教えるということ

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教えるということは、恐るべきことだと思った。

 

私は今、ある個人塾で中学生に英数国社、高校生に英語を毎週教えている。

大学生の頃から家庭教師をやっていたので、自分の得意技だと思っていた。

どう伝えたらわかってもらえるか、それをいつも考えて実際に教えて来た。

生徒たちの顔を見ながら、理解できているかどうか、身につけているかどうか注意しながらやってきていた。

教科の話だけではなく、その時々の社会情勢のことなど交えながら、学校の勉強をおもしろく感じてもらいたいという意図を持っていた。

そして、「わかった!」と生徒が言うときはとても嬉しかった。わからない、というのを順序立てて説明するのも嫌いではない。

自分の話も、根拠を持ってポイントを挙げながらするようにしている。

 

しかし、どこかで独りよがりになっていなかったか。

彼らが求めていないことまで伝えようとしていなかったか。独善的ではなかったか?結果的に悪い影響を与えてしまったのではないか、と果てしなき自省が襲ってくる。

 

「教えることが好きです」なんて、たやすく言ってはいけない言葉だということを改めて感じた。

この歳になっても自分が不完全で未熟であることを見せつけられたとき、愕然とせざるを得ないが、それでも私が担当させてもらっている子供達がいる以上、自分の全力を傾けて向き合うしかないし、それには自分のたゆまぬ研鑽が必要なのだ。

 

私が彼らに関わるのはほんの一瞬にすぎないが、その一瞬に少しでも役に立てるよう、その一瞬に関われる貴重さを肝に銘じて日々を過ごさねばならない。

そして、今日も教える仕事をやるのだ。

 

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