トマトの思い出

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私が家にいて、日差しがあまり強くないときは、チーズを外につないでいるのだが、近くにいると鳴かないのに、離れるとすぐに大声で鳴きわめく。山羊は寂しがりやだと聞いたことがある。ずっと一緒にいるわけにはいかないのだけど、まめに会いに行こうと思っている。かわいいし。

 

午前中は、きゅうりのパイプアーチを立ててネットを張る。妻が手を貸してくれたので、きりのいいところまでは進めることができた。

6月を迎える頃になると、夏野菜の生長速度はさらにはやまり、手をこまねいていると作業はどんどん遅れてしまう。

 

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今年も、トマトを露地とハウスとで育てている。露地トマトの支柱を少し立てたのだけど、あまり手をかけられていなかったのでわき芽が随分生えてきていた。支柱を立てるのをやめて、先にわき芽かきを行なった。わき芽をかくと、トマトの成分が手について、トマトくさくなる。その匂いを嗅ぐと、いつも思い出すことがある。

 

トマトは、私にとって特別な野菜だ。17歳の時、3反歩のトマトハウスの担当になって、一夏、栽培に携わったのだ。毎日トマトハウスに通って、生育記録をつけたり、管理作業をしたりしていた。

 

ところが、夏を迎える頃からハウス内にオンシツコナジラミが大量発生し、トマトが真っ黒になったり、尻ぐされ病と言う、トマトの下の部分が黒く変色したりと、最後は出荷ができず、切ないことになってしまった。

 

そのトマトハウスをうまく管理できなかったことが、当時私がいた農業共同体を離れる決心をする遠因となったのだが、それはまた別の話。

 

その当時と比べると今はほんのわずかしか栽培していないけど、今でもやはりトマトを触るときはいとしさを感じるのだった。

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