高校生時代は、
「気合いれ」というのをよくやった。
円陣を組んで、「気合入れていくぞ!」「オーッ!」
とやるのだ。
その当時は、それで相当燃えた。
若かった・・・
今は、それはしないけど、
あのときの気持ちと一緒だ。
胸の中の熱い思いをたぎらせるのだ。
農家民泊で田舎体験
高校生時代は、
「気合いれ」というのをよくやった。
円陣を組んで、「気合入れていくぞ!」「オーッ!」
とやるのだ。
その当時は、それで相当燃えた。
若かった・・・
今は、それはしないけど、
あのときの気持ちと一緒だ。
胸の中の熱い思いをたぎらせるのだ。
「私はずっと種を蒔いてきた。
だから困ったとき、みんなが助けてくれたんだよ。
全ての物事に感謝するんだよ。」
20年以上障害者の作業所で働いてきたおばさんの言葉。
これから意識するべきはこれだ。
何かにつけて自分を優先し、
自分を主張していてはそれは結局独りよがりなのだろう。
宇宙から見たらちっぽけな自分。
高いところから眺めてもちっぽけな自分。
それでも一生懸命生きているんだ。
とにかくやるべし、やるべし。
最後まで、全力でやるべし。
人づきあいが良い悪い、といった言葉を聞く。
何が良いのか悪いのか、一概には判断できないのだけど、
現在のような状況のとき、
普段のつきあい方がいかに重要かを痛感させられる。
逃げ足の早い人、
口だけの人、
何も言わずに物事に取り組む人。
様々な人がいる。
自分は、どうだろうか?
すごく厳しい見方をすれば、
つきあいたい人としかつきあって来なかった、ともいえる。
自分が本当に苦しいとき、
助けてくれる人は何人くらいいるだろうか。
そんなことをふと考えるのであった。
もうすぐ王国に帰れるのだが、
きっと一皮むけた私になっているだろうか・・・
今日は一冊の本が届いた。
しかさんのブログページが見つかりません:@niftyで
紹介されていたもの。
おもしろそうなので買ってみた。
しかし、いつ読むんだお〜?
いよいよ選挙が始まった。
毎日早朝から深夜まで、事務所につめっきり。
何もできなかった私も、この3ヶ月間で少しは
選挙事務にも慣れてきたようだ。
物事、人物と触れる経験は、人を変える。
自分の弱さに直面するのは楽ではないが、
「人生は、心一つのおきどころ」といった
中村天風の言葉を心において、
強く、元気にやっていくだけだ。
候補者も、全力でがんばってます。
祈ってください。
毎日やることがたくさんある中にも、
ふと手にとった本を買ってしまうことがある。
本が、私を呼んでいるのだ。
久々にこの著者の本を手に取ったのだが、
かなり勉強になる。
ざっと言ってしまえば、物事を進めるときに、
ちゃんと段取りしましょう、というだけのこと。
何かがうまくいかないときに、
「才能が無かった」「環境が悪かった」と
言ってしまえばみもふたもないが、
「段取りが悪かったからうまく行かなかったんだ」
と思えば努力したくなるだろう。
そういう観点で自分の生活を眺めてみれば、
なんとまあ段取りの悪いこと。
のんびりしているのはせかせかするより
いいかもしれないけど、反面それはただ
流れに任せているだけだ。
ああ、危ない。
今やっていることは流れに任せていては
きっとミスをする。
そのためにも、段取りしよう。
そこで、一昨日くらいから私は
「段取りを意識する」をテーマにしている。
すると、なんだか少し自分の動きが変わったような気がする。
意識して身体を動かしている気がする。
やり始めてすぐ飽きるのが悪い癖だけど、
飽きないように段取りしよう。
妹が、今日卒業式を迎えた。
私と同じところで高校時代を過ごし、
その後就職。一念発起し大検から大学受験。
卒業後は働きながら資格試験の勉強をするも、
方向転換を図り柔道整復師の勉強に入る。
中学生時代は、兄が言うのもなんだが、
あまり勉強ができるほうではなかった。
しかし、それから10余年を経て、
今日の卒業式では代表で卒業証書を
授与されたのだ。
人間の生き方は、短期間ではなく長期間のスパンで見なければならない。
私は、妹の生き方を真似たい。
もちろん、兄妹といえども性格も、特性も
違うのだからまったく一緒ではない。
だが、宣言したことを必ず実行する
その実行力に学びたい。
もちろん、柔道整復師の資格を取ったからといって、
これから何もかもが全てうまく行くわけではなく、
結局厳しいところでやっていかなければならない。
だけど、妹なら何とかやっていくと思う。
私は兄として、遠く鴨川から応援したい。
妹よ。卒業おめでとう。
兄はボケと突っ込みを一人でしながら、
「たけちゃん、あんたぜんぜんおもろないよ」
と言われぬよう精進しているよ。
今日はひさびさの王国イベント。
ジャガイモ定植だ。
最近には珍しく、参加者が10人に満たない。
う〜ん、みなさんがお忙しいのか、
それとも私たちのばたばた具合が
何らかの形で伝わっているのか・・・
とはいえ、会えばうれしい人々が
来てくれて、張り切って定植スタート。
くわしくはレポートに書きたいのではしょるが、
なんだか今日は私が畑体験をしているようだった。
なかなか畑に出る時間が取れず、
朝から夕方まで作業できたのは
本当に久しぶりだ。
広い空気の中で、懸命に土と
作業することは、やっぱり楽しい。
この時間を自分の生活から離してはいけないな、と思う。
昨日、あるWEBで、「人に期待しない」
という話を読んだ。
完全に理解したわけではないのだけど、
何かに期待したら、それが実現されなかったことに
不満を抱いてしまう。
でも、まず自分のやれるところからやったり、
自分で「やろう」と決めればそこからスタートできる。
人に求めても求めても、
安楽も安心も得られないのだろう。
来るものは拒まず、去るものは追わず。
言うは易し、行なうは難しだが、
その気持ちで進めていくのが、
結局は自分の余裕と安心を生み出すのだろう。
人とやって行く、という気持ちを持ちながら、
自分ひとりでもやってやる、という思いを
忘れずにいたい。
ところで、コメントを下さった方、ありがとうございました。
どうやって返信したらよいのかよくわかりません。
現在のところ、書ける範囲で書こう、ということしか思えない状態です。
それだけ心が騒いでいるような気がします。
ただ、私は元気です。
今のところ、気力充実です。
たった一人でやっているように思えますが、
私は多くの人の思いに支えてもらっています。
そのことに思いを致すとき、
自分の幸せを感じます。
ぼちぼちお付き合いくだされば幸いです。
以前のブログを読む今は、自分が試されている時だ。
天よ、艱難辛苦を我に与えよ!という気持ちでいるが、いかんせんブログを書く時間がなかなかとれない。
毎日少しでも書き続けます。
あるサイトで紹介されていたので、買ってみた。
印象に残った話を1つ。
江戸時代の長屋では、
一軒が蕎麦屋さんを始めると、
隣は粉をひいて、こねて、
もう一軒はだし汁を作って、
さらにもう一軒は薬味専門店で、
という感じで営業していたそうな。
ご飯は、交代で作って、
一か所に集まって食べていたという。
共食(きょうしょく、共食いではないよ)という
名前がつけられていた。
みんなで助け合って、お店も生活もやっていたんだな。
そして、こんな言葉もあった。
「江戸の長屋は狭いけれど、江戸の空は限りなく広い」
これを、
「鴨川の街は狭いけれど、鴨川の空は限りなく広い」
として、地産地消の流れを進めていければな、
と思う。
家畑のジャガイモ定植。
いつもなら3月上旬にするのだけど、
今年は暖かいので早めにすることにした。
やることがたくさんある中、
義祖母も妻も手伝ってくれ、
無事メークインと男爵を植え終わる。
庭の梅にウグイスが2羽止まって、遊んでいた。
作業を終えて、にわとりのシャックを庭に放し
しばし戯れる。
喧騒の中の休息。
リラックス、リラックス。
身体の力を抜いてゆこう。