もちろん、人は当たり前のように今日1日を生きている。でも、一人ひとりの1日はそれぞれ違うし、決して当たり前ではない。当たり前のように明日がある、また今度会えると思っていても、その当たり前は突如として崩れてしまう時がある。何か自分にやれることはなかったか、もっと気をかければよかったのではないかと振り返ってみても、その崩れた状況を取り戻すことはできない。どうしようもない思いを抱えて、日々を生きていくしかないのかもしれない。
突然何を書いているのか?と思われてしまうような書き出しで大仰な気さえするが、日常の何気なさこそ最も大切なものだ、ということを心に留めておきたいと思うのだ。
夕方から山賊会(水稲共同栽培グループ)の決算と打ち上げがあった。決算の会では、一人ひとりが自分の思っていること、今後やりたいことを出し合えたような気がする。私は今、昔自分が考えていたような暮らしとは全く違う暮らしをしているのだけど、頼もしい仲間に恵まれて、自分の思っていることをお互いに出し合えていることがとても嬉しい。ありがたいことに、そんなグループがたくさんあって、今の私はみんなに受け入れられているような気さえしている。それが錯覚でないことを祈っているが。この人々との協働の中から、どんな暮らしを紡いでいくのかが、今後の私の暮らしのテーマとなるだろう。
今日は彼岸入り。庭の彼岸花がきれいだった。
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