阪急電車

私が兵庫県出身であることから、親戚が勧めてくれ,おまけにわざわざ鴨川まで送ってくれました。
これは今年の正月のことでしたが,お盆になり親戚が来るので,返す前に再読しました。

阪急電車

阪急電車

阪急今津線が,この小説の舞台です。
私が大学やアルバイト,そしてデート!(たまにね)にいくときに使っていた線なのです。
内容に入る前に,既に舞台設定だけで懐かしいです。

軽く読める内容の小説ですが,おもしろいと思ったのは電車、駅という多くの見知らぬ人が通り過ぎる中での偶然に見える出会いが描かれ,それぞれの人生がそこから垣間見えるところです。
各駅ごとに人の出会いがあって,読み進めるたびにそれぞれが関連して展開していきます。

最近ある本で「視点移動することが大切だ」という言葉に出会いました。
”視点移動”とは、読んで字のごとく視点を移動させてあるものを眺めることと認識しています。
電車の中では多くの人とすれ違いますが,それはほとんど”人”の形をしているだけで,具体的な”誰それさん”という存在になりにくいものです。
登場人物たちは、普段の私たちと同じようにいろんな人とすれ違っていきますが,私たちは作品を読んでいるのでそれぞれの人物の背景を知っています。
視点が変わるだけで,登場人物たちが違った色に見えてくるのがおもしろいです。
普段の生活でも,私からの視点だけでなく,相手の視点に立ったり,また第三者の視点に立ってみたらどうだろう?と考えるのは有益な気がしました。

ふと疲れたときに読むと,ほっとしたり、和やかな気分になれる本です。
自分が電車に乗って,登場人物たちを眺めているような気になれました。
楽しく読めて,気づきもあって,おもしろい本でした。

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エコール・ド・パリの日本人野郎

今朝は、昨日の祭りで疲れたのか、5時過ぎの起床になってしまいました。
飼い犬のハッピーがせがむので一回り散歩して帰ってきて、

を読み始めました。

”大杉(栄)は「自然と戦い、権力社会と戦う。闘争は人生の花だ」と豪語している英雄だ。だがおれは英雄にはなれないし、なろうとも思わない。しかし、おれにはおれにふさわしい、おれにしかできない人生があるはずだ。健康で、朗らかで好きなことを懸命に学び、好きな仕事で体験を積んでゆけばかならず自分の進路が自然に開かれよう”

探していたわけでもないのに、こんなフレーズが飛び込んできました。
この作品の主人公は松尾邦之助といい、フランスに25年滞在しながらさまざまな人物との交友をしていた人物です。
まだ読み始めたばかりで、内容がよくわかりませんが、
”健康で、朗らかで好きなことを懸命に学び、好きな仕事で体験を積んでゆけばかならず自分の進路が自然に開かれよう”
この言葉に会えただけでもこの本を読んだ意味があると感じました。

この一節は、今の自分の暮らしを言い当てていると思うのです。
先の道筋がきちんと見えていたわけではないのに鴨川に飛び込んできて、何者かに流されているかのような人生です。
でも、昨日のお祭りにしても一から作るところから部落の人と一緒にすることができて、大山不動尊の境内に上がって宮立ちを奉納していると、「いいお祭りだな、一年に一回このようなお祭りがあるのはいいな」と心から思いました。
太鼓と笛の音、人々のざわめきは心をいよいよ昂ぶらせます。
夜の片づけを終えて、お隣さんと一緒に歩いて帰っていると「この暮らしをしていけばいいんだな。自分の選んだ道を歩んでゆけばいいんだな」と思えました。

祭りという大きな区切りを終えて、また今日から日常が始まります。
暮らしを作る日々を続けていきます。

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放浪のダダイスト辻潤

4時過ぎに起床して、犬にえさをやります。
暑いせいか、以前より食欲がありません。
食欲はないが、5時前になると散歩をせがんでほえるのです。
まだみんな寝てるし、お隣さんも近いし、
面倒くさいな、と思いつつも散歩に連れ出します。

30分くらい歩くと気分転換にいいよ、とどこかの本に
書いてあったので、ウォーキングシューズをはいて犬と散歩。
今日はちょっと遠回りしてみました。
家の周りは、もちろん田んぼだらけです。
稲の花が咲いて、穂が出てきています。
食品加工場は5時前でももうフル稼働しています。

「なんか行き詰ってきたなぁ、どうしようかなぁ。」
と考えていても答えは見つからず、田を見たり、空を見たり、
無心に歩き続ける犬を見ながら帰ってきました。

家に帰ると、3日ほど前から読み進めてきた読書の続き。

この本に、辻潤の言葉として引用されている言葉があります。

”自分の生きていく標準を他に求めないことである。人は各自自分の物尺によって生きよというのである。それ以外には何の道徳も標準もないのである。一々聖人や賢人の格言や、お経の文句を引き合いに出してくる必要がなくなるのである。約束や習慣はその時々に最も便宜であると思われるものを選べばよいのである。世の中にこれでなければならないという客観的標準は一つだってありはしないのである。”

”健康で、無邪気で、自然に、その日その日を送ってゆかれたら、そのほかに何の問題もなくなるのじゃあるまいか——。犬や猫や植物やなにかは別段目的もなく、ただ生きてゆければそれでいいように思われる、人間だってやはり結局は生きればいいのだ、唯それだけの話なのだ、犬や猫や、松の木とちがうところは欲望が複雑だというだけだ、しかし複雑だということは別段たいした自慢にもならない、特別にそんなことをエラそうに考えるだけが可笑しな話なのだ。”

辻潤は、今の世で記述されることがあるとすれば、関東大震災で虐殺されたアナーキスト大杉栄の妻伊藤野枝の前の夫であり、放浪して死んだということだけだそうです。
私自身、このような認識しかなく、どんな人なのだろう?と考えていたところにこの本に会えたので、むさぼるように読みました。

大正時代について、調べて行く必要性がありそうです。明治と昭和にはさまれた短い期間、というような印象しかありませんが、この本を読んだだけでも魅力的な人物がたくさんいたことがわかります。
ダダイストについては、定義をいわれてもまだ実感するところはありませんが、私にできるとすればダダイストとお付き合いすることくらいかなぁ。
いや、お付き合いすらできないかもしれない・・・

この本は、玉川信明セレクション 日本アウトロー列傳の一冊目です。
実はすでに、前五冊購入済。そのうち、辻潤と、山岸巳代蔵について書いた作品を読みました。残り三冊も面白そうです。突然、大正時代に呼ばれた感があります。

さらに、先日の帰農塾の高野孟さんの講義に「田中角栄」の話が出てきて、これまた田中角栄関連本を9冊購入。
今の日本を知るために、私にとってはすでに歴史的人物とも感じられていた田中角栄を知る必要がありそうです。
日本の歴史だけじゃなくって、戦後政治史も勉強しなきゃいけなくなりました。
忙しくなってきた。

それから、今日は王国イベントです。
熱中症予防のために、粉末ポカリスエットを用意しました。
大きなテントも購入済。
元気に楽しく過ごしましょう!

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呼吸入門

呼吸入門 (角川文庫)

呼吸入門 (角川文庫)

を読み終えました。
普段生活する中で,”呼吸”を意識することはありませんが,
ふとしたときに、深い息をしよう,と思うことがあります。

例えば,行き詰まったなぁ(笑)と思うとき。
午後からはパソコンの前に座っている!ので、
じっと画面を見ているとぼーっとしてきます。

そんなときに、この本に出会いました。
著者は,呼吸の型として「3・2・15の呼吸」を提唱しています。
内容は,3秒すって,2秒ため,15秒はく。
これを6回、2分間集中して行う,といったものです。

昨日から意識して,この方法を取り入れました。
今日のエントリーを書く際にも,この呼吸をしてから書き始めています。
ぐじゃぐじゃと考えて書いていた時よりも,
すこしリズムに乗って書けているような気がします。

また、著者は型の三要素として,
「誰でもその場で教えられる。誰が教えても同じようにできる。誰がやっても同じ効果がある。」
をあげています。
呼吸法の型もこの三要素に則っているとのことです。

もともと呼吸に興味があったので,しばらく実践してみます。
薄い本ですが、息の大切さなども詳しく書いてありますので、おすすめの本です。

種まき大作戦の田んぼの大豆が元気です。
水は枯れています・・・
雨よ,降れ!

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発酵道

発酵道―酒蔵の微生物が教えてくれた人間の生き方

発酵道―酒蔵の微生物が教えてくれた人間の生き方

書庫にあったこの本を,ふと手に取りました。
自然酒五人娘 発芽玄米酒むすひ 香取 蔵元 寺田本家のお酒は,アースデイなどのイベントで
しょっちゅう口にして,とくに醍醐のしずく,発芽玄米酒むすひなどは大好きなのです。

この本は,その寺田本家第23代当主寺田啓佐さんが書かれた本です。
婿入りして,会社をなんとかしようとあれこれ手を出して,社員が悪い、社会が悪いと奔走しているうちに,腸が腐る病気になってしまい,入院。そのとき,「自分の生き方はこれでいいのか?」と考え始めたそうです。
そこで、いかに自然との関わり方を見直すか,という視点から「発酵するとくさらない。人間の生き方も腐敗するか,発酵するかの二つだ。発酵する生き方をしていこう」と思われたそうです。

発酵は,微生物の働きによって起こります。
では,その微生物はどんな生き方をしているのだろう?
酒は,微生物が次々と入れ替わる(バトンタッチという表現を使っています)ことで、その成分を変えお酒となります。

その働きを見ていると,寺田さんは,微生物が自分らしく生きていて,楽しく,仲良く働いているように見えるそうです。
本を読んでいると,そんな寺田さんの気持ちが伝わってきます。
実際にお会いしたこともあるのですが,柔和な笑顔が思い出されて,ほこっとした気持ちになります。

最近自分の将来,王国の将来をどうしようか,どうなるのかと考えていたときに、この本の言葉は大きかったです。

”自分を後回しにする生き方をしてゆく”
”自分のことばかり考えるな。自分の都合は捨てろ。相手の喜ぶこと,まわりが喜ぶことを第一に考えなさい”

この二つの言葉は,言い古されたようで,今はなかなか実践していない考えでした。ふりかえれば、自分優先に生きてきたことが多いです。

”あなたのお酒は,お役に立ちますか?”

というのは、ある人から寺田さんにいわれた言葉ですが,これはそのまま私にも通じる言葉です。私の仕事は,誰かのお役に立っているだろうか。王国に来てくれる人たち,関わる人たちのお役に立っているだろうか。意識していきたい言葉です。

”温度や湿度など,物理的に同じ条件であっても,造り手によって全然違う酒ができるし,たとえ同じ造り手であっても、そのときどきの感情によって微妙な違いが酒には出てしまうのだ。だから私が酒を造る場合,私以上の酒はできない。自分が偽物であれば,偽物の酒しかできない。どうあがいたって、その人以上の酒はできないのだ。”

これは、仕事にも通じるし,田んぼや畑にも通じる言葉だと思います。自分に甘えがあって,あまり野菜に手をかけてやらなかった時,野菜たちが切ない姿になっていたことを思い出します。家で飼っている犬に対しての思いも,そのまま私の感情が彼に伝わっている気がします。野菜が元気に育つのは,技術に加えて私がどんな人間か,どんな思いで接しているのかが大きな影響を与えるのかもしれません。

寺田さんが出会った石川洋さんは,「感謝にまさる能力なし」といい、こんなことを言っていたそうです。今日はこの言葉を締めくくりとして終わります。

つらいことが多いのは
 感謝を知らないからだ
苦しいことが多いのは
 自分に甘えがあるからだ
心配することが多いのは
 今をけんめいに生きていないからだ
行き詰まりが多いのは
 自分が裸になれないからだ

どんなことにも感謝できる生き方をしていきたい。
見渡せば,まわりのすべてに感謝できるじゃないか!

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古典との対話とは

戦争と平和〈4〉 (新潮文庫)

戦争と平和〈4〉 (新潮文庫)

こちらはいよいよこの4巻目に突入。
モスクワに侵入したナポレオン率いるフランス軍が
退却し始めている。

同時並行的に読み始めてしまったのがこれ。

文明論之概略 (岩波文庫)

文明論之概略 (岩波文庫)

このところ、以前買った本を引っ張り出すことが多い。
資金不足もさることながら、読みたいと思って買っておきながら
読んでいない本が多いからだ。

で、これも当然のごとく途中で挫折していたんだけど、
先日N岡君と会ったときに、
「僕はこれを読みながら読みましたよ」
と教えてくれたのが、これまた存在だけは知っていた

文明論之概略を読む 上 (岩波新書 黄版 325)

文明論之概略を読む 上 (岩波新書 黄版 325)

である。ついでに

「文明論之概略」を読む(中) (岩波新書)

「文明論之概略」を読む(中) (岩波新書)

文明論之概略を読む 下 (岩波新書 黄版 327)

文明論之概略を読む 下 (岩波新書 黄版 327)

3冊一度に購入。(古本で。ほんとに古い本だった)

まだ「『文明論の概略』を読む」の上巻を読み始めたばかりだが、
印象に残る言葉があった。

”とことんまで惚れてはじめて見えてきた対象の真実は、一時ほどの熱がたとえ醒めたあとでも、持続的な刻印として当人の頭脳と胸奥に残るものである。”

古典を読むことが多いのだが、それは自分の中で読むべき本としてリストアップされているから、というのもあった。しかし、古典を読んでなんになるのだ?只の自己満足か?と思ってしまうと自分の行動に疑いを持ってしまうが、この言葉は自分の支えになってくれそうだ。

”古典を読み、古典から学ぶことの意味はー少なくとも意味の一つは、自分自身を現代から隔離することにあります。「隔離」というのはそれ自体が積極的な努力であって、「逃避」ではありません。むしろ逆です。私たちの住んでいる現代の雰囲気から意識的に自分を隔離することによって、まさにその現代像を「距離を置いて」観察する目を養うことができます。”

そのように古典を読んできた丸山真男の薫陶を受けているような気分になる。知識が多すぎてむろんついていけてないが。エッセンスをつかめればそれでいいだろう。

”何をテーマとしていないかという点に着目することがむしろ大事だと思います。(中略)逆に何がそこでのテーマでないかを知ることによって、対象をより鮮明に浮かび上がらせることができるのではないか、と私は思います。”

これは古典だけでなく、なんにでも使えそうだ。
何をテーマにしていないか、から対照を明らかにするなんて、かなり知的作業ですね。
意識して取り組んでみたい。

あぁ、なんか意気込みだけで終わってしまったよ。
ハッピーの散歩に行ってきます!

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戦争と平和

戦争と平和〈1〉 (新潮文庫)

戦争と平和〈1〉 (新潮文庫)

戦争と平和 (2) (新潮文庫)

戦争と平和 (2) (新潮文庫)

何年も前に全巻購入し,本棚に並びっぱなしだったこの本を読み始めた。
名作なんだろうけど、大作すぎて途中でやめてしまっていたのだ。
全4巻のうち,2冊目の半分まで読み進めた。
登場人物の名前がいろいろ変わるのでわかりにくいのだけど,
気合いを入れて読んでいる(ボールペンで線を引いている)ので今のところ
展開についていっている。
印象的な登場人物がぽつぽつ出始めた。所々ちりばめられる警句などもすばらしい。
あまりにのめりこむと、現実に帰って来れない!?かもしれないので、
一気に読まず,ぼちぼち進めていこう。

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つまり、行動を起こせ。

赤めだか

赤めだか

立川談志の弟子、立川談春が真打になるまでの自伝的エッセイです。
評判だったので、思わず購入しました。
エッセイの内容もとても面白く、ドラマチックなのですが、印象に残ったのは、
師匠である立川談志の言葉です。

「いいか芸人に限らず、現状を改善するには行動を起こすんだ」

「時代が悪いの、世の中がおかしいといったところで仕方がない。
現実は事実だ。そして現状を理解、分析してみろ。
そこにはきっと、なぜそうなったかという原因があるんだ。
現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。
その行動を起こせないやつを俺の基準で馬鹿という。」

まるで、自分に語ってくれているかのようでした。
現状を改善するには行動を起こすしかない。
今の自分を振り返ってみて、今のままではいけない、自分を変えたいと思っています。
とすれば、自分を変えるためにはどうすればよいか。

現状を認識して把握し、処理することですね。
生活の時間帯も、早寝早起きでリズムが作れるようになっています。
この生活時間帯の中で、できるだけのことをしてゆこう。

「修行とは、矛盾に耐えることだ」。
ただいま、人生修行中。
それも、本番をやりながらの。

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ニュースの読み方使い方

ニュースの読み方使い方 (新潮文庫)

ニュースの読み方使い方 (新潮文庫)

妻に栗原はるみの本を頼まれたので、書店に久々に行くと、
この本が私を呼んでいた。
しばらく立ち読みをして、線を引きたいところがいっぱいあったので
思わず購入。
最近はかなり資金不足で、小林秀雄全作品と福田恒存評論集しか
買っていないので、久々の新本。

この本で再確認できたのは、
「要するに、どういうことか」を大切にするということ。
いろいろやっていると散漫になってしまい、まとまらなくなるのが常。

「ここがわからない」
   ↓
「どうやったらわかるんだろう?」
   ↓
「ふむふむ」
   ↓
「あれこれ書いてあるなぁ」
   ↓
「なるほど、要するにこういうことか」

という思考パターンを踏んでいくのだ。
毎回こんなことを書いているのだが、少しずつ実践しながら
身につけてゆくしかないんだろうな。

要するに、私はまだまだ未熟だということだ。

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脱グローバリゼーション

現代農業11月増刊のタイトルは、

「脱グローバリゼーション 「手づくり自治」で地域再生」である。

結城さんの文章の中に、「なるこの米プロジェクト」http://www.narukostyle.com/の話を聞いた中学生の

鳴子も小さいところなのに、鳴子鳴子ができることをしていてすごいと思った。」という言葉があったが、

これが今一番重要とされている考え方、取り組み方なのだと思う。

山下惣一さんは、「世界の富裕層のためではなく、

地域住民の「生活必需品」としての農業をめざしていこう」という。

アメリカでウィリー・ネルソンやニール・ヤングが中心となって

「ファームエイド (farm aid)」というイベントを行っているが、

そこでのテーマは、「おいしいものを食べるため、それを作る人を

支えるためには、世界じゃなくてローカルに目を向けよう」である。

世界のいたるところで、自分のできるところから始めていこうとする人々がいる。

明治大学の小田切教授は、「自治は単なる「手段」ではないのではないか?」と問う。

自治とは、そこに参加して、自らの意見を述べ、自らの手づくりで

幸せな未来を切り拓くことで、それ自体が目的ではないのか、という。

そういえば、私も鴨川に来て驚いたことは、ここには自分たちの手で

地域を守っている人がいる、ということが。

消防団にしろ、村の役にしろ、半ば義務みたいなものだけど、それでもこれこそが

この村を営々と守り続けてきたものなのだろう。

増刊号に出てくる他地域を見るとうらやましく思うことが

たくさんあるのだけど、本号のテーマから考えれば、

王国は王国のできることを、鴨川は鴨川のできることを、

私は私のできることから始めよう。

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