稲に異変!!!

自然に起こったものではありません。
育苗箱の表示ミスから起こったことです。
どういうことかというと、大隈塾社会人ゼミで稲を植えた田んぼに,2種類の稲が植わっているのです!
写真を撮ってこなかったのですが,一番上の大きな田んぼにはもう穂が足れているものとまだ穂が出たばかりのものと,はっきりわかる状態です。
あらら。
収穫時期はずれるし,はざかけの場所も考えねばなりません。
王国の苗は地元の農家さんより購入しているのですが,どうやらそこの手違いがあったようなのです。
う〜ん。
解決策は,ありません。
対応は,先述しましたが,収穫時期をわける、はざかけも分けて作るということになります。
申訳ありません。

さらに、稲の生長がまだ読めません。
王国イベントの稲刈りは,9月6日,7日を予定していますが,ひょっとしたらずれるかもしれません。
出穂から30日が稲刈りの目安です。
出穂は8月8日頃だったので本来ならば間に合いません!!!
石田さんによれば,照れば何とかなるかもしれないとのことです。

心配されていた水の件ですが,王国田んぼは無事に乗り切ることができたようです。
今週から,田に溝を切って水を抜き始めます。
今度のお祈りは,日照りが続くことです!
(でも畑には,雨が欲しいです,相変わらず・・・)

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実弟来鴨

10歳下の弟が、鴨川に来ます。
彼は今年度から私立高校の先生を始めました。
私とは違い(苦笑)、2年の留学生活を経て、堅実に就職しました。
仕事を始めて、教育という仕事の大変さを身にしみて感じているようです。

10歳下ということもあってか、私は彼に結構きつく言ってきてしまいました。
その当時は、自分も20代であり、弟の気持ちをよくわかってやれなかったり、
自分に驕る気持ちがあったり、自分の中途半端さ、ふがいなさに悩んでいたその憤懣を弟に当たっていたのかもしれない、と思います。
というのも、「兄にきつく言われた」と弟自身が言っているからです(あらら)。
弟よ、申し訳ない。
兄は今でもそうだが、昔はもっと自分勝手で支配的権力的だったのだ。
少しずつ成長しているので、許しておくれ。

というわけで、学校で雑務があるものの休みをとってはるばる夜行バスで来鴨する弟を、
えらそうに指導(!)するのではなく、話を聞いてやりたいと思っています。
話さなくても、今日はお休みをいただいたので、知足農園(自宅の菜園)を一緒にやりたいと思います。

何はともあれ、弟よ、ようこそ鴨川へ!

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阪急電車

私が兵庫県出身であることから、親戚が勧めてくれ,おまけにわざわざ鴨川まで送ってくれました。
これは今年の正月のことでしたが,お盆になり親戚が来るので,返す前に再読しました。

阪急電車

阪急電車

阪急今津線が,この小説の舞台です。
私が大学やアルバイト,そしてデート!(たまにね)にいくときに使っていた線なのです。
内容に入る前に,既に舞台設定だけで懐かしいです。

軽く読める内容の小説ですが,おもしろいと思ったのは電車、駅という多くの見知らぬ人が通り過ぎる中での偶然に見える出会いが描かれ,それぞれの人生がそこから垣間見えるところです。
各駅ごとに人の出会いがあって,読み進めるたびにそれぞれが関連して展開していきます。

最近ある本で「視点移動することが大切だ」という言葉に出会いました。
”視点移動”とは、読んで字のごとく視点を移動させてあるものを眺めることと認識しています。
電車の中では多くの人とすれ違いますが,それはほとんど”人”の形をしているだけで,具体的な”誰それさん”という存在になりにくいものです。
登場人物たちは、普段の私たちと同じようにいろんな人とすれ違っていきますが,私たちは作品を読んでいるのでそれぞれの人物の背景を知っています。
視点が変わるだけで,登場人物たちが違った色に見えてくるのがおもしろいです。
普段の生活でも,私からの視点だけでなく,相手の視点に立ったり,また第三者の視点に立ってみたらどうだろう?と考えるのは有益な気がしました。

ふと疲れたときに読むと,ほっとしたり、和やかな気分になれる本です。
自分が電車に乗って,登場人物たちを眺めているような気になれました。
楽しく読めて,気づきもあって,おもしろい本でした。

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エコール・ド・パリの日本人野郎

今朝は、昨日の祭りで疲れたのか、5時過ぎの起床になってしまいました。
飼い犬のハッピーがせがむので一回り散歩して帰ってきて、

を読み始めました。

”大杉(栄)は「自然と戦い、権力社会と戦う。闘争は人生の花だ」と豪語している英雄だ。だがおれは英雄にはなれないし、なろうとも思わない。しかし、おれにはおれにふさわしい、おれにしかできない人生があるはずだ。健康で、朗らかで好きなことを懸命に学び、好きな仕事で体験を積んでゆけばかならず自分の進路が自然に開かれよう”

探していたわけでもないのに、こんなフレーズが飛び込んできました。
この作品の主人公は松尾邦之助といい、フランスに25年滞在しながらさまざまな人物との交友をしていた人物です。
まだ読み始めたばかりで、内容がよくわかりませんが、
”健康で、朗らかで好きなことを懸命に学び、好きな仕事で体験を積んでゆけばかならず自分の進路が自然に開かれよう”
この言葉に会えただけでもこの本を読んだ意味があると感じました。

この一節は、今の自分の暮らしを言い当てていると思うのです。
先の道筋がきちんと見えていたわけではないのに鴨川に飛び込んできて、何者かに流されているかのような人生です。
でも、昨日のお祭りにしても一から作るところから部落の人と一緒にすることができて、大山不動尊の境内に上がって宮立ちを奉納していると、「いいお祭りだな、一年に一回このようなお祭りがあるのはいいな」と心から思いました。
太鼓と笛の音、人々のざわめきは心をいよいよ昂ぶらせます。
夜の片づけを終えて、お隣さんと一緒に歩いて帰っていると「この暮らしをしていけばいいんだな。自分の選んだ道を歩んでゆけばいいんだな」と思えました。

祭りという大きな区切りを終えて、また今日から日常が始まります。
暮らしを作る日々を続けていきます。

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お祭りだ!

昨日は、佐野八幡神社祭典でした。
出席者は約20人ですが、神主さんを呼び、
子ども神輿への御霊移しの儀などが行われるなど、本式のものです。
私も、組長ですから玉串奉納を行い、ニ礼ニ拍手一礼をしました。
奉納が終わったあと、拝殿に続く廊下を後ろ下がりで下がらなければいけないのに、
くるっと背を向けて帰ってきてしまい、
あらら。
神様、すみません。

祭典終了後は直会(なおらい)です。
「笛期待してるからな」
と長老たちに声をかけられ、どきどきです。

そして、夕方6時ころから、子どもたちも集まり、おまつり。
明日奉納する宮立ちのまわりで囃子を演奏?します。

7月22日からの約2週間での強行突破。
きちんと最後まで憶えることができませんでした。
せめて音が出るように、何とか流れを作ることができるように、
ということで半分くらいはできるようになったかと思います。

できないできない、といっていてはいつまでもできないわけで、
下手でもいいからやってみる、迷惑かけたらごめんなさい、と
言った立場でございました。

急遽U垣夫妻も遊びに来てくれ、その後家に泊まってもらいました。
王国関係で佐野区に来たのは彼らが初めてで、地元の人にも受け入れてもらっていました。
よかったぁ。

さて、今日はいよいよ高倉神社合同祭典です。
去年までは祭典余興本部にいたので、初めての出席になります。
服装がよくわからん・・・

今日のお祭りのことは、明日お伝えする予定です。
では、ピ〜ヒャラ、ピ〜ヒャラ、ピ〜ヒャララ!

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まさに雑感。

早朝は涼しく感じたのです。
昨日の雨が効いたかなぁなんて思っていると、6時過ぎには日が暑くなってきました。
裏の竹林を草刈っていたのですが、照りつける太陽に、もう昼か?と思うほどです。
懸案だった竹林の草刈を終えると、一路王国へ向かいます。

今日は地元のお祭りなので、休みにしていますがそれでも鶏たちにはえさをやらねばなりません。
今日も、元気に朝を迎えていました。
くず米はあまり好きではないのでしょうか?それとも量が多いのか?
適量がまだつかめません。

帰ってくると長女を保育園におくり、一息ついて笛の練習。
何とか、なるかもしれません。
完璧にはできていませんが、何節かはできるようになりました!
デビューは今晩6時です。
頭の中は囃子でいっぱいです。

ちょっと疲れてきたので、

DAHLIA

DAHLIA

をかけながらこれを書いています。
扇風機の風が心地よい、夏の日の朝です。

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雨が,降りました。

雨が,降りました。

天気予報では南房総は曇りになっていましたが,午前9時頃よりぽつぽつ降り始め,ものすごい勢いで降りました。マルチはがしをしていたのですが,たまらずハウスへ。
しばらく待っていましたがやみそうもないので事務所へ引き上げ。

水道工事で王国近辺は通行止めになっている(午前8時半より午後4時半まで 月〜土)ので、集会所に車を止めさせてもらって王国まで歩きます。イベントなどでは参加者のみなさんには歩いてもらうのに,私たちは車でビューンと走っているので,集会所からでもなかなかの距離があることを再確認しております(笑)。

脱線してしまいましたが,雨が降った畑は,心なしか野菜たちがほっとした雰囲気を漂わせているように見えました。振り返ってみれば7月7日に雨が降り,途中18日に一瞬だけ降ったことをのぞけばほぼ一月ぶりの雨です。梅雨明け後からは日差しもきつく、水をほしがるナスなどは特に元気がありませんでした。
田んぼに水がたまるほど降りませんでしたが,一安心してもよさそうです。

marinesさんから、「雨降った?」と電話をいただきました。marinesさんは、今年から近くに田畑を借りて作業をしているので,いても立ってもいられなくなったそうです。
遠くに在っても,その地域の様子が心配になるのですね。
きっとこのブログを読んでくれているみなさんもご心配してくれていたかと思います。
ありがとうございます。
少し,息を吹き返せそうです。

アブラゼミが鳴き始めました。
明日は佐野八幡神社の祭典です。笛,デビューでございます。

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生を全うさせる

王国に来て,今までで3回鶏を飼ったことがある。
長女の誕生祝いにもらった一羽。
彼女は、昨年熱射病で世を去った。
近所のペットショップからもらった鶏。
王国に来て三日目に4羽野犬に殺され,5ヶ月後に最後の一羽も野犬に食われる。
その間にお預かりした雄鶏も寒さで死んでしまった。
やるだけのことをやった結果ならまだしも,中途半端で世を去らせてしまった事実も否めない。

一昨日また、A田(しか)さんから6羽いただき,2羽しめたので残りは4羽いただいたことになる。
このうち何羽かは練習をかねてしめていく予定。
それにしても、今回こそは無事に生を全うさせてやりたい。
動物を飼うことは,自分にとっては結構大変なことだ。
それは,実は私以外の王国関係者,家族も含めてみんな知っていることだろう(苦笑)。

しかし!
昨日も書いたように,いつか私は家で20羽から50羽ほど鶏を飼いたい。
庭先養鶏をしていきたいのだ。
だから、やはりここからの出発だ。

鶏小屋をさっき見てきたら,元気に四羽が寄り添っていた。
来週一羽しめるのだけど,これからも大切に育てていきたい。

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いのちをいただく

今回の王国イベントでは,A田夫妻が育ててきた鶏をしめてみんなで食べました。
鶏をしめるのは,私とM口さん。
私は,9月の帰農塾でA田さんの補助をしなければならないので,なんとしても
解体できるようになりたかったのです。

4月8日生まれの鶏たちが,オス5羽,メス1羽がやってきました。
そのうち、オスを2羽しめました。
逆さに吊るした鶏の背中から,包丁をさして頸動脈を切断します。
3月に初めてやって以来2回目ですが,今回の方がぐっときました。
吊るすまでは,作業の一貫として行えますが,包丁で頸動脈を切断するのは,
息をためないと行えません。
手元が狂うという表現がありますが,自分の動揺がそのまま手に伝わってしまいます。

普段から,「農的生活はいのちの流れの中にあり、すべてがつながっています。
鶏の解体を通して、いのちをいただくという行為を理解して頂きたいです。」
と言っている私ですが,実際に自分の手で行うのは,勇気がいりました。

血を流してしまえば,後はお湯につけて毛をむしり,火であぶって産毛を焼き,
解体作業に入ります。
解体作業は、言ってみれば技術的なことなので,身体で憶えていくだけのことです。

しかし、しめる主観の感覚は,今も手に残っています。
これは憶えるというより,感じてしまうものです。
この感覚が飛躍してしまえば,肉食をいっさい断つ決断をする人がいてもおかしくない気がします。
「解体してくれる人たちがいるから私たちはお肉を食べられるんだよ」という言葉は,
実体でありながら,解体をどれだけの人が実感できるかというと,それは皆無に近いでしょう。
”いのちをいただく”というのは言葉じゃなく、明らかな現実です。

王国でやっていることは屠殺業に従事している方からはお遊びにすぎないと
言われてもおかしくありませんが,経験したことのない者にとっては大きな経験です。
肉を食べない人の存在も増えてきてはいるものの,肉食が標準に近い食習慣の中,
A田さんがこのような機会を提供してくれることは,本当に貴重なことです。
A田さんに深く感謝しています。

ただ、ある程度俯瞰して言えば,農的生活に庭先養鶏は卵というタンパク質供給源,
生ゴミの処理,鶏糞の産出という役割からも欠かせないものといえます。
卵を産まなくなった鶏の行き先を考えれば,やはり自分でつぶして食べることが
いちばんの感謝かと思います。これが昔ながらの生活の一つなのかもしれません。

私は,移住4年目にして大切なステージに入ってきているような気がします。


今回のイベントにはキュウリ大好きな小学2年生の女の子がきてくれました!
みんなにキュウリ女と呼ばれるほどキュウリが好きなようで・・・
後ろに見えるのは生ビールの空き缶です。

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放浪のダダイスト辻潤

4時過ぎに起床して、犬にえさをやります。
暑いせいか、以前より食欲がありません。
食欲はないが、5時前になると散歩をせがんでほえるのです。
まだみんな寝てるし、お隣さんも近いし、
面倒くさいな、と思いつつも散歩に連れ出します。

30分くらい歩くと気分転換にいいよ、とどこかの本に
書いてあったので、ウォーキングシューズをはいて犬と散歩。
今日はちょっと遠回りしてみました。
家の周りは、もちろん田んぼだらけです。
稲の花が咲いて、穂が出てきています。
食品加工場は5時前でももうフル稼働しています。

「なんか行き詰ってきたなぁ、どうしようかなぁ。」
と考えていても答えは見つからず、田を見たり、空を見たり、
無心に歩き続ける犬を見ながら帰ってきました。

家に帰ると、3日ほど前から読み進めてきた読書の続き。

この本に、辻潤の言葉として引用されている言葉があります。

”自分の生きていく標準を他に求めないことである。人は各自自分の物尺によって生きよというのである。それ以外には何の道徳も標準もないのである。一々聖人や賢人の格言や、お経の文句を引き合いに出してくる必要がなくなるのである。約束や習慣はその時々に最も便宜であると思われるものを選べばよいのである。世の中にこれでなければならないという客観的標準は一つだってありはしないのである。”

”健康で、無邪気で、自然に、その日その日を送ってゆかれたら、そのほかに何の問題もなくなるのじゃあるまいか——。犬や猫や植物やなにかは別段目的もなく、ただ生きてゆければそれでいいように思われる、人間だってやはり結局は生きればいいのだ、唯それだけの話なのだ、犬や猫や、松の木とちがうところは欲望が複雑だというだけだ、しかし複雑だということは別段たいした自慢にもならない、特別にそんなことをエラそうに考えるだけが可笑しな話なのだ。”

辻潤は、今の世で記述されることがあるとすれば、関東大震災で虐殺されたアナーキスト大杉栄の妻伊藤野枝の前の夫であり、放浪して死んだということだけだそうです。
私自身、このような認識しかなく、どんな人なのだろう?と考えていたところにこの本に会えたので、むさぼるように読みました。

大正時代について、調べて行く必要性がありそうです。明治と昭和にはさまれた短い期間、というような印象しかありませんが、この本を読んだだけでも魅力的な人物がたくさんいたことがわかります。
ダダイストについては、定義をいわれてもまだ実感するところはありませんが、私にできるとすればダダイストとお付き合いすることくらいかなぁ。
いや、お付き合いすらできないかもしれない・・・

この本は、玉川信明セレクション 日本アウトロー列傳の一冊目です。
実はすでに、前五冊購入済。そのうち、辻潤と、山岸巳代蔵について書いた作品を読みました。残り三冊も面白そうです。突然、大正時代に呼ばれた感があります。

さらに、先日の帰農塾の高野孟さんの講義に「田中角栄」の話が出てきて、これまた田中角栄関連本を9冊購入。
今の日本を知るために、私にとってはすでに歴史的人物とも感じられていた田中角栄を知る必要がありそうです。
日本の歴史だけじゃなくって、戦後政治史も勉強しなきゃいけなくなりました。
忙しくなってきた。

それから、今日は王国イベントです。
熱中症予防のために、粉末ポカリスエットを用意しました。
大きなテントも購入済。
元気に楽しく過ごしましょう!

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