田んぼのくろきり!

昨日土曜日は米どっぷりプロジェクト(通称:米プロ)の3回目。
1回目はほだ木切り、2回目はしいたけ、なめこ、ひらたけのコマ打ち。
米どっぷりプロジェクトと銘打ちながら、田んぼに関する作業はしていなかったのですが、
今回ようやく一回目の田んぼ作業となりました。
梅の花が、咲いています。

みんな思い思いの格好、というかヤッケ上下や作業ズボン、ジーパンといったいでたちでごくふつうの格好。
みんな鴨川に住んでいるので、作業着姿もすっかり板についています。

今日の作業はくろ切りです。
くろというのは、田んぼの畦のこと。
畦を作ることで、田の水をためるための堰となります。

仕事のやりかたを教わって、いざ開始。
今回の田んぼは、、10年〜15年ほど田んぼを休んでいたので、あぜと田の部分が同じ高さになっています。
田の水がくろを越えて土手にかかると、だんだんと土手が柔らかくなり、そのうち崩れてしまいます。


これが何も作業していないところです。

畦と田の部分にスコップを入れて、畦に盛ります。

おっと!

モグラかザリガニの穴を発見!!

穴を直しているところです。
穴がどこまで続いているか確かめて、そこに土をつめて土で叩いて、整えます。

だんだんと畦ができてきました。


少しずつ、田んぼらしい姿になってきました。


作業しているそばで、子供たちが遊んでいます。

持ち寄りでご飯を食べた後、午後からは下の田んぼへ!

3日前の花粉大量飛散により、花粉症の症状が出ているメンバーはつらそうでした。
でも、一生懸命です。

王国にいたころは、毎年栽培している田んぼだったので、
今回やったようにくろをしっかり作ったのは初めてでした。
一つずつ、体験してマスターしていきたいです。

次回は育苗ハウスのビニール張りを行う予定です。
これからは、稲の種まき準備、そしていよいよ稲の種まきと、
田んぼ作業がどんどん始まってきます。
楽しみです。

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やせれば、美人

著者の本が好きで何冊か読んでいたので購入してみる。
ダイエットの”達人”の語りも興味深かったが、
最終的には、「もう、いいや。これは食べなくても」
と思うことだった、というあたりに膝を打った。

「食べてはいけない」ではなく、
「食べなくてもいいや」という選択をしたことが
自分を楽にするのだと思う。

最近読み始めたこの本にも通じるものがある。

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昨年12月から、地域の有志で「米づくりどっぷりプロジェクト(略称:米プロ)」というのを始めた。
地域の人から声掛けを受けて、「やってみたい」というメンバーが集まった。
ゆくゆくは拡大していきたいのだけど、今は私たち自身が経験を積んで実力をつける時期、
という意味合いもあり、多くの人々に声掛けはしていない。

そんな中、昨年12月に我が家の山に生えているならを伐採し、玉切りにして保管しておいた。
今日は、それのコマ打ち作業を行った。


山においてあるほだ木をとりにいっているところ。

ドリルで穴をあけ、コマ打ちをしているところ。

コマを入れて。

ハンマーで打ちこむ。

木が足りなかったので、急遽伐採。

こんな感じで、山道に並べる。

ひらたけ、なめこは今秋に出るかもしれない。
味噌汁や、ムニエルが楽しみ。
シイタケは来年の秋まで、じっくり管理する予定。

この米プロは、一からお米作りを本気で学ぶ、という点に取り組んでいる。
来月は、クロ切りを行う予定。
クロというのは、田んぼの畦を指す言葉で、このクロをしっかり切ることで、
田んぼに水がたまる、というわけ。

楽しみがいっぱいだ。

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主体を作るということ

日々の活動の中で、「これをしたい!」という思いがあっても、
すぐに取り掛かれないことがある。
それは仕事上の問題であったり、そうでない面もあるのだけど。
そして今の私は、戦術上も覚悟のうえでも、
「誰か責任をもって手を挙げてくれないかな」
という思いでいる。
そんな自分の状況を客観的に見てみると、
「今の立場ではできないと思っているから、誰かが手を挙げたことについてゆこう」
といった状況。
この状況は、私にとって本来的に好もしい状況ではない。
自分で何かがやれる、と思っているわけではないけど、
本当なら自分が手を挙げて進めていくべきことだと思っているからだ。

考えを吐露しただけの文章になってしまったが、投稿する。

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大政翼賛会について

大政翼賛会前後 (ちくま文庫)

大政翼賛会前後 (ちくま文庫)

以前から気になっていたのと、最近かまびすしい「大連立構想」が語られる時、
大政翼賛会の二の舞だ!」という批判の声を聞いて、
大政翼賛会とは何だったのか、という興味でこの本を含めて何冊か購入。

手始めに本書から読み進めた。
結論から言うと、大政翼賛会の概要を知るには物足りなかった。
というより、基礎知識のないまま読み進める本ではなかった。

というのも、本書の前半は筆者が中央公論社に勤めていた時のこと、
後半は、興亜部から文化部に異動し、読書運動に従事したことが書かれているからなのだ。
前段で書いたように、今大政翼賛会が語られる時は、政党がすべて解党して、
大政翼賛会に結集したために、議会の批判勢力が著しく減少し、その結果軍部の専行を招くことになった
という文脈で語られるからだ。
ところが本書を読むと、大政翼賛会は、政治運動ではなく、国民的な運動を起こそうとしたということが書かれてある。
今になってみれば、大日本産業報国会などと言われてもピンとこないのだが、当時はこのようなことが国策として行われていた、ということを再確認した印象。

大政翼賛会の概要を知るには不十分だが、実はその本の眼目はそこにはない。
筆者が大学を卒業して経験した様々な社会経験が克明に描写されていて、
昭和15年から18年くらいまでの世相が詳しく感じられる。
国民がいかに「新体制」を望んでいたかが伝わってくる。
時代状況の閉塞の中で、それなりに息抜きをしながらも、だんだんと、まるで真綿で首を絞められるように生活が苦しくなってくる。
その閉塞を打ち破るために、大きな期待をもたれて始まった大政翼賛会が、思いきっていってしまえば張り子の虎のような組織だったことも書かれてあり、意外な面持ちがする。

大政翼賛会とは何だったのか、もう少し調べてみたい。
何か関連する資料をご存じの方、教えてくださればありがたいです。

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着々と進める

今後展開しようとしている企画の打ち合わせを行った。
これは、私がかかわる中では少し大きいほうの企画にあたる。
まだ詳細は明らかにできないのだけど、
鴨川に来てから続けてきた人のつながりが開花するか否かというところまで来ている。

私が何をやりたいかというと、つまるところは、自分の足で立って生きていくということだ。
それをするために、今できることをやろうというわけ。
そのための資料もだいぶそろってきている。

後はこれをゆっくり育てていくだけ。
まぁ、これが大変なんだが、ずっとやってきたことでもあるし、なんだかやり遂げられそうな気がしている。
何かしら動き続けることで、展開があるものだ。

来年4月からの開始を目標に、着々と進めてゆこう。

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仕事のとらえ方

例えば、ある程度客観的に判断した場合、
あきらかにその仕事は本来的な意味での業務ではないとしよう。
しかし、その仕事を業務として行えと言われた場合、雇用されており、
それが反社会的な行為でなければ行動するしかないというしかないときがある。

それにたいして、「こんな仕事は仕事じゃないよ」と言いきってしまうのは簡単だ。
しかし、それでは先に進まないし、サボタージュしてもしょうがない。
いやいややることは、結局自分の気持ちがなえるだけだ。

昨日の友と話していたとき、友は「お前の仕事、すごいやってみたい」と言っていた。
彼から見れば、私の仕事は工夫がたくさんできて、自分の力を試す仕事に思えたようだ。
彼と別れてから、いろいろ考えていた。
いきなり話はでかくなるが、ものの本でよくいわれることに、
「あなたに起こることは無意味ではなく、すべて意味があります」
とか、
「すべての物事、人から学びなさい」
とかいう言葉がある。

結局のところ、いつもこんな言葉をよりどころにして、私は生きて働いているのだと思う。
冒頭に書いた、「客観的に販売した場合、それは明らかに本来的な意味の業務ではない」としても、
そこから学ぶことはあるし、むろん仕事にいずれは結びつく蓋然性は高い。

だとすれば、文句を言ってもしょうがない。
今の自分の置かれた立場で、どのように全力を尽くすのか、問題はそれだけだ。
この仕事についてから、ある意味世俗にまみれているのだけど、それも社会経験。
純粋培養は、隔離された閉鎖的な空間においては意味をもつけれど、
開放的な空間においては、さまざまなものと醗酵し合うほうがよりおいしくなる。

気をつけることは、腐敗せずに醗酵し続けることだ。

発酵道―酒蔵の微生物が教えてくれた人間の生き方

発酵道―酒蔵の微生物が教えてくれた人間の生き方

ずいぶん前にこの本に書かれたことを思い出した。

きっと昨日の再会が、私の浮上へのいい触媒となったのだろう。
事実は一つで、それをどうとらえるかですべて変わるし、
事実を変えられなくても、自分は変えられるとおもう。

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有言実行の男

「たけひろ(=私の名)、会えないか?」
突然友から電話があった。家族でこちらに来ているので、
会いたいと連絡が来たのだ。
都合を聞いてみると、何とかその時間なら捻出できそうだったので、
会いに行くことにした。

その友とは、10代からの付き合いで、10年ぶりくらい?の再会。
30も半ばになると、長いブランクが空いても不思議ではない。
ホテルのラウンジで、ゆっくり話し合った。
いつも思うのだけど、同じ釜の飯を食った仲間は、
たとえ何年離れていても、ずっと一緒にいたかのように話ができる。

友が歩んできた道のりを聞いた。
その話の中で、意外な?ことに、お互い大切にしているものがすごく似ていることに気がついた。
私が無意識に、「これって大切なことだ。こうするべきだ」と思っていることを、
彼はよりスケールも大きく実践してきていた。

「俺は昔からずっと有言実行だから」
そういえば、そうだった。昔の職場での姿も、そうだった。
昔の姿もさることながら、自信をもって語る友の姿がなんか嬉しかった。

今の私の仕事についても、いろいろと意見を言っていて、
それは本当に私に当てはまることで、
昔からの仲間から今日はたくさん学ばせてもらったというのが正直な感想。

会えてよかった。
いろんな場でいろんなことをしている人に会うことが、
それだけ自分の幅を広げることになる。
そして、こんな仲間がいて、よかった。
いい時間が過ごせた。

ちなみに、彼は医療業界で職業紹介の会社をやっている。
詳しく知りたい方は、ご連絡ください。

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収穫祭にてごあいさつ

議員代理で、平塚活性化協議会の収穫祭に出席してきた。
こちらは代理といっても、ほとんどの方と顔見知りなのでちょっと心安らぐ。
この平塚活性化協議会は、3年前から活動を始めた団体で、月一回朝市を開いている。
こういう活動はおうおうにして、始めは元気だがだんだんと疲れて、開催もしなくなることが多いのだが、平塚活性化協議会はずっと続けている。

このような地道な活動が、多くの人が何回も通ってきてくれることにつながるのだと思う。
このつながりが、さらに強固になっていくさまが想像できて、楽しみになった。
議員代理ということで、ご挨拶させてもらったが、少し早口になってしまったかもしれない。
まぁ、こちらは場数を踏んでいくしかないな。

ちなみに、平塚区というのは大山地区という地区の中で一番大きな区だ。
この動きが大山全体に広がって、やがて鴨川市にも広がっていくといいと思っている。
今、村に必要なのは、従来の組織を維持していくこともさることながら、
横断的に組織を作ったり、既存組織の横のつながりを創っていくことではないか。

しがらみがあって簡単なことではないけど、結局のところ難しいことを一つずつほぐしていくめんどうくささをいとわないことが、明日につながると信じている。

抽選をさせてもらったら、ショウガが一袋あたった。妻がショウガに凝っているので、嬉しい。
さらに、近所のシイタケ生産所のシイタケ(原木シイタケではないが)を大量に購入した。
バターじょうゆで食べようと思っていたら、参加者の女性に、「ショウガじょうゆで食べるといいわよ」と教えてもらった。

今夜、早く帰れたら焼いてみよう。
画像は、平塚区で受け継がれている獅子舞の披露。

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