結城ゼミ@早大に参加

今年1月以来の結城登美雄ゼミ。
友人のU君から誘いを受けて、聴講生になりました。
今回は農水省に入って5日目の若き官僚のみなさんも参加しての結城ゼミ。

結城さんの言葉は、慈雨のように私の胸にしみてきました。
そして、自分のやるべきこと、やりたいことも自然に見えてくるのです。

80年代初めまでには、農業改良普及員の仕事は効率主義に代わってしまい、
それまでやっていた、お年寄りに合わせた作物を紹介したりすることは
後回しになってしまい、”地域に寄り添う人間がお上から消えた”という
状況になったそうです。

結城さんが鳴子の米プロジェクトでやっていることを、結城さんは
「一人農業改良普及員だ」といっていました。
鳴子に合う米を探してもらい、それを勧めて、いくらで売れるか提案する。
農家に対する「ケア」ではなく、農家のプライドをくすぐり、やる気になってもらう。
そんな仕事が農業改良普及員の仕事だったようです。

それがなくなってしまった今、必要とされているのは”地域NPO”という存在です。
県→市町村→自治会や区長会→各戸というタテの流れから、
それぞれの地域に衛生的に地域をつなぐNPOが存在し、
それが地域の問題を自治的に解決しながら、うまくいかない、力量的に足りない場合は
行政と共同で行うということが必要だという考えです。

これはきっと、私がこの、鴨川は大山の地域で実現したいことなのです。
ただ単に、大山小を利活用したいわけではない。
地域の問題を解決するための存在、地域のコミュニティを維持していく存在、
新たに移住してきたり、観光で来たりした人々をつなぐ存在、
そういう存在に、大山小がなったらいいと思っているのです。

残念ながら、それには収入が付いていかないかもしれない。
でも、それは複業をしながら、カバーしていくつもり。
一つの仕事だけで満足に収入が得られないのなら、複数の仕事から収入を得るしかない。

姜尚中さんは、結城さんに
「民の力を信じましょう」
と言ったそうです。

民の力を、信じたい。
今日参加してくれたS新聞社の記者さんは、
「ここに参加した人々には、ほのかな希望がある」
といっていました。
結城さんの目論見では、この結城ゼミは都市における地域NPO的な存在にしたいようです。
大山で活動しながら、こちらにも取り組みたい。

希望は、ここにある。

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心配かけてます

私の中で勝手に決めていることは、
なんとか一行だけでも書こうということ。
だから、書く文に質がなくても書いていこうと思っています。
心に余裕がないと、書けない。
プロならこんな戯言は言ってられないんですけど。
読んでくれる皆さんには、申し訳ありません。

プレス民主の文章に気を遣いすぎと指摘されました。
ブログを書くみたいに書けばいいのにといわれるが、
なかなかそううまくはいかない。

考えてみれば私はこの仕事に就いてから肩が凝りすぎている。
今までの経験がゼロになったような感じ。
どんくささに拍車がかかったともいわれるが、それもむべなるかな。

ただでさえ体が硬いのに、気を遣ってもっと肩が凝り、体が硬くなる。
何とかこの状態から脱出したい今日この頃。

妻子が寝た家に二日ぶりに帰ってきた。
ご飯がなかったので、冷凍ご飯、冷凍鶏もも肉、玉ねぎを出してきた。
もも肉を玉ねぎといため、解凍したご飯にいためものをのせ、
スライスチーズを置き、それにマヨネーズと七味としょうゆで味付け。
久しぶりに料理した〜。
こんな時間に食べるのは体に悪いのだけど、
自分で作ったご飯はやはり美味。

先日図書館で借りてきた

1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景

1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景

を気合入れて読むか。

明日は早朝から草刈り。
その後みかん定植。
昼に間に合うように早稲田大学にて結城登美雄ゼミへ。
結城さんにあって、自分を見つめなおそう。

なんだかんだ言っても、結局毎日楽しく過ごしているのだけど。

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なんとなく、でもいいのかな

いつも読んでいるブログ、内田樹の研究室http://blog.tatsuru.com/2010/04/04_1155.php
何となくやり続けて居るほうが身になる、という逆説的な考え。
「この仕事で何したいの?」ときかれてはっきり答えられないもどかしさを感じていたが、
続けてゆこうと思う理由を私は探しながら仕事をしているのだろう。
何か、意味があるのだろう。

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”土に帰れ”は都会人のお遊びか?

さて、ようやく亀田病院の国会議員21人視察も終わったので、ブログをかくことができそうだ。

先日のGOさんのコメントで、友人の話として、
「土に帰れ」というのは結局都会の人が言うこと。田舎に住む我々にとっては土に帰れは当たり前の思想。現場を知らない人が、気持ちよくなるために行っている考えに過ぎない。という内容のことが言われるがそれに対してどうか?というものだった。
(共同体格差については稿を改めさせてください)

このコメントは、
1 ”土に帰れ”は現場を知らない人が言うこと
2 ”土に帰れ”は田舎に住む人にとっては当たり前だ
という二つの点で成り立っている。

1について
これは確かに、現場を知らない人が言うことだといわれても仕方のない面がある。
わたしもいろいろと都市農村交流事業をやってきたが、あ〜、この人は本当に時代のノリでやってるな〜という人はいるものだ。
しかし、こういう人だけを相手にするのは問題ではないだろうか。
”土に帰れ”という思想に限らず、自分の生活を本当に変えようとして農村に移住してくる人は増えている。
(移住暮らしに成功不成功の統計はあるのか?というコメントもあったが、きっとないと思う。論拠として不十分だが、今回に関してはとりあえず私の経験と実感に基づいて書かせてもらいたい)
ディープエコロジーや、スピリチュアル、玄米菜食、マクロビオテック、自然農など様々な思想に心酔している人もいるが、都市農村交流事業を通して地域活性化を考えたり、農村で暮らしながら一般的な仕事をしている人もいる。
話が大回りしているが、要するに現代では思想の前に体が動いている人も一定程度いるということ。
そういう人を半分揶揄するような形であげつらうのは若干的を外しているのではないか、と思う。

2について
”土に帰れ”が農村に住む人にとって当たり前だ、ということも一見正しいように見える。
たしかに、農村にとっては土が当たり前。どんな小さな家にも小さな畑があって、田んぼを持っている人も多い。
しかし、兼業であっても田んぼをやっている人は実は少ない。ほとんどの人はある一定の農家に小作に出しているのだ。
(これも、正確さを欠くが私の住む南房総鴨川を出発点として述べている)

たとえば、私の所属する消防団では、団員25人のうち、自分で田んぼをやっているのは3人のみだ。
しかも、問題となるのは”土に帰れ”という言葉で表す言葉の内容である。
単純に言うと、この思想はすべてを大地の上に立脚させて、机上の空論を並べるのではなく、実践を伴いながら社会変革、社会維持をしていくということだと考えている。
農村の人にとっては、農村に住むことは当たり前でもありやむを得ない結果であり、例えば長男に生まれたとかいう事情であったりするのだ。農村に住むことを誇りに思っている人も、少ないかもしれない。

だから、極端にいえば、”土に帰れ”はやむを得ない結果であり、それを積極的にとらえるのが都会人であったり、冷ややかに眺めているの農村の人、といえるのかもしれない。

そこで、私である。
何の因果か、私は江戸時代から続く農家の婿になってしまった。
現在田んぼには手をつけていないが、田も畑もある。
その意味では、”土に帰れ”と声高に叫ばずとも土に接するしかない立場である。
だって私はよほどのことがないと鴨川を離れないだろうから。

だから、やれるだけ畑をやるつもり。
口だけといわれることが多いので、口だけのままでいたくはないから。
元都会人として、揶揄されるだけの存在にはなりたくないから。

図らずも、私は今こういう立場にいる。
先ほど反論した中身は、私の実践と表現で説得していくしかないだろう。

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