歴史の語られ方

鴨川に帰る前、八重洲地下街で一冊の本を買った。

増補〈歴史〉はいかに語られるか 1930年代「国民の物語」批判 (ちくま学芸文庫)

増補〈歴史〉はいかに語られるか 1930年代「国民の物語」批判 (ちくま学芸文庫)

歴史をどのように語るのかということに関心がある。
今さまざまなところで語られている「歴史」というものが、
結局は自説を補強するために資料として使われていることが
多いような気がしているからだ。
つまり、歴史とは何なのか、思い思いに解釈できるものなのか?ということ。
この考えを突き詰めると、歴史とは解釈を許さない客観的なものという意見になりかねないが、
別にそこまで突き詰める気はない。ただ、安易に語りたくないな、というところだ。

本書では、島崎藤村「夜明け前」、火野葦兵、林芙美子などの作品を中心に、歴史がいかに語られていくかに着目する。私が本書を取った一番の原因は、小川正子「小島の春」が検討対象になっていたからだ。
昭和初期に爆発的ベストセラーになった本書は、現在ではほとんど忘れられているも、ハンセン病について関心を持った者には名前くらいは触れたことのある本である。
私は当時、西宮のブックオフで偶然見つけて購入した。

小島の春は、若い女医が、無らい県運動の推進のために中国地方の産地、島部をあちこち訪ね歩き、後援会と診察をしながら啓もう活動を行っている様子を述べたものである。

(ああ、もっと書きたいが今はこれまで・・・)

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