どこにでもありそうな盆休みの形。

昨日、この前しかさんからいただいた鶏を一羽しめました。
過去3回はしかさんがそばにいてくれたので,その都度聞きながらできましたが,
昨日は私一人。
補助に弟をおいて,いざ放血。
うまく頸動脈は切れたものの,せっかちな性分から放血の時間を十分置かないまま
熱湯につけてしまい,事切れかけていた鶏が目を覚まし?お湯の中で羽ばたき,
熱湯が身体にかかり,熱かったです。幸いやけどはしませんでしたが。
毛をむしり,首と足を切り離し,いよいよ解体。

もも肉の切り離しはうまくいきましたが,
手羽から胸の切り離しは全く忘れてしまったというか,どこをどうすればよいのか分かりません。
参考書を見てもよく分からないので,結局我流でやりました。
まぁなんとかできた,といったところでしょうか。
その後は参考書を見ながら鶏と取り組みました。
手羽から胸の部位以外はなんとか納得できたように思います。

肉は熟成させた方がよいようなので,内蔵だけ炒めて食べました。
濃い味で,美味でした。
肉は,本日の夕食で焼く予定にしています。

さらに、午後からは妹がきたので家族そろって鴨川シーワールドへ。
午後3時からの入園だったせいか,盆だというのにすいていて,
シャチショーやイルカショーなどを楽しみました。
長女は,去年から数えて3回目なのですが,イルカなどは恐いらしく,近寄りませんでした。
でも、小さい魚は好きなようで,「あかな、あかな」といいながら
水槽にへばりついていました。

子供にとって、いや親にとっても、ときどきの非日常的な刺激は必要なのかもしれません。

くたくたになり、帰宅。
その後は輸入魚と、房総地魚の海鮮丼。
房総地魚のほうがずっとおいしかったです。
何だろか,このおいしさの違いは。
サーモンや,マグロも好きですが,青魚の青臭さ、脂もまたたまらないものがあります。
とりとめもない内容になってしまいました。

どこにでもある盆休みの形。
いや、最近は鶏解体はどこにでもないか・・・

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早起きの効能

ずっと,朝が弱かった。
王国に来ても,それは変わらず,夜遅く朝遅い生活をしていた。
でも、結婚し子供が生まれて,そうもいかなくなってきた。
家族で一緒に暮らしているのだから,自分だけやりたいことをやるわけにはいかない。
やりたいことがやれないので、鬱屈としてくる。
何度も早く起きようとしたのだけど,やはり12時近くの就寝では早くて6時くらいの
起床になってしまう。
そこで、考え方を変えてしまった。
子供と一緒に寝てしまうのだ。
だから,最近は8時半を過ぎれば寝る準備を始める。
長女はすぐ寝る場合もあるが,遅ければ9時半くらいになってしまう。
10時に寝れば,4時に起きても6時間は寝られる。
4時に起きると,王国には7時過ぎにあがるので3時間近く時間があることになる。
おっと、それならばできることが一杯だ。
犬の散歩,読書,畑作業。
このような形で,今年の3月くらいから生活のリズムを作り始めた。
今月で半年目だ。だいぶ習慣になってきたように思う。
そういえば、ジャーナリストの高野孟さんも,大隈塾のM田さんも朝早く起きると言っていた。
行動だけでも近づけただろうか?
お盆なので,実弟に引き続き実妹も遊びにくる。
しかし,仕事がたまっている!
あぁ、朝のゴールデンタイムが仕事でつぶれてしまうが,それはしょうがないね。
都市で働いていると,10時に寝ることなどとても難しいことだろう。
でも、朝起きて日の出前の空気の透明さはたまりませんよ。
みなさまも試してみてはいかがですか?

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お祭りだ!

昨日は、佐野八幡神社祭典でした。
出席者は約20人ですが、神主さんを呼び、
子ども神輿への御霊移しの儀などが行われるなど、本式のものです。
私も、組長ですから玉串奉納を行い、ニ礼ニ拍手一礼をしました。
奉納が終わったあと、拝殿に続く廊下を後ろ下がりで下がらなければいけないのに、
くるっと背を向けて帰ってきてしまい、
あらら。
神様、すみません。

祭典終了後は直会(なおらい)です。
「笛期待してるからな」
と長老たちに声をかけられ、どきどきです。

そして、夕方6時ころから、子どもたちも集まり、おまつり。
明日奉納する宮立ちのまわりで囃子を演奏?します。

7月22日からの約2週間での強行突破。
きちんと最後まで憶えることができませんでした。
せめて音が出るように、何とか流れを作ることができるように、
ということで半分くらいはできるようになったかと思います。

できないできない、といっていてはいつまでもできないわけで、
下手でもいいからやってみる、迷惑かけたらごめんなさい、と
言った立場でございました。

急遽U垣夫妻も遊びに来てくれ、その後家に泊まってもらいました。
王国関係で佐野区に来たのは彼らが初めてで、地元の人にも受け入れてもらっていました。
よかったぁ。

さて、今日はいよいよ高倉神社合同祭典です。
去年までは祭典余興本部にいたので、初めての出席になります。
服装がよくわからん・・・

今日のお祭りのことは、明日お伝えする予定です。
では、ピ〜ヒャラ、ピ〜ヒャラ、ピ〜ヒャララ!

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まさに雑感。

早朝は涼しく感じたのです。
昨日の雨が効いたかなぁなんて思っていると、6時過ぎには日が暑くなってきました。
裏の竹林を草刈っていたのですが、照りつける太陽に、もう昼か?と思うほどです。
懸案だった竹林の草刈を終えると、一路王国へ向かいます。

今日は地元のお祭りなので、休みにしていますがそれでも鶏たちにはえさをやらねばなりません。
今日も、元気に朝を迎えていました。
くず米はあまり好きではないのでしょうか?それとも量が多いのか?
適量がまだつかめません。

帰ってくると長女を保育園におくり、一息ついて笛の練習。
何とか、なるかもしれません。
完璧にはできていませんが、何節かはできるようになりました!
デビューは今晩6時です。
頭の中は囃子でいっぱいです。

ちょっと疲れてきたので、

DAHLIA

DAHLIA

をかけながらこれを書いています。
扇風機の風が心地よい、夏の日の朝です。

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生を全うさせる

王国に来て,今までで3回鶏を飼ったことがある。
長女の誕生祝いにもらった一羽。
彼女は、昨年熱射病で世を去った。
近所のペットショップからもらった鶏。
王国に来て三日目に4羽野犬に殺され,5ヶ月後に最後の一羽も野犬に食われる。
その間にお預かりした雄鶏も寒さで死んでしまった。
やるだけのことをやった結果ならまだしも,中途半端で世を去らせてしまった事実も否めない。

一昨日また、A田(しか)さんから6羽いただき,2羽しめたので残りは4羽いただいたことになる。
このうち何羽かは練習をかねてしめていく予定。
それにしても、今回こそは無事に生を全うさせてやりたい。
動物を飼うことは,自分にとっては結構大変なことだ。
それは,実は私以外の王国関係者,家族も含めてみんな知っていることだろう(苦笑)。

しかし!
昨日も書いたように,いつか私は家で20羽から50羽ほど鶏を飼いたい。
庭先養鶏をしていきたいのだ。
だから、やはりここからの出発だ。

鶏小屋をさっき見てきたら,元気に四羽が寄り添っていた。
来週一羽しめるのだけど,これからも大切に育てていきたい。

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いのちをいただく

今回の王国イベントでは,A田夫妻が育ててきた鶏をしめてみんなで食べました。
鶏をしめるのは,私とM口さん。
私は,9月の帰農塾でA田さんの補助をしなければならないので,なんとしても
解体できるようになりたかったのです。

4月8日生まれの鶏たちが,オス5羽,メス1羽がやってきました。
そのうち、オスを2羽しめました。
逆さに吊るした鶏の背中から,包丁をさして頸動脈を切断します。
3月に初めてやって以来2回目ですが,今回の方がぐっときました。
吊るすまでは,作業の一貫として行えますが,包丁で頸動脈を切断するのは,
息をためないと行えません。
手元が狂うという表現がありますが,自分の動揺がそのまま手に伝わってしまいます。

普段から,「農的生活はいのちの流れの中にあり、すべてがつながっています。
鶏の解体を通して、いのちをいただくという行為を理解して頂きたいです。」
と言っている私ですが,実際に自分の手で行うのは,勇気がいりました。

血を流してしまえば,後はお湯につけて毛をむしり,火であぶって産毛を焼き,
解体作業に入ります。
解体作業は、言ってみれば技術的なことなので,身体で憶えていくだけのことです。

しかし、しめる主観の感覚は,今も手に残っています。
これは憶えるというより,感じてしまうものです。
この感覚が飛躍してしまえば,肉食をいっさい断つ決断をする人がいてもおかしくない気がします。
「解体してくれる人たちがいるから私たちはお肉を食べられるんだよ」という言葉は,
実体でありながら,解体をどれだけの人が実感できるかというと,それは皆無に近いでしょう。
”いのちをいただく”というのは言葉じゃなく、明らかな現実です。

王国でやっていることは屠殺業に従事している方からはお遊びにすぎないと
言われてもおかしくありませんが,経験したことのない者にとっては大きな経験です。
肉を食べない人の存在も増えてきてはいるものの,肉食が標準に近い食習慣の中,
A田さんがこのような機会を提供してくれることは,本当に貴重なことです。
A田さんに深く感謝しています。

ただ、ある程度俯瞰して言えば,農的生活に庭先養鶏は卵というタンパク質供給源,
生ゴミの処理,鶏糞の産出という役割からも欠かせないものといえます。
卵を産まなくなった鶏の行き先を考えれば,やはり自分でつぶして食べることが
いちばんの感謝かと思います。これが昔ながらの生活の一つなのかもしれません。

私は,移住4年目にして大切なステージに入ってきているような気がします。


今回のイベントにはキュウリ大好きな小学2年生の女の子がきてくれました!
みんなにキュウリ女と呼ばれるほどキュウリが好きなようで・・・
後ろに見えるのは生ビールの空き缶です。

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今日はこうしよう

4時15分起床。
さっさとパソコンの前に座るのは病的?

今日は長女の保育園を休ませて、家族でぱっと海に行く日。
鴨川は、家から30分も車で走れば海に着く。
夏休みに入っているのでお客が増えているでしょうが、
朝一で行くので、混む前に帰ってこれる予定です。

遊びに行くという目的もあるんですが、私の中では
海の水に子どもたちをつける、という目的のほうが大きい。
夏に入って、湿気が多い日が続いているので、長女はひどい
あせもになってしまいました。
経験上、海水につけるとあせもがすぐ治ってきたので、
今日の海息とあいなったわけであります。
次女は、生後5ヶ月ですが、ちょこっと海につけてやるつもりです。
去年は一回だけしか海に行けなかったのですが今年はできるだけ行きたい。

帰ってきたら、畑作業をしながら長女と遊ぶ予定。
毎日7時前に家を出て、帰るのは7時前なので、子どもと遊ぶ時間もありません。
だから、遊べるときには遊ぼうと思うのです。

あ、そうだ。
今日は鴨川の花火大会です。
夕飯を食べて、またまた鴨川行きだ。
楽しみ。

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全的な生活

「頭と心と体は本来はつながっていて,これは相互にコミュニケーションしなければならないものなのに、
私はそれから切り離されているようだ。
感覚的に言うと,身体が分離している,という状態だ。
その三つがつながっているものが、食べ物を育てたり,加工したりといった昔ながらの生活なんだろうと思える。
日常の生活そのものがつながりなんだろう。
この生活が,私には尊いもののように思えた。」

帰農塾7月コースの参加者の感想に,このようなものがありました。
私たちの伝えたいことを,深いレベルで感じ取ってもらったような気がします。

私も,農的生活は、すべてがつながっていると感じます。
たとえば、畑を耕し,種をまき,収穫し,片付けるという一連のサイクルの中に,
堆肥を撒くときの堆肥は家畜の糞尿や,野菜の残さ,刈草からできていて、
種をまき,野菜を管理する場面での支柱は近くに生えている竹を使ったり,
片付けたものはまた堆肥へ、という行為が含まれています。
そのサイクルの中に自分の行為が介在していることから,
自分がつながりの中に存在していることを認識することが可能なのです。
つまり、生命のつながりの中に身を置く行為がそのまま、自分の存在を感じる大きな要素になると言えます。
それは大きな自己肯定感を惹起するように思います。

逆に都市生活においては,この全的なサイクルの経験をすることが困難で,
経験しようと思っても、サイクルの一部分しか経験できないことが多いと思われます。
例えば今回の帰農塾の参加者の中に,マクロビオティックな生活をしている人がいましたが,
その方も高いお金を出して自然食品店で有機野菜を買うことにどこか違和感を感じていました。
マクロビオティックな生活をするために全国で生産されたものを使うなんて,
身土不二の考え方からも変だ,ということですよね。
マクロビオティックじゃなくても、自分で育てた野菜を食べることの方がまだ自然だ,
自分が生命のつながりの中に生きているということを実感できる,と言っていました。

理屈だらけの文章になりました。
普段の農園作業を通して自分の感じることを、言葉にすればこうなります。

でも、「言葉より行動を」。
一緒に農園作業をやりましょう。
一緒じゃなくても,そこかしこで農的生活をやりましょう。

そこかしこにつながりが生まれて,一人ひとりが、
「自分はここにいていいんだ。死ななくていいんだ。殺さなくていいんだ。」
と心底感じられることを願います。

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仲間がいるということ

昨日から今日にかけて、私も学生時代に活動していたFIWC関東委員会のキャンパーたちが来ています。
私は関西委員会だったのですが、余りどちらでも関係ありません。
彼らは、この4月から我が家の空き畑を使って野菜栽培を始めました。
普段は海外で活動している集団なので、日本にも継続的に活動できるキャンプサイトを求めていました。
私自身の昔の思いと、今の彼らの思いとが合わさって、我が家での鴨川キャンプが始まっています。

今回は、参加人数は7人です。
少ないのですが、キャーキャー楽しくやってます。
その中で、関西の大学を出て東京に就職したIちゃんと久々に再会しました。
彼女は中国でキャンプを立ち上げたり、留学したりとエネルギッシュな活動をしていたので、今春から東京で就職すると聞いてどんな風にやっているのか話をするのを楽しみにしていました。

で、今、社会、会社?の壁にぶつかっています。
はつらつとしていた顔は、少し落ち着いた顔になっていました。
聞いてみると、仕事にまだ慣れないようです。
おせっかいな私はついいろんなことを聞いてしまうのですが、ふむ、なかなかしんどそうです。

周りの社会人の子達は、こんなアドバイスをしていました。
「底にいると思ったら、後は上がるだけやん。
自分のやるべきことをリストアップして、まずはそれをこなしていくこと。」
いい言葉です。
自分も意識していくべき言葉です。

IちゃんをU嬢に会わせるといいかな、なんて勝手にマッチングしつつ、
仲間がいるということはいいな、と思いました。
Iちゃんとは大阪にいたときは少し話をするくらいでしたが、同じ集団に属し似たような方向で活動していることは、きっとつながりを持つものだと感じました。
今来ている学生、社会人たちとも、ほとんど新しい出会いですが、その新しい出会いがまた新しい活動を生み出していっています。

この場所を使って活動してくれて感謝です。
Iよ、ぼちぼちがんばりたまえよ。
ちなみに、Iちゃんに

赤めだか

赤めだか

をお貸ししました。
最近私ががんばっていることがあり、それはこの本を読んだことがきっかけだったからです。
談春師匠も談志師匠も聞いたことのない私ですが、それでも伝わってくるものがあり、今の彼女にぴったりでは、と思ったからです。

そして、昨日はもう一人、鴨川に遊びに来てくれました。
S御前です。
しばらくドミニカに行ってらしたのですが、昨日突然連絡があり
遊びに来てくれました。
S御前は鴨ヨンさまの元同僚で、とても美しい人です。
話も面白いし、しっかりしているし。
昨日はS御前の料理に学生たち、私を含めてフィーバーでした。

ごちそうさまでした。

今日は午前と午後の両方部落の草刈です。
ちょっと早めに終わったので、休憩時間に書いてます。
それから、藤本敏夫さんの法事があります。
残念ながら出席できないので、お線香だけ上げてくる予定です。
もう7回忌です。

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ぴーひゃらら、と笛が鳴る

もうすぐ地元の祭典です。
今年こそは,囃子の笛をやってみたいと思い,5日ほど前から練習を始めました。
西洋楽器はクラリネットを少しやっていたこともあり苦手意識はないのですが,
和笛は初めての経験です。

昨日は,お隣さんと隣の部落の太鼓練習に参加してきました。
笛の音も,太鼓のリズムも,それはそれは自然体でした。
からだにリズムが染み付いているというか,音が自然と出ている感じです。
この部落は神楽もやっていて,民芸保存会として常に練習をしている部落です。

「この笛じゃいい音は出ないよ」
といわれてしまいました。確かに,別の笛を借りてみると,音の出方が違います。
でも、せっかくもらった笛だから,今年はこれでいってみようと思っています。
この笛は,部落のおじいさんからいただいたものなのです。

和笛は、唇の固め方が難しく,さらには楽譜がないため,指を憶えて,
音のだし方を憶えて、ということを身体でしなければなりません。
演奏をMDに録音したので,しっかり練習しようと思います。

本番は8月6日の佐野八幡神社の祭典と,翌日の祭典余興です。
7日の,高倉神社祭典でも吹くかもしれません。
なんとか間に合わせなければ!!!

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