向き不向き

何に向いていて、何に向いてないかを判断するのは難しい。
昔からの考えの癖でもあるのだが、
声を掛けられてこの場にいる以上、そこには何らかの意味で私に存在意義があると考えてしまうのだ。
実はたんに、人手不足だったからかもしれないが。

こんなにあれこれ考えるのは久しぶりかどうかも覚えてないけど、
先日、あの結城登美雄さんでさえ「60過ぎても悩むぞ」と言っていた。
無論私の悩みとは質が違うものなのだろうが、
人間ずっと悩み続けるのだと考えれば、決して追いつめられることもない。

大切なことは、深刻になりすぎないこと。
今日はそんなことに気づかされた。
愚痴を言ってもしょうがないというのは前から思っていたのだけど、
深刻になりすぎるというのも私の癖の一つ。

人の目を気にしすぎて、自分らしいものを失ってしまう。
自分らしいとは何かも問題になるのだけど、落ち着いて自分の行動を見つめた時、
その行動を認められるかどうかが一つの判断基準となる。

人が何か言うことも、一歩引いて考えてみよう。
自分が固ければ、相手も固くなってしまうだろう。
気にすることはない。
我も人間、彼も人間である。
恐れることはない。

そんなことを、赤坂ランチを終えた後考えたのだった。

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“向き不向き” への4件の返信

  1. ここに書いてつながるかしら?
    携帯が水没したので、連絡乞う。
    仕事復帰したのでランチでもしましょう。

  2. ごめんなさい。
    返信したつもりだったのですが、送れていませんでした。
    mixiに再送しました。

  3. 鈴木大拙が座談会で「迷うておる事が面白いんじゃ」って言ってましたよ。
    「鈴木さんだからそんな事言えるんですよ!」って突っ込まれてましたが・・・

  4. なるほどね。迷うのも楽しみやけどね。しかし、迷いのないほうが平安でいいのだが。。。

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