書き物と読書の日

外は一日雨でした。
夕方ころには大雨洪水警報が出たほどでした。
そんなわけで、今日は昨日の職博のまとめをせっせと書きました。
思ったことをわかりやすく伝えるのは、難しい作業ですね。
文章力を上げる本などを買ってよく読むのですが、
一気にドン!と上がる技術はないのかな、
なんて甘えたことを考えています。

そんな甘いことはないけど、
こんな楽しいことやったらあるで。
やってみたら?

といってくれたのがこの本です。

僕らの八百屋チョンガンネ―野菜や楽しさ、売ってます。

僕らの八百屋チョンガンネ―野菜や楽しさ、売ってます。

トラックを使った野菜の行商から始め、
18坪の店舗で敷地面積あたり韓国ナンバーワンの売り上げを
上げる八百屋の店長さんの話です。

毎朝2時に起きて3時に市場につき、
10時まで仕入れる。
市場にある果物にナイフを突き刺し、品質を確かめる。
買うか買わぬか決める前に!
初めのころは、市場の人も彼をなぐったりするなど、
かなりぶつかったようですが、店長さんの真剣さ、
そしていい商品にあたったと考えたら即金で大量購入、
というはっきりした姿勢から、今は彼のやり方が
受け入れられています。

彼の本を読んでいると、
「おいしい野菜を食べてもらいたい」
「そのためにはどんな仕掛けがいるか」
と常に考え、動いている姿がわかります。
昨日の糸井さんの話の、「どうだ?いいだろう?を丁寧にやる」
にもつながることを感じました。

最高の商品を最高のサービスで売る。
これって、すごく楽しそうです。
『人の喜んでいる顔が見たい』というのが
サービスの原点なのかもしれませんね。
自分も挑戦してみたくなりました。

汝自身の行動で示せ。

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『オレの話を聞け!』

東京に行ってきました。
パソナグループ主催『職博』http://www.pasona.co.jp/shokuhaku/
に参加するためです。私が参加したのは、
『夢のセカンドライフ−海外・田舎で暮らす』と、
『農業を変えるスマートシニア軍団
−おいしい野菜を作る!運ぶ!売る!』の二つのセミナーです。

一番目の『夢のセカンドライフ』には30人くらいが参加していました。
団塊世代の方がほとんどでしたが、なかには若い人もいました。
パソナでも団塊の世代の定年後をにらんで、
どのようにアプローチするかがポイントになっています。
セミナーでは、里山帰農塾の紹介もしていただきました。

終了後、講師の関坂さんと話をする時間がありました。

話のポイントは、「都市の人は田舎に自由を求めて来る」という点です。
都市生活の中で、さまざまなことにがんじがらめな生活から抜け出し、
自由に過ごせそうな田舎に興味を持つという話です。

ということは、単に田舎暮らしといっても、
その形は多様化するということです。
先日来フォーカスを当てている『くらしを楽しむ』といった方たちが
増えてくるのかもしれません。

そんなことを考えていると、
2番目セミナー、『農業を変えるスマートシニア軍団』が
始まりました。
これには、糸井重里さん、日経BP社の編集者、
家庭菜園を15年やっているNHKのプロデューサーが
ゲストとして呼ばれていました。
パソナO2のフロア−いっぱいに、200人は参加していました。

糸井さんが、「今の時代は、みんなが

『オレの話を聞け!』

って言っている時代なんですよ」

と言いました。
誰もが語りたがる時代になっています。
ブログの隆盛もそのひとつの表れかもしれません。
(私もその一人でしょう)

そんな中、家庭菜園をやるのは自分の表現として
最適なんだ!という話です。
大衆文化の中でトップを走っている人の話は、
自分で理解している現状とは一足飛び越えた
感覚を持たせてくれました。

そして、何かやりたくなったときは、すでにそれをやっていて
苦しんだり、壁にぶつかったことのある人が必要になる。
教えることが仕事になる。
たとえば、家庭菜園インストラクターとか。
ここでふと自然王国を振り返れば、野菜の栽培方法を教えてほしいと
思っている方がたくさんいらっしゃいます。
でも、今はそれに応えられていません。
そうかぁ、ひょっとしたら新しいイベントができるかもしれないな、
と思いました。

さらに、心に残ったのは、
「『どうだ、いいだろう?』を丁寧にやることなんですよ」
という言葉です。

ここ何年かは、田舎にあって遅れていると思われていたもの、
棚田、里山が原日本的な風景として価値を持ってきています。
従来とは価値の転換が行なわれたのですね。
そして、それをアナウンスするときが大きなポイントになるのでしょう。
ぶっきらぼうにボン!とおくだけのやり方もあれば、
物語を作って、その物語の中にお客さんに
入ってきてもらうという丁寧な方法もあるのでしょう。

その大切さを短い言葉で教えてもらいました。

現場からの出発ということで日ごろは王国内で
働いていますが、たまに外に出て自分では
気づかない考えに触れたのは大きな学びでした。
学んだことを現場で活かす、そのフィードバックが大切ですね。

ところで、拙ブログがムックで紹介されました。

おとな愉快団!ブログで遊ぶ (impress mook)

おとな愉快団!ブログで遊ぶ (impress mook)

メールで依頼が来て、それに答えただけでしたが、
一ページを使って大きく紹介してもらいました。
大きな本屋なら売っていると思うので、
よろしければ手にとってご覧になってくださいませ。

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公と私と

朝から、王国野菜畑の指導をしてくださっている
川名さんの家へ、夏野菜の種まきに行きました。
ししとうと、カナリアナスの種を蒔きました。

一トレーに288個の種を蒔きます。
今回は購入した培土をミックスして育苗用の
土を作りました。

ししとうの種は、みなさん料理するときにわかると思いますが、
とても小さいです。
それを一粒ずつつまんで、トレーの上においてゆきます。
根気の要る作業でした。でも、無心になってやれるところが
おもしろかったです。
このししとうは、5月の始めころに定植します。
今から60日くらいかけて、苗を育ててゆくのです。
王国では、トマト、なす、きゅうり、ピーマン、そしてししとう
などの果菜類の苗は川名さんに依頼しています。
お宅に伺うと、いつもいろんなことを教えてくださり、
農家の暮らし、農家の稼ぎ方を学んでいます。

夜は、地元の消防団への入団勧誘を受けました。
鴨川には「地名」(ぢみょう)という言葉があり、
この言葉は、同じ部落でも最も密接関係を持つ家を指します。
その家の御長男が消防団に入団しており、
私が妻と結婚したため、入団の勧誘に来られたというわけです。
今日はさらに消防団の部長と、昨年入団した三尾さんも
同席し、3人からの勧誘を受ける形になりました。

私個人としては、消防団に入ることは嫌ではありません。
この地域に暮らすことを決心したのだし、一応
身体は満足に動くのだから、入団は半ば義務である
と思っています。
しかし、家には5月初めに初産を迎える妻がおり、
何かあったときにそばにいてやりたいという思いがあります。

消防団という公と、家族という私と。

ここら辺が私の弱いところなのですが、
どちらかを二者択一的に選択することができません。
だから、入団を一年先に延ばしてもらおうかと
考えていました。

でも、部長が「要は仲間になりましょう!っていうことですよ」
とおっしゃったとき、感じるものがありました。
関西から来て、地元の知り合いはほとんどおらず、
半ば孤立して存在しています。
(もちろん、移住者の知り合いはたくさんできて、
それはとても楽しんでいますよ)
消防団に入ることが、地元にとけこむことの
第一歩になるのかもしれない。
幸い、隣の方もとても親身になって私のことを
考えてくださっています。

決断は、2,3日のうちにしなければなりません。
さあ、どうすんの?

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今日は何の日?

1962年(昭和37年)2月23日、
ちょうさんはこの世に生を受けました。

幼少期から青年期を江戸川区は小岩で過ごし、
長じてはマクドナルドに勤務し店長職務をこなしながら、
長野県飯山市においてカヌーのインストラクターをやるなどし、
多くの人に喜びを与えました。
2003年からは飯山市東京事務所所長として、
飯山市のためだけでなく、事務所所在地の神楽坂のみなさんの
ためにもフリースペースを提供し、豊かな輪を作ってきました。
2005年に東京事務所が閉鎖されてからは、新たなフィールドとして
介護事業に目を向け、現在は王国でスタッフとして過ごしながら
介護への道を探っています。

というわけで、今日はちょうさんの誕生パーティーを
我が家で行いました!
本当は牡蠣鍋にしたかったのですが、近くのスーパーで
いいものがなく、たらやとりもも肉を入れ、後は王国野菜の
小松菜、青梗菜、白菜、カブなどを入れて水炊き風にしました。
また、妻が茶巾寿司の変容版を作ってくれ(画像手前のものです。
薄焼き卵と、生ハムで包んであります)、ちょうさんの誕生日を
祝いました。さらに、ちょうさんが気に入ってくれていた
妻手作りのチーズケーキも用意しました。

ちょうさんが王国でたくさんの仕事をするようになって
私が学んだ一番のことは、ちょうさんの軽やかな身のこなしです
現在の私はどうしても人と接するときに頑なになってしまいます。
それではだめだ!と思いつつもどこか反発心が出てきて、
素直に接することが難しいです。
でも、さすがちょうさん、くぐりぬけてきた場数が違います。
これは年をとったからできることではないでしょう。
人を落ち着いてみる目、足りないところに身体ごと入って行って
その場を創る。
私が、ちょうさんが飯山に行くときに、
心から支援をしたいと思った理由も、
ちょうさんの軽やかな動きにあります。

自然王国に来て、私は自分の弱点がたくさん見えてきました。
人に対する接し方、仕事に対する姿勢、それを見過ごしたために、
信頼を裏切ったりしてしまいました。
でも、そんなときにちょうさんに話を聞いてもらうと
自分の至らなかったこと、これからやってゆくべきところが
素直に見えてきます。

私の周りにはいつもすばらしい人がいてくださり、
そのスタイルは違えども、誰もが励ましてくれます。
そのことに心から感謝しています。

ちょうさん、お誕生日おめでとうございます!
これからも生意気を言うかもしれないけど、
どうぞよろしくお願いしますね。

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多様なる存在

NHKニュースで言っていたのですが、
春の訪れにしたがって、天気は変わりやすいそうな。
う〜ん、農的生活2年目。君は天気を気にして生きて
いないのかい?・・・はい、まだ至らぬようです。精進、精進。
そんな今日は、久々の晴れ間でした。

画像は、朝宅配用の野菜収穫をしているときに
撮影した白菜です。
え、白菜?
普通に売っているものと比べて、
どこか変だと思いませんか?
そうですね。これ、巻いていない白菜なのです。

知らない人のためにちょっとだけ解説しておくと、
白菜も、キャベツのように生長にしたがって
葉が巻いてゆき、それで楕円球の形になるのです。
スーパーで売っている白菜は惚れ惚れするくらい
綺麗でしょう?

実は、王国では種まきの日が若干遅く、
そのために12月の寒波で十分生長できずに、
2月の半ばを過ぎても結球(葉が巻いて玉になること)
が遅れてしまいました。

でも、この画像を見ると、白菜がどのように
巻いてゆくのか想像がつきますよね。
しかもこれ、通常の白菜としては売り物に
なりませんが、白菜の白い部分が太陽に当たって
青くなっているので、栄養価も高くなるし、
青臭い味が意外に新鮮に感じて、美味しいですよ。

この後はとうが立って花芽が出てくるのですが、
これも食べてしまうつもりです。
これは3月号の現代農業の特集で学んだことです。
花粉症には菜花のおひたしが効くそうです。
私が花粉症というわけではありませんが、
大好きなので毎日食べるつもりです。

晴れ間といえば、少々事務方が忙しくても、
畑に合わせるのが自然の流儀。
今日は二人でやったほうが効率がよい
籾殻運びを行いました。
王国では、籾殻は畝間に敷いたり、播種した後に撒いて、
保水、保温に使ったりしています。
さらには、畑にそのまま籾殻を入れて耕し、
土質改良資材としても使用しています。

最近一日畑で作業をすることが少ないので、
完全になまってしまったこの身体。
心なしか、身体が重いです・・・
動け、わが身体!
ちょうさんも少し手伝ってくれたので、
合計で80袋くらい運べました。

籾殻運びを終え、少し疲れて事務所に帰ると、
事務の石井さんが、

へんないきもの

へんないきもの

を貸してくれました。
ずいぶん前から新聞で話題になっていましたが、
(最近この本の第二弾が出ましたね)手に取ったのは初めてです。

人間の創造力は、結局のところ自然の作り出すものに
追いつかないのかなぁ。
空を飛ぶイカ、40種類もの形に変化するポーズを取るたこ。
こんな生き物が本当に存在するなんて、

すばらしい!!!

彼らは彼らなりに合目的的に生きているのかもしれませんが、
私たちの目からはとても突飛に思えてしまう。
でも、すべての生き物はただ存在しているだけで意味があるし、
何らかの役割を果たしているのだ
と思います。
私は、昆虫が好きな人(養老孟司、池田清彦など)が書く文章が好きで
よく読むのですが、彼らの根底には生物に対する興味と温かな目、
その存在を調べ、味わおうとする姿勢があります。

ひょっとして、人間の生き方ももっと多様的で
あっていいのかもしれないですね

私は、高校に行っていない時点で既にレールから
外れており、さらに大学を卒業しても就職もせず
勉強を続け、結局は試験に合格しませんでした。
格差社会論で言うと、下流層に分類されても仕方がない状態です。

でも、どっこい私は生きています。
しかも、やる気十分です。
さらに、やれる場もあります。
ここで踏ん張らねばなんとするのだ!

ちなみに、前掲書には日本におけるツチノコ騒動と、
タマちゃんに関する文章が掲載されています。
かなり面白くて、読んでいてなんどもニヤけてしまいました。
特にタマちゃんのところは、あの当時の騒動が目に浮かんできます。
そういえば、わが鴨川市にも、カモちゃんなるアザラシが
現れるのですよ。
先日、鴨川市では、カモちゃんを『鴨川観光親善大使』
に任命いたしました。
う〜ん、どないやねん・・・

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あるもの探し

今日は週に一度のお休みでした。
たいがいの休みは、妊娠している妻の検診に
ついてゆくことにしています。
エコーでみていると、赤ちゃんが元気よく
動いている様子がわかって面白いです。
今のところは、赤ちゃんの頭も下にあるようで、
逆子の心配は少なそうです。

って今思ったのですが、赤ちゃんの頭が
母体の恥骨あたりにあるとするならば、
赤ちゃんは頭に血が上ったりしないんでしょうか?
ふとした疑問ですが・・・

子供ができたとわかったときは、あまり
実感もわかなかったのですが、時間がたつにつれて、
親としての責任を少しずつ感じ始めています。
子を持って初めてわかる親のありがたみ』という
言葉がありますが、その言葉の意味ももうすぐ
わかるのでしょう。
子供ができるということは、自分に絶対的に依存する
存在ができる
ということなのかな。
『大変やなぁ』という思いと『楽しみやなぁ』という
思いが同居しています。

病院に行く前、家の周りの敷地がどれくらいなのかを
おばあさんと一緒に歩いて教えてもらいました。
境界には木を植えてあるのですが、木を植えるポイントは、
境界から『三尺下がって植える』ということだそうです。
よくみると、全部そう植えてあったし、裏山も隣の家とは
ぜんぜん違う方向に植えてあり、田舎の風習の一端に
触れることができました。

おじいさんが亡くなって以来、いくらかある畑も
ほったらかしで、草が生えれば刈るというだけの状態に
なっています。
私は、増刊現代農業編集長の甲斐良治さんに私淑しているのですが、
彼に教えてもらった言葉に、
地元学は、ないものねだりではなくあるもの探しだ
という言葉があります。

言葉だけ聞くと、「なるほどな〜」と思いますが、
これを実践するにはなかなか覚悟がいりそうです。
たとえば、将来的に生活費が足りなくなることが
あらかじめわかっているときに、
海の方までアルバイトに行けば、ある程度の収入を
得られるでしょう。
しかし、家にある畑を元にもどし、野菜の栽培を始めても、
アルバイトに行ったと同じだけの収入は望めないかも
しれません。

でも、家の周りにこれだけの場所があるのに、
これをほったらかしにして他の場所に行ってしまえば、
結局のところ従来どおりのライフスタイルを
踏襲することになってしまいます。

そうではなく、何とかこの場を活かしてゆく方向は
ないだろうか。私の今の決心の置き所は、
ないものねだりでいくか、あるもの探しでいくか、
ここにありそうです

斎藤一人 変な人が書いた驚くほどツイてる話 (知的生きかた文庫)

斎藤一人 変な人が書いた驚くほどツイてる話 (知的生きかた文庫)

この本の中に、人生の分かれ道に来たときは、
どちらが楽しいか、を、判断基準にしてください
という言葉があります。
私の心自身がこういった言葉を
待っているだけかもしれませんが、
どうせ決断するならこの言葉を大切にしたいと思います。

さらに補強材料を出せば、
亡くなった藤本国王も、
楽しくなければ自然王国じゃない。
楽しくなければ人生じゃない
。』
と言っていますから。

さぁ、わたしのあるもの探しはどうなるでしょうか?
どうなっても現場からの出発だ!

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自分の感受性くらい

詩人の茨木のり子さんがなくなりました。
自分の感受性くらい
この中に、『自分の感受性くらい』という詩があります。

自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ

この詩は、私の軟弱な精神に鋭い一突きをくらわせました。
事あるたびに、これを思い出します。

自分の感受性くらい 自分で守れ
突き放したようなこの言葉が、深い腹の底に
沈んでいます。

情報は次から次へとやってきますが、
大切な言葉を持っておくことは自分の指針にもなり、
ありがたいものです。

実は、茨木のり子さんの詩を歌にして歌っている歌手がいます。

わたしが一番きれいだったとき

わたしが一番きれいだったとき

このアルバムは、いろんな人の歌をカバーしているのですが、
茨木のり子さんの詩は、『自分の感受性くらい』と、
『わたしが一番きれいだったとき』の二つが楽曲化されています。

沢知恵さんの歌を初めて聴いたのは、2002年のことでした。
ライブが始まって、10分ほどで涙があふれて止まりませんでした。
歌の力をすごく感じました。
心から聞こえて来る音があると知りました。
それからはライブに行く機会がないのですが、CDは出るたびに聴いています。

今回の「わたしが一番きれいだったとき」は、一番新しい、
全曲ライブ録音のアルバムです。
やさしい歌声で、ほっとしたいとき、自分を見つめなおしたいときには
とてもいい音楽だと思っています。

ちなみに、彼女は詩人の金 素雲(キム ソウン)の
お孫さんです。
金 素雲の著作は、岩波文庫で手に入ります。
代表的な著作は、朝鮮詩集 (岩波文庫)ですかね。

朝鮮統治時代に日本に渡り、朝鮮の詩人たちの詩を
和訳して発表した方です。
この本には島崎藤村が序文を寄せています。

今日久々に読んでいて、感じた詩を以下に掲載しておきます。

金 素月 (キム ソゥオル)という人の詩です。

ついぞ昔は

春秋ならず夜毎の月を
ついぞ昔は知らなんだ。

かうもせつないためいきを
ついぞ昔は知らなんだ。

月は仰いでみるものと
ついぞ昔は知らなんだ。

いまにかなしいあの月を
ついぞ昔は知らなんだ。

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くらしをつくる

金束(長狭街道沿いの部落)に住んでいたKさんが、
海の近くの江見地域に引っ越しました。
引っ越した家が落ち着いたという連絡があり、
手打ちうどんパーティーをやるからおいで、
と誘ってもらったのです。

Kさんは、棚田トラストの古い会員さんです。
藤本さんの最後のインタビューが載った
増刊現代農業の写真にひそかに写っているそうな。
また鴨川自然王国のウェブサイトにこのブログの
リンクバナーをつくってくれた人でもあります。

引っ越した家というのは、床板が抜け落ちていて、
一時的な修理では追いつかず、結局根太や束まで立てる
大仕事となりました。
そして、畳はリサイクル屋で一枚1000円で買ってきました。
今日行ってみると、海からは車で3分ほどで、
サーファーのK さんにとっては理想的な環境です。
近くに川が流れ、家からの見晴らしもよく、
とてもいい家でした。
家も造り自体は新しく、これから内装を
修復してゆけば住みやすくなりそうです。

今日のパーティーには、入れ替わり立ち代りで
15人くらいが訪れていました。
手打ちうどんはとてもおいしかったし、
みんなで持ちよってパーティーをするのは楽しいです。
〈ちなみに、菜花のおひたしを持っていきました〉
Kさんのネットワークの広さもありますが、
農村という環境が集まりやすくしている
のかもしれません。
移住者ばかりの集まりでしたが、
最近の空き家情報なども飛び交い、耳を澄ませて
聞いておきました。
誰でもわかることですが、若い世代の場合ネックになるのは
やはり仕事のことです。
ここら辺は私も今必死でやっていることなので、
そのうちモデルを提供できるかもしれませんが、
霞を食べては生きてゆけませぬ。

でも、感じるのは昨日に引き続き
「くらし」のにおいです。
Kさんも、普通なら大工さんに頼んでしまうことも
時間をかけて自分たちで直してしまいました。
自分ですることで、若干仕上がりは悪いかもしれませんが、
技も学べるだろうし、愛着もわくでしょう。

都会には床の抜けた空き家なんて、まずないでしょうから、
これは田舎ならではの味わいです。
移住者の皆さんもそれぞれ簡単な大工仕事ならこなしてしまいます。
生きる力はどちらで身につくのか?
明日から裸足で放り出されても、あなたは生きていけるか?
自分はどうだ?

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畑準備

堆肥は、植え付けの2週間ほど前に散布して
耕すのがよいとされています。
王国会員のイベント欄をチェックしてくださいましたか?
3月4日、5日はジャガイモ定植です。
明日は雨の予報だったので、
雨前に堆肥をまききって畑を耕そうということに
なりました。

最近使っているのは、市販品なのですが、
『秀じいの堆肥』という家畜の糞尿などの
動物性資材を使わずに、わらなどで作られた堆肥です。
まだ使い始めたばかりで、どんな結果になるかわかりませんが、
観察を続けています。市販品を使っていることに問題があるとも
いえますが、植物性堆肥の完全自給はまだ遠い道のりです。
やれるところからはじめてゆかねばなりませんね。

帰農塾フォーラムを終えて思うことは、
『暮らし』に着目して毎日を過ごすことの必要性です。

学生時代には韓国のハンセン病患者の暮らす定着村で
向こうの大学生と一緒にワークキャンプをしていましたが、
そこで強く感じたのは、
『私たちは一過性の行動だけど、この人たちには毎日の
暮らしがある』という単純な事実です。
ついつい、『いいところですね。きれいなところですね。』と
言ってしまうけれど、そこには深い歴史、思いがある。

毎年キャンプサイトを変えてキャンプをする中で、
方向性として、運動を拡大するよりは自分の現場があればな、
日本に現場があればな、という考えにいたりました。

そして今、鴨川で暮らしています。
今まで知らなかったことを学ぶ。
天候と相談して作業をする。
野菜の種まきのための畑を作る。種を蒔く。

これからどのようにして暮らしを作ってゆこうか
これが今の私の考える現実です。
周りを見渡せば、似たようなことを考えている人は
本当に多いことに気づかされます。
自分だけに閉じこもらずに、広い視野を持ちながら
しっかり大地に立つのだぞ。

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しいたけコマうち

王国の農業指導をしてくれている川名さんから
『しいたけのコマ打ちをやるけど来ないか』
といってもらい、張り切ってやってきました。

ドリルで穴を開け、菌が植えられているコマを
金槌で打ち込む、という作業です。
しいたけ菌を打ち込む木のことを、
ホダ木というのですが、川名さんのやり方を
紹介します。

雑木を切り倒しただけの太い木は、そのままでは
運ぶには重過ぎます。
そこで、そのままの木にコマを打ち込み、その場に
放置するのです。
すると、2年後には放置した木からしいたけが
生えてきます。
そのときに、現場に行ってしいたけを収穫してしまえば、
軽くていくらでも運べる、というのです。

場所があるからできる技ですが、
川名さんは年を重ねるにつれて、自分の年齢で
できる農作業とはどういうものかを
よく考えて行動されているのだな、と思いました。

お土産に、しいたけをもらってきました。
厚めにスライスして、バターしょうゆで炒めました。
すみません!!!
めちゃめちゃ美味しかったです。

王国でもしいたけをやりたいです。
一歩一歩実行に移すのだ。

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