。
大変なところにすっと体ごと入っていけるしなやかさ、
私も学びたいです。

最近自然王国の動きをお伝えしていませんが、
今日は近所で田んぼを手広くやっていらっしゃる方の
家にもみがらを取りに行きましたよ。

主な用途は、畑の排水をよくするための
土壌改良資材としての用途です。
寒かったり、資料作りがあったりする毎日ですが、
やっぱり体を動かすことが一番気持ちいいですね。

(なお、眼鏡は低価格の新しいものを買えたそうです。)

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飯山からの電話

ちょうさんから、連絡第二弾がありました。
(以下の話は、電話を元に構成しているので部分的に
不正確な点があるかもしれませんが、わかった時点で訂正します)

昨日、一日の仕事を終えて一緒に仕事をしていた人たちと
軽くお酒を飲んでいたそうです。

そのときに、「うちの知り合いが母子家庭で、
雪かきができなくて大変なんだ」という話になりました。
その母子家庭には、知り合いの男手があるので、
社会福祉協議会などのボランティアは、独居老人、
男手がない家などを優先的に回るのでその家庭まで
手が回らないのです。
「じゃ、その男手がやればいいじゃん」
ということになりますが、日本人の美徳といいましょうか、
全体を見て動く、といいいましょうか、
身内はやはり昼間の仕事を終えてから、ということになるようです。
身内にまでは手が回らないのが実情ですね。

「じゃあ、明日は僕たちが手伝いましょう」
ということで、今日はちょうさんたちは3人でその家の
雪かきをしにいきました。
「手伝ってくれない?お願いするよ」と頼まれて動くのではなく、
何気ないその場の会話で行動が決まるフットワークの軽さが
いいですね。

ところで、飯山でもかやぶきの上に合板で屋根の補強を
しているのですが、ちょうさんのようなよそから来た人には、
どこまでが屋根でどこまでが道かわからず、
(雪が、屋根のあたりまで積もっているのでしょうか?)
すごく滑りやすいようです。

「小原さんが100人くらい必要だよ~」
と言っていましたが、現在現場にいるのはちょうさんだけ
なのだから、がんばってもらわねばなりません。
「今日はお寺のお坊さんと一緒に雪かきをしたから、
徳のある人と徳のあることをしたよ!」
などと言っていました。こんなギャグをいえるようなら、
まだ踏ん張れそうですね。

とは言うものの、飯山市内ではご近所同士で結構小さなけんかがあるようです。
近接しているので、「これはお前の雪だろう?こんなところに置くなよ
とか、屋根にはしごをかけて上りながら言い合っているそうな。
昨日も書きましたが、毎日のことなので、神経も毛羽立っていそうです。
雪の問題が解決すればこんなこともなくなるのでしょうけど・・・

カンパは、もう少し募集を継続します。
ちょうさんの、顔の見える活動にどうかご協力お願いします。

最後に、ちょうさんからのお願いを書いておきます。
「お金もすごく嬉しいんですけど、
飯山のみんなはがんばっているので、
飯山に励ましのファックスやメールをくれると嬉しいです。
よろしくお願いします」とのことでした。

私がピックアップしたところの情報だけ書いておきます。

飯山市役所
〒389-2292 飯山市 飯山1110−1
TEL(0269)62-3111 FAX(0269)62-5990

飯山市社会福祉協議会
http://www.iiyama-catv.ne.jp/~s.fukusi/

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ちょうさん、冬の山へ

今日から、ちょうさんhttp://www.k-sizenohkoku.com/stuff_top.html
(スタッフ紹介の最下段をご覧ください)が、長野県飯山市に入っています。
彼は昨年まで、東京は神楽坂にあった、
飯山市東京事務所の所長をやっていました。
現在は、介護の仕事を探しながら、鴨川自然王国でも
活動しています。

ちょうさんが所長をしていた東京事務所の名前は、『故郷庵』といいます。
彼が所長をしている間、故郷庵には近所の小学生たちが、
「ちょうさん、ちょうさん」と毎日のように集まってきていたそうです。
これは別に仕事と関係がないのですが、ちょうさんはこんなふうに
誰とでもすっと仲良くなれてしまう、不思議な力を持っています。

昨年6月には、石田さん、Yaeちゃんたちと一緒に飯山市を訪問しましたが、
その企画もちょうさんをはじめとした人たちが懸命に取り組んでくれたからこそ
できた企画でした。

一昨日、そんなちょうさんに「大変だから、助けに来て!」という電話が
飯山から入りました。電話の主は、飯山では元気なおばさんとして有名な方からで、
その人が元気のない声で助けを求めてきているということは相当大変な状況です。

ここですっと立てるのがちょうさんの真骨頂です。

「飯山緊急支援基金」のカンパ箱を作って、飯山に行く費用の
カンパを集め始めました。
私も、飯山で知り合った人々の顔を思い浮かべながら、わずかながら
カンパをさせてもらいました。

そして今日、飯山に入ったちょうさんから連絡をもらいました。

飯山の道は雪が積もって、車の通るところ以外は
高い壁になっており、視界も悪いそうです。
今日は、雪に閉じ込められて出られない人の家の
雪かきを、5人一組でやったということです。
電線が落ちたり、外付けの灯油タンクが雪でひしゃげたりと、
雪害がひどいようです。
飯山は雪国なので、皆さん雪かきは手馴れたものだそうですが、
何度雪をかいてもすぐに積もってしまい、
きりがなくなり疲れてしまっている、とのことです。
もちろん、お年寄りの家はもっと大変な状況でしょう。

頼みの綱の自衛隊も明日には撤収してしまう予定です。
さらに、雪をかいても、その雪の捨て場所に困っている状態です。

そこでひとつ、ちょうさんから提案がありました。
飯山の雪を、東京の神楽坂の子供たちに届けよう
というのです。
鴨川にも届けようと考えたのですが、以外に鴨川にも
雪が降るので鴨川案は却下されました。
飯山には雪だるまの格好をした発泡スチロールなどが
売っているそうですが、
なんと!それが一個1500円もするのです・・・!

ちょうさんは自分がアルバイトをしてでも、
そのお金を捻出しようとしています。
もちろん、その発泡スチロールを使うことだけが雪の処分に
対応できるわけではありませんが、
微生物のはたらき(本人談)だけど何か役に立ちたい、ということです。

私たちにできることは何かないでしょうか。
みんなでカンパして、飯山に贈るのはどうでしょう?
募金をしても誰がどのように使っているかわからない募金が多い中で、
今回の募金は誰のどんな役に立つのかがわかります。
そして、そのお金を使うのはちょうさんです。
彼ならきっと、有意義にお金を使ってくれるはずです。

われこそ、と思う方は
カンパを郵便局で定額小為替にして、
296-0237 千葉県鴨川市大山平塚乙2−732−2
鴨川自然王国内 宮田武宏宛てでご発送ください。

加えて、直接カンパを振り込んでくださる方は、
ちょうさんの銀行口座をお伝えしますので、
[email protected](私のメールアドレス)まで
ご連絡ください。

今後も連絡があり次第飯山情報を掲載してゆきます。

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田を持つこと

鴨川市でも、年を経るごとに米作りができなくなり、
田んぼを任せたりする人が多くなってきます。
妻の実家も、亡くなったおじいさんが年をとってから、
近所の人に頼むようになりました。

今日は、持っている田んぼをぐるっと一回りしながら、
水路のある場所などを教えてもらいました。
2月末からは、組の役に出なければならず、田のことを
知っておく必要があるのです。

田んぼを任されている方は、この地域では有名な方で、
多くの人の田んぼを一手に引き受けてやっていらっしゃいます。
彼の技術もさることながら、人柄がとてもいいそうです。

『任される』ということは、それだけ信頼されているということですよね。
ふりかえってみて、私は信頼に足る人間だろうか。
信頼を受けていても、その信頼を裏切っていないだろうか。
人に誠実に対応しているだろうか。
自分に問いかけてみました。

いつか、うちの田んぼをやれる日が来るかもしれません。
そのとき、あわてないように、今から少しずつ準備してゆこう。
『田を持つ』ということは、稲を栽培するほかに、
たくさんの仕事があるということです。
直接的な準備のほかにも、草刈をしたり、田の水の順番を待ったり、
農業機械の順番を待ったり、いろいろあります。

私のようなよそ者は、そんなに簡単に信頼してもらえないでしょうが、
まずは明るく、笑顔で入っていこうと思っています。
何も知らなくても、笑顔でいることはできますから。
微笑んでいよう。

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草木灰作り

昨日みんなで片付けたアスパラガスと枯草を燃やして、
草木灰を作りました。
昨年はドラム缶の中で燃やしたため、なかなかうまく燃えなかった
のですが、今年はちょっとだけ工夫しました。

燃え広がらないように、地面を丸く掘り、くぼみを作ります。
そこにダンボール、竹、落ち葉を置き、その上にまきを組みます。
火がまきに燃え移った段階で乾いた草を乗せていきます。

枯れ草に一気に火が燃え移り、注意しながらやらないと危険です。
幸い、昨日から来てくれている会員のTさんが手伝ってくれたので、
声を掛け合いながら進めることができました。

草木灰は、真っ白く燃え尽きさせてしまうと養分も全部飛んでしまうので、
黒く燃え残っている状態で火が消えるのが理想とされています。
燃えている草の上に、一定量の枯れ草を置くと
ちょうどいい塩梅にいぶされます。

午前中の二時間弱しか作業できませんでしたが、
積んである枯れ草の4分の1ほどは燃やすことができました。
虫除けにも、肥料にもなると、なかなか使い出がある草木灰なので、
上手に作れるようになりたいものです。

今西錦司が、藤本さんに言った言葉です。
「わからなくなったら現場にきくんやな」
「話が混乱して、つじつま合わんようになったら、
野っぱらに出て、ウロウロ歩くことやな」
「それでもわからん時は、日暮れ前に山に登るこっちゃな」
(農的幸福論―藤本敏夫からの遺言より)

中坊公平さんも言っています。
『現場にすべてがある』と。

私に足りないのは、とにかく現場経験が
少ないことだろう。
一年たち、二年目を迎えるのですが、
四の五の言う前に現場経験を積んでゆきます。
今私が思うのは、これだけです。

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