「地域」って何ですか?“ラジオ・ジャーナルvol.11を聞いて”

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心配されていた雪は、我が家では積もらず。しかし、自然王国ではまた積もってしまったようで、明日のカフェ営業ができるか思案中らしい。

 

「ジャーナルラジオ」というYouTubeチャンネルがある。3人のジャーナリストたちが集まって、自分たちが取材したこと、今話題になっていることについて話し合う、だいたい1時間くらいの番組で、番組名は「ラジオ・ジャーナル」。

昨年から始まって、1週間に1回くらい更新されている。動画がないので、私はラジオを聴くみたいに、作業をしながら聴くことが多い。チャンネル登録をしておくと、アップされると通知が来るので聞き逃しもなく、便利。

 

最新回はこれ。

”新潟コメ農家問答と中国帰郷青年“ https://youtu.be/0zjjMutFVHg

 

このなかで、メンバーの一人である上垣さんが、新潟県上越市で23年前に移住した農家である天明さんという方と対談している様子が放送される。

 印象に残ったやりとりを、一つだけ書いておく。

それは、「天明さんが地域っていうとき、どの範囲を指しているんですか」という問いに対して、

「基本的には自分の集落、そして旧小学校区域。これだと、どんな人がどんなことをしているか、だいたいわかる。それからは、市とか、県とか、最終的には全国まで行くんだけど」というように答えたところだ。

 

この感覚に、とても共感できた。私も14年前に鴨川に来たんだけど、今私が地域というと、まず最初は自分の住む佐野地区。そしてそれが大山地区へ広がり、旧長狭町(現在の長狭小中学校校区)、鴨川市へと広がっていくのだ。

地域活性化、という言葉は時として抽象的に語られやすいが、自分が暮らし、働く地域を出発点とすることで、ぶれることなく物事を考えていける気がしている。

 

ここを現場としてがんばっていこう、と改めて思った。私もこんな風に情報発信できたらなと思い、今妄想しているところ。

 

ちなみに、前回はこれです。

“日本酒とインサイダーと中江兆民

https://youtu.be/tJNz-nEkF7w

収録場所は、実は我が家です。

お隣の釜沼地区での活動の話題から始まっています。

 

ジャーナルラジオの面々は、王国での活動を通じて知り合った、とても面白い人々です。これからも、いろんなことを一緒にやれたらと考えています。

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あっという間もなく…

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木曜日は王国に行く日。

冬は、チェーンソーを使って木を伐る仕事が多い。

今日は事務所脇の大木に取り掛かった。 

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プロから見たら大木というわけでもないのかもしれないが、私にとっては大木。

全部を一度に切るのではなく、太い枝ごとに切っていって、薪にして行く作業を並行して行う。

去年、チェーンソーを新調してからミスもしてきたけど、少しずつ扱いに慣れてきて、今日はかなり満足いく作業ができた。

枝を玉切りといって、適当な大きさに切断していくのだけど、その時に下から少し切ってから、上から切り落とすという工程を踏む。今までは切断面が揃わないことが多かったのだけど、今日は刃の入れ方を工夫してみると、ぴったり揃って切れるようになった。

安全にも配慮しながら、無事予定された作業量を終えることができた。

 

充足した気持ちでイベントレポートを書いていると、呼び出しが。

王国に上がってきた車が凍結路でスリップして、ギリギリ田んぼに落ちずに踏みとどまっているというのだ。

そう。鴨川ではもう雪が残っている地域も珍しいだろうが、自然王国は日陰が多いので、雪かきをしても融けた雪がまた凍ってしまうのだ。

車は、ちょうど凍結路の上で止まっているので、とても押したくらいでは動かない。

あらあら、と思ってしゃがんで様子を見ると、

 

あ!

と思う間も無く、

私は左前頭部をしたたか道路にぶつけてしまった。

眼鏡もひんまがってしまい、視界も定まらない。

思わず傷口らしきところに手を当てると、結構な血が。

あ〜、頭皮からの出血は結構血が出ると聞いていたけど、やっぱり出るんだな、と呑気に考えていた。

 

しかし、車を滑らせた人は私が転倒したことには気がついていない。手ぬぐいで頭にハチマキをした状態にして対応をすることにした。

電話で保険屋へ連絡をとって、車をあげる算段がつきそうなので、私は帰宅することにした。

車の運転中、なんだか頭がフワーっとするので、ちょっと不安になり、妻に救急診療に連れていってもらう。

2時間待った挙句に、軽い脳震盪でしょう、とのこと。

午後4時頃にぶつけて、7時頃になっても頭がボワーっとしている状況だったので心配だったが、診療を受けたこともあり、今は少し落ち着いている。

明日には治っているといいんだけど。

 

今日の作業中には、安全に配慮してスパイク足袋を履いて作業していたのに、様子を見にいった時には普段通りの長靴で行ったのだ。

スパイク足袋を履いていれば、転倒しなかったのに、と思うと自分の鈍臭さにもほどがある、と後悔しきりである。

 

みなさま、転倒にはご注意を!

て私だけか…

 

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満開の桜と日々と。

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私が勤める鴨川自然王国の山小屋前の桜。

花見イベントを1週間以上すぎてようやく満開に。

昨日、雨が降る前に撮影したもの。

今年も、きれいに咲いてくれた。

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この桜は、王国入口を曲がって田んぼ沿いの細い坂道を登りきったところに植えてある。

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作業中に、桜を見上げて撮影。

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田んぼのくろぬりを進めている。

田んぼの作業を始めるようになって、もうすぐ10年くらい。自分でもやっているけど、こちらは今年でようやく5年目。

あぜきわの土手みたいなものを作る作業がくろぬり。

実は、作業がいくつかの工程に別れているのだ。

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備中鍬で田の内側にある土を寄せる。

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ひっぱってきて。

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のせて。

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あげる。

 

この作業をあぜの端まで繰り返し、1日くらいおいて、田の中に入って先ほどのくろ塗り作業に入る。

 

田んぼの作業は、どうしても田植えと稲刈りが中心で、多い場合は草取りや脱穀作業を一緒にやったりすることがある。

だから、このくろぬり作業はなかなか体験に取り入れることが難しい。くろぬりができるようになると、田んぼの形がだいぶできてくるので、派手ではないが、嬉しい感覚を味わえる瞬間である。

 

今日は、家で作業する日。

昼から雨が強くなるということなので、早朝から作業して、なんとか目標を達成。

で、今家でこれを書いている。外を見ると、だんだん雨が激しくなってきた。

種もみがようやく届いたので、稲の育苗も始めていかねばならない。緊張しつつも、充実した期間が始まるのだ。

 

 

 

 

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人に歴史あり

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我が家には、来月で満96歳になる義祖母がいる。

3年前に脳梗塞を発症し、現在は車椅子生活で、意思疎通も困難な状態になっている。

 

今日、本棚を片付けているとき、写真にあげた冊子を見つけた。昭和57年の発行だ。

何気なくめくると、会長挨拶に義祖母の名が。

これは、と思い捨てずにとっておいて、時間があるときに読み始めてみた。

 

手が止まった箇所がある。

それは、私の住む佐野集落に簡易水道を入れた時の話を義祖母が書いているのを見つけた時だ。

義祖母は現在の南房総市白浜に育ち、昭和26年にここに嫁してきて、学校教員として勤めていた。

少し長いが、当時の状況がよくわかる箇所を引用する。

 私は昭和26年4月に大山の住民となり職業婦人としての生活が始まりました。

  一番苦しかったことは、家に帰ってからの水くみでした。井戸からつるべで、バケツに水を汲んで両手に下げ、30メートルくらい離れた台所の水がめに5回くらい、風呂に15回くらい運ばなければなりません。その他、洗濯の水くみ。水がめ一杯の水を1日大事に使ったものです。

 昭和27年に、井戸にガチャポンプを取りつけてもらいました。やはり運ぶのが大変でした。

 昭和29年11月に、庇の中にポンプを据え付け、そこまで配管して家の中でポンプを押せば風呂や水がめに水が入るようにしてくれました。

  家族全員大喜びでした。しかし、深井戸ではなく溜り水のような井戸のため、しばらく晴天が続くと枯れてしまう状況が夏になると繰り返されました。田谷沢へ洗濯をしに行ったり、近所にあるよく出る井戸にもらい水に行ったり、苦労しました。  

このあと話は、昭和32年に集落に簡易水道を入れる話がまとまり、みんなで引いたところに続く。

そこも感動的なのだが、義祖母が嫁いできて、仕事を終えてから苦労していた様子が偲ばれて、たまらない気持ちになった。

 

簡易水道が引かれてからの様子は、

現在ではどこの家庭でも台所が改善され、水道が取りつけられ生活を明るく楽しいものにしています。

とある。

義祖母の気持ちがよく表れている一文だ。

 

この文章をもっと前に読んでいれば、義祖母にいろんな話を聞けたのだが、今となっては話もできない。しかし、ここに義祖母の歴史が記されている。

その歴史を受け継いで、今私もここに暮らしているのだな。

 

義祖母が水汲みに苦労した井戸は、今は電動ポンプがつけられて、菜園の水やりに使われている。集落全員で引いた簡易水道は、管理者が少なくなってしまい、今は一部の村人が管理していて、我が家は使っていない。改めて、水の大切さを感じる。

 

ちなみに、昭和57年当時はまだこの地区には市営水道がなかったらしく、あと1〜2年でこちらにも市営水道が引かれる予定とあった。ずいぶん先まで水道が来なかったのだ、と驚いた。

 

この冊子には、当時の女性たちの暮らしや思いが綴られていて、大山の歴史としても素晴らしい価値があると思う。大切に保管しておこう。

 

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ここがわたしの仕事場です。

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午前中は、3回目の竹切り。

週に一度、3時間だけの作業時間しか取れない。

あ〜、なんでこんなに忙しいのだ?

やることがありすぎて、相変わらず手が回らない。

それでも、コツコツ作業を続けて、ようやく合計270本まできた。

次の作業は何人かで一気にやれるので、きっと目標達成できるな。

この現場が、だんだん愛しくなってきた。

通い続けると、愛着がわくものだ。

 

午後からは、締切間際となっているあるNPO法人の申請書類作成。

 この本が虎の巻。

NPOには色々関わってきたけれど、立ち上げるのは初めて。書類作りは面倒だけど、理念がきちんとしていればやるべきことをやるだけなので、さほど困難なことはない。

やる時間がなくて、関係各位にご迷惑をおかけしているのだが。

後少しで、これも完成するだろう。

 

夜は中学3年生の英語。来週はいよいよ千葉県の公立高校入試。生徒たちの目も、いよいよ真剣になってきている。彼らの気持ちをどれだけ喚起できるか、毎回の授業が勝負だ。

 

いろんなことをやっていると、自分がいろいろ関わっていることの喜びを知る。大変なことも多いけど、妻に言わせれば、「好きなことしかやってないよね」ということらしい。

それは否定できないな。

好きなことをやって、命がつないでいければ、それは幸せなことだろう。

 

 

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竹切りと会議と

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学年閉鎖2日目の次女は、すでに家が退屈でたまらない。長女は普段どおり登校しているので、遊び相手もいない。

そこで今日の午前中は、三人で竹切りの続きをやることにした。

私が下で竹を伐採している間、妻が210センチに切って、次女が枝を切っていた。

私たちと同じように、ほぼ3時間作業し続けた。

農作業をすることが好きみたいだ。将来はどうなるかわからないけど、今こんな風に一緒に作業できることは楽しいし、幸せだな。

今日は、足を90本、長さ4m強の腕を11本取れた。

目標の300本まで、あと130本。

これを早く終わらせて、鶏小屋建設と田んぼ準備を始めたい。

 

夜は妻と月例会議。

今年から始めて、2回目。家計のことと、今月の予定を話し合うことにした。

何にどれだけかかっているかを知ることと、何をやろうとしているかを話し合うことで、お互いの予定をつかむことができるし、同じ方向を向いて進んでいけるような気がする。

今月も予定が盛りだくさんだ。

初めてやることもあるし、1つ1つを学びとしていきたい。 

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青森からのお手紙。

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手紙が届いてるよ、と王国で渡された封筒を開けてみると、手紙と3通の通信が入っていた。

「ほどいも通信」という名の通信だ。

学生時代に関わっていたワークキャンプ団体のキャンパーの女性が、結婚して青森に移住したことをきっかけに始めた通信。

東京で就職していたとき、彼女は何度か鴨川にも遊びにきてくれていて、いろんな話をしたことを思い出した。

そんな彼女が、結婚して家族で青森に移住し、農業研修を始めるなんて!

通信には、様々な村の暮らしが書いてある。

私がここにきたときも、似たような感動を覚えたことを思い出した。

都市生活では味わえないものが、農村部にはあるのだ。これを面白く伝えていくことが、私たちの技術だと思う。

彼女が、これから1つずつ暮らしを作っていくんだなと思うと、「応援したい」というよりは、「一緒にやろう」という気持ちになる。

現場は離れているけど、実現したい暮らしの方向は似ている気がするのだ。

インターネットを使うのではなく、あえて手書きで通信を書いているのだけど、それも始まりとしては素晴らしいし、彼女の味が出ていて、読んでいてとても楽しい。

また、仲間が新しい道を踏み出した。

共に歩こう。

 

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 今朝の王国の様子。

いい朝日に照らされた、素敵な朝だった。

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何のための仕事?

先週からの炭焼き作業の続き。

だいたい、週のうち火曜日と水曜日が定例作業になりつつある。

今日は木割りといって、90センチに玉切りした材を炭にしやすいよう割っていく作業。

長老たちが残してくれた大きな自作薪割り機で割っていく。

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薪割り機には2人でとりかかるので、それ以外のメンバーは棚木といって、窯の中に炭材をならべたときにできる空間を埋めるために使う短い材を作ったり、割った木を並べる作業を行う。

 

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これが、棚木を積んだ写真。

太いのやら細いのやらがいろいろ混ざることで、隙間なく空間を埋められるというわけだ。

 

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割った木を並べた。写真の左にあるのは、割らなくても炭にできる太さのもの。

これを窯の奥の方に詰めて、割ったものは窯の手前に並べていく。

炭にするときに、窯の手前の方は温度の関係で燃えてしまうことが多いので、燃えてもあまり痛手ではない割り木を置くという仕組みになっている。

 

先日も書いたが、2月13日から、この冬最後の炭焼きを行う予定。ぜひご参加を!

 

ところで、私たちが焼く炭は、欲しい人に売っているのと、自分たちの自給用として利用されている。

一回の炭を焼くのに、5人が10日間以上の時間をかけている。単純に計算しても、作業に見合う対価としての金銭を得られるわけではない。

 

でも、「結局さ、金になんなきゃ意味ないんだよ」
という考えには断固として反対したい。
もちろん、霞を食べて生きていけないのは私でも知っている。
しかし、その行為を行った直接の結果として、金銭という対価を得ることが全てではないと思っているのだ。
一見無駄に思える行為の積み重ねが、総体として生きる道を作っていくのだと確信している。

炭焼きをすることで、私は伐倒技術や機械の使い方を学んでいる。市役所にその目的と内容をプレゼンすることで市からの補助も得られた。その補助を利用して講習会を開いて、来月には地元の小学校に木炭を使った授業をしにいく。周辺事業が生まれてきている。

 

とすれば、暮らしそのものを仕事として、その全てから対価を得られればなんとか生きていけるのではないか?という仮説が成り立つ。

生きていくため、そしてちょっとした余裕のためのお金は必要だし、欲しい。

 でも、それだけを目的にはしたくない。

この仮説を絵空事にはしたくない。

それを証明していく作業が、私にとっては、生きることなのだ。

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喪失感と創造と

阪神淡路大震災から22年。

忘れようとしたって、忘れられるわけのない日だ。

あの日から、私の全ては変わってしまった。

当たり前のものなんて、ないのだと。

確率的には、今日と同じ明日が続く確率が高いに決まっている。全てシステムは、それを前提としてできているのだし。

しかし、起きてほしくない現実は、必ずおこるのだ。生命がいつか必ず絶えるように。

全てをなくしても、命があれば生きていける、そのような自分と人生を作っていこうと強く思っている。

 

今日は、炭焼きの仲間と炭材を集める日。

林良樹さんがやっている天水棚田自然酒の会で使っている田んぼの土手に生えている木の伐採。

これらを伐れば、田んぼに日がだいぶ入るだろう。

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 集まった5人のうち4人が全く同じチェーンソーを使っているのだ。同じ時期にみんな買い直しただけなのだけど。

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炭焼きを釜沼の長老から受け継いで、もう3年が経つ。お互いの都合を合わせるのが、なかなか大変なのだけど、同じ志を持ってやれているのが本当に嬉しい。

 

1人が伐採した木を、みんなでバラしていく。

お互いの動きもわかっているので、仕事がどんどん進んで心地いい。

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無くしたものを取り戻すことはできないけれど、新しいものを作っていって、確実に形に残していくことで、なんらかの生きた証は残すことができるはずだ。

 

 

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受け継ぐ仕事と始める仕事と

朝から、今年初めての集落作業に出かける。

昨日少しだけ降った雪がまだ残っていて、朝日に映えてきれいだった。

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今日の作業は、防護柵周りの整備。

土手に生えている竹や雑木を切り、燃やす。

イノシシなどの進入によって崩れた土手は、

土を土のう袋に入れて行って、再び崩れないように土のうをストックしていく。

朝から、20人弱の作業。

集落のほぼ全員だが。

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集落の作業はいろいろ種類があるのだけど、

一番多いのが草刈りとこの防護柵周りの整備だ。

これを怠ると、野生動物たちの楽園になってしまう。もう少し、人間が住みたいのだ。

 

さて、その後に予定されていた集落の新年会はキャンセルして、今設立準備をお手伝いをしているNPOの昼食会へ。

 

このNPOは、放置竹林をウッドチッパーを使って竹チップにし、里山をきれいにして、新たな仕事も生み出すことを趣旨として設立される。

ひょんな事からお手伝いを依頼されたのだが、話を聞いてみると面白いし、何より自分としてもやってみたいことだと思ったのだ。

日程がタイトなので、形にするのが大変だが、スタートアップは一番盛り上がって楽しいところかもしれない。

 

ところが、今日はこれでも終わらない。

3月に予定されている、千葉大学とともに行うイベントの下見が入っているのだ。

これも、廃校になってしまった大山小学校を何とか利用できないか?という思いから始まった動きの一環。足かけ7年に渡る廃校利用活動も、今年は大きな変化を迎えるかもしれない。

 

集落で受け継ぐ仕事と、仲間とともに始める仕事と、2つを同時にやれるなんて、本当に楽しいことだ。

 

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