人と会う

ブログを再開してから、駄文ながら毎日書き続けてきたが、1カ月強でダウン。
昨日は休みで、どっと気が抜けるからか9時過ぎには子どもとともに寝てしまい、起きたら1時半だったので、
そのまま寝ることにしてしまった。
今日からまた再開することにする。

久しぶりの鴨川での仕事。
どうしてもまわらなければならない家が何軒かあった。

1軒目はTさん。
道路が陥没してしまって、直してほしいところがあるのだが、
役所がどのようなところまでやってくれるかはっきり聞いていないという訴え。
役所に電話して、工事内容を聞き、それを伝えにお宅へ伺った。
雨の中、ご夫妻で待っていてくれて、ひとしきり内容をお伝えする。
工事が始まってから、進捗状況を確かめようという話になった。
来週再訪の必要あり。訪ねたことを、喜んでくれているようだった。

2軒目はHさん。
私が退職した後の事務局を務めている方だ。
どうすればいろんなイベントを地元の人とやれるのか、話し合う。
残念ながら時間切れ。
マニフェストに対する要望を書いてくれるようにお願いしてきた。

3軒目はAさん。
彼は今、議員がいなくなった後の施設の事務局長を務めている。
彼が作った生物多様性のパワーポイント資料を見せてもらったら、
感激するほどの出来であった。
これをみれば、水田における生物多様性耕作放棄地と比較して
どのようなものなのか、また季節ごとに生息する虫が違うことの概要がよくわかる。
さすがN大大学院卒である。

4軒目はTA夫妻。
彼らからは、「民主党の地域主権政策に注目している」と言われた。
私自身も個人的には地域主権政策に最も着目しているので、なおさら意を強くする。
「原子力発電推進がなければ、もっと期待できるのだけど」
との言葉もあったが、これはなんとも私のレベルでは動かしがたい問題。
注目して追っかけて行くしかない。
私のやりたいことを話すと、
「それをやっていくのがいいな」と言ってもらった。
やはり私は、将来的にはやりたい方向に進んでいくのだろうと思う。

5軒目はSさん。
5歳の三男と神経衰弱をする。残念ながら時間が迫っておりSさんと話があまりできなかったが、
私の婚姻における保証人であるので、折あれば訪れるようにしているので、またの機会に。
彼は鴨川のお父さんみたいな感じだ。
民主党の党員・サポーター集めに行ったのだが、話を切り出す暇もなかった。

6軒目はKさん。
廃校利用問題を一緒に行っている人だ。
確認したこと。
大きなことを、今すぐやれなくてもいい。
やれることを、着実にやってゆこう。
目的とするところは、大山地域が元気に、活性化することだ。
そのために、一時的には成し遂げられなくてもやむを得ない。
みんなの気持ちを集めて、継続的な活動をしてゆこうと確認。
私がいかに人の意見に流されて自分の筋がぶれてしまうかを痛感した。
結局、やりたいことは地域コミュニティの再生、維持と
多くの人が集まって過ごせる場作りなのだから。

7軒目はOさんとともにNさん宅へ。
民主党の政策である子ども手当と、年金に対する問題を伝えたいとのことなので、
夜8時過ぎからうかがう。
2時間以上話をした結果、「民主党を応援しているから。」という言葉に至った。
後援会や、総支部の活動でいろいろと話を聞くけど、あまり知らない人にこんなに長く話を聞くのは初めて。

そういえば、私の特技は人の話を聞くことであった。
人の話を聞くことで、この世界で生きていけるかもしれない、
いや、生きていけると思った。
政治家ではなく、秘書なので、自分の思いを述べる必要はない。
人々の思いを聞いて、それを政治家に伝え、政策として実現していくことができれば、
職務を全うすることができる。
政治家と人々とをつなぐ仕事も、秘書の仕事のひとつなのだと知った。

人と会うのは、秘書の大切な仕事だし、
この仕事をやらせてもらえることに感謝したい。

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廃校問題の行方

「そろそろみんな飽きてきているし、疲れているんじゃないか?」
と言われた。
確かに、そうかもしれない。
今のまま廃校利用イベントをやっていても、先が見えない活動が続くだけのように見えるから。
「よそから来た人は答えを急ぐからね。地元の人は、石橋を叩いて渡るからね。」

廃校を何とか利用したいという私の思いは、夢に過ぎないのか。
大体、私自身の今の仕事のままで廃校利用ができるのか。
地域コミュニティの再生というのは、夢物語に過ぎないのか。

私には、大山地域が輝いている姿が、まだ見えない。
そう考える私も、疲れて、追い詰められているのかもしれない。
明日の休みで、少し考えてみたい。

何を目的として、私は鴨川で地域活性化活動をするのか?

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ひとり寝の…

午前中は鴨川にいて、夕方に東京へ。
自宅の書棚から取り出した本を読む。

哲学の冒険―生きることの意味を探して (平凡社ライブラリー (294))

哲学の冒険―生きることの意味を探して (平凡社ライブラリー (294))

この本は15歳の少年が哲学ノートをつけてゆくという物語。

ソフィーの世界―哲学者からの不思議な手紙

ソフィーの世界―哲学者からの不思議な手紙

こんな本もあったけど。
今は亡き池田晶子がぼろくそに書いていたのが印象的。
それはそうと、内山節さんの本はとてもゆったりと論理が展開する。
哲学を何のために学ぶか。
それは、未来を怖がらず、人生を楽しむために生きるためだ、そうだ。
私は来月35歳。
何年も前に買った本だけど、必要な本には必要な時に出会うものだ。
これがきっと私の幸運なところだろう。

代々木駅近くの黒田屋というラーメン屋でビールを飲んで、
ラーメンを食べて、チャーハンを食べて帰ってきた。
そして、ひとり寝の子守唄という加藤登紀子さんの歌があるけど、
今日の私はひとり寝の枝雀師匠である。

桂枝雀のわんだー・らんど

桂枝雀のわんだー・らんど

最高ですよ、これ。
枝雀師匠の落語を聞いてからのほうがいいかもしれないけど。

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折れない心

信頼できる友人が、政治家の心得として、
「あることないこと言われても、それに耐えれることかな」と言っていた。
いいえて妙。
普段の生活の中でも、あることないこと言われたり、誇張されたり、
責任転嫁されたりということがある。
それにあちこち合理化なり正当化することは、めんどくさいし、疲れるし、
結局誤解されてしまう。
それに拘泥していては、眼前の大魚を逃すだろう。
まあそれにしても、世の中の人はいろんなことを言うものだ。
今までいた世界では、まるで羊水の中に浸かっていたようなものだ。
今は、しょうがないけど。

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車中で

朝は新宿御苑
その後京王プラザホテル。
代々木アースデイを駆け足で。
夜は鴨川事務所にて総支部役員会。
九時から東京へ。まさか行くことになるとは思わなかつた…
到着後三分で帰路へつく。
帰宅は12時過ぎ。
ついカップヌードルを買ってしまう。
そろそろ寝よう。
明日も忙しい日々が続く。

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衝動買い

晴子情歌 上

晴子情歌 上

晴子情歌 下

晴子情歌 下

新リア王 上

新リア王 上

新リア王 下

新リア王 下

上記4冊は過去に読んだのだけど、
複雑なことをまともに考えたくて、購入した。
送料込みで3600円なので、まぁまぁの値段。

高村薫は、物事を詳細に描くので、
読んでいると疲れるのだけど、その世界に深く入り込むことができるところが好きだ。
晴子情歌、新リア王ともにテーマが重い。
でも、その重さが自分にとって必要な気がしている。

そして以下が昨年出た本になる。
中古が出ていないので、新刊で購入予定。

太陽を曳く馬〈上〉

太陽を曳く馬〈上〉

太陽を曳く馬〈下〉

太陽を曳く馬〈下〉

小熊英二の「1968」も読めていないので、これらの購入はもう少し後回し。
そのうち小熊英二も全部読みたくなるんだろう。
ただ、この人の本は値が張るので月間の購入予算を簡単に越えてしまうことが唯一の問題…
読む価値はあるので、だんだん買えばいいだろう。

本は、買える時に買うしか方法がないから。

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鴨川に帰ってきた。

一週間のうち、東京への短期出張を繰り返す(笑)。
今週の場合、月火は東京、水木は鴨川、金土は東京。といった感じ。
初期のころは東京に家を借りる算段もあったのだけど、
これだけ行ったり来たりしては家を借りるともったいない。
今はさる方のご厚意に甘えて、泊まらせてもらっている。

鴨川に帰ってきたのは支持者獲得の地域回りをするためなのだが、
結局は事務仕事をこなさねばならず、外になかなか出られない。
外に出られなければノルマも達成しづらいので問題。
明日は外に出られる段取りにしたいのだけど。

まぁなんにしても、この仕事はどれだけ人にかまってもらえるかなのだと思う。
営利が絡ませづらいので、大変な部分もあるのだけど、
その分だけ人間的なところで勝負できるのかもしれない。

いろんなことを言う人はどこにでもいる。
うまくいかない人もどこにでもいる。
どこかに逃げても、そこでもきっと誰かいる。

だとしたら、別に萎縮することもない。
みんな、人間だ。
私は私を、開いてゆこう。

いい加減、自分を解放したい今日この頃。
家に帰って、時間があれば「龍馬伝」を見て、
先日やっていた「わが家の歴史」を見て、
さらにたまっている日記を書いて、
読んでいない本を読みたいのだが、
疲れてしまって結局眠るだけ〜になるのだろう。

娘たちと遊ぶのが楽しみ。

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向き不向き

何に向いていて、何に向いてないかを判断するのは難しい。
昔からの考えの癖でもあるのだが、
声を掛けられてこの場にいる以上、そこには何らかの意味で私に存在意義があると考えてしまうのだ。
実はたんに、人手不足だったからかもしれないが。

こんなにあれこれ考えるのは久しぶりかどうかも覚えてないけど、
先日、あの結城登美雄さんでさえ「60過ぎても悩むぞ」と言っていた。
無論私の悩みとは質が違うものなのだろうが、
人間ずっと悩み続けるのだと考えれば、決して追いつめられることもない。

大切なことは、深刻になりすぎないこと。
今日はそんなことに気づかされた。
愚痴を言ってもしょうがないというのは前から思っていたのだけど、
深刻になりすぎるというのも私の癖の一つ。

人の目を気にしすぎて、自分らしいものを失ってしまう。
自分らしいとは何かも問題になるのだけど、落ち着いて自分の行動を見つめた時、
その行動を認められるかどうかが一つの判断基準となる。

人が何か言うことも、一歩引いて考えてみよう。
自分が固ければ、相手も固くなってしまうだろう。
気にすることはない。
我も人間、彼も人間である。
恐れることはない。

そんなことを、赤坂ランチを終えた後考えたのだった。

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8か月を過ぎて

この仕事について満8カ月が過ぎた。
想像していたより大変だというか、気の遣い方が大変だ。
最初は、というかつい最近まではもう本当にしんどくて、すぐにでもやめたいと思っていた。
大体、政治活動が好きではないくせに、政治活動のみが仕事であるといっても過言ではない世界に飛び込んでしまったのだから。

どのように働いてゆこうかいろいろと悩むことがあったのだけど、ふと思ったのは、「どうにせよ、私は結局私としてしか生きてゆけない」ということだ。
前提として、政治経験がゼロというのは認めなければならない。
また、社会人経験というか、サラリーマン経験がないのも事実である。
それに伴い若干社会的に未熟なところもある。

しかし、それは根本的なことではない。
根本的なことは、どのように仕事をし、結果を出すかということだろう。
私は余りにも周りに気を回しすぎて、虚心坦懐に仕事に向かえなくなっていた。
かなり、無理をしていて精神的にも疲れていた。
周りに気を使って生きるのは本当に疲れる。

なにがいいたいかというと、もっとさまざまなことを真正面からすべて受け止めるのではなく
軽くかわしていこうということだ。
こんなことで身を持ち崩していては、この先何にもならない。
私は私として、私らしい責任の果たし方をしよう。

そう思うと、少しすっきりしたし、軽やかになった気がした。

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