古典との対話とは

戦争と平和〈4〉 (新潮文庫)

戦争と平和〈4〉 (新潮文庫)

こちらはいよいよこの4巻目に突入。
モスクワに侵入したナポレオン率いるフランス軍が
退却し始めている。

同時並行的に読み始めてしまったのがこれ。

文明論之概略 (岩波文庫)

文明論之概略 (岩波文庫)

このところ、以前買った本を引っ張り出すことが多い。
資金不足もさることながら、読みたいと思って買っておきながら
読んでいない本が多いからだ。

で、これも当然のごとく途中で挫折していたんだけど、
先日N岡君と会ったときに、
「僕はこれを読みながら読みましたよ」
と教えてくれたのが、これまた存在だけは知っていた

文明論之概略を読む 上 (岩波新書 黄版 325)

文明論之概略を読む 上 (岩波新書 黄版 325)

である。ついでに

「文明論之概略」を読む(中) (岩波新書)

「文明論之概略」を読む(中) (岩波新書)

文明論之概略を読む 下 (岩波新書 黄版 327)

文明論之概略を読む 下 (岩波新書 黄版 327)

3冊一度に購入。(古本で。ほんとに古い本だった)

まだ「『文明論の概略』を読む」の上巻を読み始めたばかりだが、
印象に残る言葉があった。

”とことんまで惚れてはじめて見えてきた対象の真実は、一時ほどの熱がたとえ醒めたあとでも、持続的な刻印として当人の頭脳と胸奥に残るものである。”

古典を読むことが多いのだが、それは自分の中で読むべき本としてリストアップされているから、というのもあった。しかし、古典を読んでなんになるのだ?只の自己満足か?と思ってしまうと自分の行動に疑いを持ってしまうが、この言葉は自分の支えになってくれそうだ。

”古典を読み、古典から学ぶことの意味はー少なくとも意味の一つは、自分自身を現代から隔離することにあります。「隔離」というのはそれ自体が積極的な努力であって、「逃避」ではありません。むしろ逆です。私たちの住んでいる現代の雰囲気から意識的に自分を隔離することによって、まさにその現代像を「距離を置いて」観察する目を養うことができます。”

そのように古典を読んできた丸山真男の薫陶を受けているような気分になる。知識が多すぎてむろんついていけてないが。エッセンスをつかめればそれでいいだろう。

”何をテーマとしていないかという点に着目することがむしろ大事だと思います。(中略)逆に何がそこでのテーマでないかを知ることによって、対象をより鮮明に浮かび上がらせることができるのではないか、と私は思います。”

これは古典だけでなく、なんにでも使えそうだ。
何をテーマにしていないか、から対照を明らかにするなんて、かなり知的作業ですね。
意識して取り組んでみたい。

あぁ、なんか意気込みだけで終わってしまったよ。
ハッピーの散歩に行ってきます!

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