人生の疑問に答えます

養老孟司・太田光 人生の疑問に答えます

養老孟司・太田光 人生の疑問に答えます

仕事の合間に、思わず読んでしまいました。
人生の様々な悩み、仕事や家庭、夢の実現などに対して養老孟司氏と爆笑問題の太田光氏が思いを語っています。

印象に残ったのは、「人はなぜ悩むのか?」についての養老先生の考えです。
養老先生によれば、人間が悩む一つの原因として、脳の構造が右脳、左脳に分かれていることがあげられるそうです。
右脳と左脳は、基本的に正反対のことをやってて、例えば男性の場合、通常、左脳は意識脳で言葉を使い、右脳は無意識脳で言葉にはなっておらず、左がやっていることに対して、右はちょうど正反対のことをするということになっているそうな。
なるほど・・・。このように考えられるのですね。

そして、『中庸』という言葉の説明が興味深いです。
長いですが、すみません。

”「中庸」という言葉がありますが、何か物事をうまくやるためには、どちらか一方に偏るのではなく中庸でなくてはなりません。その中庸を理解するためには正反対のことを評価し、秤量しておかないと、中庸を導きだすことはできません。つまり、両極端がわからなければ中庸はわからない。だから、その両極端のことを左脳と右脳がそれぞれやって、中庸を見極めているんです。”

だから・・・?

”大事なことほど迷う、悩むのは当たり前なんです。言い換えれば、迷わないでやった行動は覚えていない。つまり、記憶に残ってないわけで、記憶に残るのは悩んだことになるわけです。”
“そこで重要なことは、正しい結論を出せるかということではなくて、そうした悩みを考え、それに耐えぬく脳の強さなんです。僕はそういう頭を『頭丈夫』というんだけれど、こうした悩みに負けない力が重要なのです。”

脳の強さか。どういうことをいうんだろうと読み進めると、
”いずれ決断しなくてはならない時期がくれば、決断せざるを得ないわけです。そこでも決断できないでいるということは「決断しないでそのまま過ごす」という決断をしたことになる。それだけのことです。そして、どんな決断をしたにせよ、結果は自分で負わなければいけないことには変わりはありません。”
といっています。
つまり、脳の強さというのは、決断に対して責任を負う自分の強さ、と理解すればよいのでしょうか。
ある意味、非情ですね。当たり前のことなんでしょうが。

そういえば、私は養老孟司氏の諸著作、例えば

唯脳論 (ちくま学芸文庫)

唯脳論 (ちくま学芸文庫)

人間科学

人間科学

「都市主義」の限界 (中公叢書)

「都市主義」の限界 (中公叢書)

考えるヒト (ちくまプリマーブックス)

考えるヒト (ちくまプリマーブックス)

解剖学教室へようこそ (ちくま文庫)

解剖学教室へようこそ (ちくま文庫)

などを学生の頃に読んで、大きな影響を受けてしまいました。
(はりきって参照してみました。どれも面白いと感じています)
これに、さっきのヒントがあるかもしれません。

そもそも養老先生は、私の雑駁な理解では、
現代は都市社会で、それはすべて人間の脳が生み出したものだから、現代は脳化社会だといえる。
具体的には「ああすればこうなる」と、すべてが予想できるかのように錯覚した社会だ。
しかし、自然はすべて予想できるわけではない。自然は、人間でいえば身体だといえる。
身体を置き忘れたことによる弊害が、現代社会に現れているのだ。
身体観をとりもどすことが、人間にとって重要なのだ。
身体観をとりもどすためには、日本人が里山を維持してきた方法である「手入れ」することが必要だ、と考えているのではないかという理解になります。

本書に、その「手入れ」についてビビッと来た表現がありました。

”子どもには、たえず手を加えては反応を見て、手を加えては反応を見るーこの繰り返しが必要なのです。しかし、手入れするのではなく、教育というプログラムを組んで、そのプログラム通りにやればいい、というのが今の論議なのです。”
”プログラムは、一度動き出せば、あとはほったらかしでも動きますが、手入れは努力、辛抱、根性が必要になります。(拡大は引用者)”

これは、子どもが対象となっている手入れですが、自宅の菜園を思うにつけ、手入れするには努力、辛抱、根性がいると思わざるを得ません。自宅の菜園は、私の修行の場かもしれません・・・・(苦笑)
王国はミツヲ氏に従っていれば何とかなりますが、自宅の菜園はそうはいきません。

本書のように悩みながらも、秋野菜の作付けをして、お世話していこうか。
努力、辛抱、根性で「手入れ」しているうちに、決断に対して責任を負えるように強くなれるのかもしれないな。
養老流にいえば、「どうしたらら強くなれるかなん考えているうちは、まだまだ『ああすればこうなる』の世界から抜けられていないぞ」といわれるような気がしますが。

そんなことを書いているうちに、また雨が降ってきた。
鴨川は不思議と、豪雨が少なかったのですが、今降っているやつは結構強そうだ。
菜園は来週から始めようか。(収穫は遅れるんですけどね。)
まぁ、自家用だから、気負わずゆこう。気になるのは家族の視線・・・(ぎゃあ!)

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伊藤さんを悼む

アフガニスタンで殺されてしまった、伊藤さんのことを考えると胸が痛む。
新聞で書かれた彼の行動、ペシャワール会の行動「地元に身体ごと入っていって、地元の人に役立つことをしながら信頼関係を築いていく」というのに心から賛同する。私も、彼らよりずっと小粒ではあるが、韓国でハンセン病者たちが作っている村でのワークキャンプも、このような考えでやっていた。私は韓国に定着することもせずに司法試験の世界に入り、今は鴨川の農村で暮らす。
ペシャワール会の活動も、雑誌や本で読んで知っていた。国際活動は、危険を伴うことは前提だろうし、納得して活動していたんだろうけど、今回の事件は非常に切ない。何もできないけれど、この事件は強烈な印象を私に与えた。自分のやっていることを再確認して、また進んでいかねばならない。

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魚を食べよう!

房総半島は、魚が豊富に捕れる。
定置網という伝統的な漁法が盛んだ。
日本人は、沿岸で捕れるアジ、イワシ、サバなどより、
マグロやサーモン(脂ののったもの)が好きだそうだ。
せっかく川をきれいにして、鮭が帰ってくるようになっても、
日本の鮭は売れないので、中国で加工してヨーロッパに輸出しているらしい。

以前のブログにも書いたのだけど、へたなマグロやサーモンを買うより、
量が多くて新鮮な地魚を買った方が何倍も楽しめることを知った。
なんせ、おいしいのだ。
アジなんて、どこにでもあるようなものだけど、刺身にしても
なめろうにしても焼いても揚げても、何でも食べられる。
大阪に住んでいた頃は、スーパーには丸のままよりも切り身になったものの方が多かった。
そうだろうな、さばくのはめんどくさいし、臭いし。
でも、食べることは、それを通過することだと思う。
一見嫌だと思われることをやることで、必ずそこから見えてくるものがあるだろうし、新しい発見もあるだろう。
新鮮な魚のはらわたと、そうでないものの違いなんて、実際見てみれば一目瞭然。
まだまだ、勉強できることはそこら中にあるのだ。

そろそろサンマの時期だな。七輪も買ったし、今年こそサンマを七輪で焼こうか。

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病の展覧会?

昨日の夜から、なんとなく元気がなかったのです。
ものを食べても「痛い!」といってあまり食べませんし、
夜もすぐ寝てしまったし。
お風呂に入る前、オムツを脱がせると、なにやら発疹らしきものが。
鯵に当たったのかな?青魚には当たるというし・・・
熱があるわけでもないので、様子を見ようと考えそのまま寝させました。

朝起きてきて、機嫌がよくないのが気になりました。
それでも一緒に味噌汁を作ったり納豆を混ぜたりして楽しそう。
食欲はあまりないのか、それほど食べずにごちそうさま。

保育園に連れて行って一時間ぐらいした後、電話がかかってきました。
「なんだか調子が悪そうなんですが・・・」
はぁ、わかりました。
様子を聞けば、保育園でもごろごろしているとのこと。
K総合病院に行ってみられては?と示唆を受け、そのまま病院へ直行。

案の定、手足口病を発病。お医者さんは「特効薬はありません。」と
ストレート。はぁ、治るまで養生するというやつか・・・
帰ってきても、自分の状態が悪いのがわかるのか、ぐずるぐずる。
あぁ、私もぐずりたいよ。なんて自分に甘えてみる。

子育ての形は多々あれども、私はいつも子どもについていっている。
う〜ん、親修行中、夫修行中、人間修行中。

さらに!手足口病は大人にも移るそうな・・・
気をつけねばなりません。
長女は、風邪を引いたり、溶連菌に感染したり。
子どもが生まれると、病気に詳しくなるんですね。
そのうち展覧会でも開こうかしら。

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住込人来る。

昨日から、一名住込人が来ました。鴨川で王国の野菜をとってくれている歯医者さんの息子です。
現在大学3年生。将来は就農することも視野に入っているそうです。
若いのにすごいな、と感心してしまいました。
13歳差と言えば、私とちょうさん。の年の差と同じです。ちょっと複雑(笑)。

午前中は、ミツヲ氏も休みを返上し、一緒に作業。
白菜、ブロッコリー、キャベツ、タアサイ、サニーレタスの播種をしました。
100穴のパレットを9箱作ったので、全部育てば900本の野菜ができるわけです!
2割引いて考えても720本。野菜宅配にも対応できそうです。

その後は、ヘンプ小屋二階に乾してあるジャガイモを収納しました。
段ボール箱15箱分くらいできて、山小屋の下に箱をおさめました。
夏野菜もそろそろ一段落してきたので、これからはタマネギやジャガイモなど、
保存してあるものから出荷していくことになります。

彼は9月初めまでいる予定です。途中何日か抜けるのですが、新鮮な空気を王国に送り込んでくれそうです。

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笛、買っちゃいました。

笛、買っちゃいました。
この夏をともに過ごしてくれた笛も、吹けるには吹けるのですが、
しばらく使っていなかった笛なので息漏れがしたりと、若干吹きにくいものでした。
笛の上手な人からも、「買った方がいいよ」と言われながら、なかなか思い切りがつかないままでした。
先週から週二回笛を習いにいくようになると、この夏の自分の笛の吹き方はかなり適当だったことが分かり、基本を押さえたいと思うと道具はやっぱり必要だとようやく得心しました。

そんなとき、笛を作っていた人は竹本さん(春からの王国研修生)のご近所だということを知り、竹本さんの休みの時間に案内してもらうことになりました。
今日行ったお家は、笛を作っていた方はもう亡くなったのですが、おばあさんがまだ元気です。漆職人だったそうで、笛づくりは趣味でやっていたそうです。ここら辺では笛を自分でつくる人も結構いるのですが、笛に漆をぬれるのはその方だけだったので、大山でも何人もの人がこの方から笛を買っていたそうです。

たくさんある笛の中から、一本調子の笛を試し吹きさせてもらいます。
3本目くらいに、「あ、これいい感じや」と思う笛に出会いました。
でも、まだ吹き始めたばかりだし、せっかくなので20本ほど吹いてみました。
その中から三本くらい選んで高いフレーズ、低いフレーズと吹いてみると、不思議なことに最初に「いいな」と思ったものがやはり一番よいように感じました。
笛自体、まだへたくそなのですが、それでも音の出やすい笛と出にくい笛の違いは分かります。
第一印象というのは、意外に確かなものかもしれません。
値段は、思ったより高くて、この期に及んでさえ一瞬迷いましたが、気に入ったものに合えたのだし、思い切って買ってしまいました。
ふぅ。道具好きは、しょうがない。

でも、これで練習にもさらに身が入るというものです。
気合いの入っているうちに憶えてしまおう(笑)。

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同窓会終了しました。

23日〜24日で里山帰農塾同窓会が開かれました。
参加者は、10人。
去年の参加者がほとんどで、2007年帰農塾第5回、といった感じでした。

今回の講師は、山川建夫さん。
フジテレビに入社するまで、フジテレビに入社してテレビの仕事をする中で感じた疑問を
爆発させたある出来事。
自分たちもその現場にいたかのように、参加者の皆さんは話に引き込まれていました。

市原に移住して、どのように農的生活を送っているのか。その中で、ほったらかしにされていた
神社の草刈を自発的に始め、それが今では50人くらいで行う継続的な活動に発展していること。
21年間の積み重ねの話を聞きました。

交流会には、加藤登紀子始め、高野孟さん、甲斐良治さん、杉山さん、木下さん、林さんなど講師陣も駆けつけてくれ、
中締めが夜の11時。あぁ。。。
私が帰ったのは深夜1時。
3時まで語り合っていた人もいたようで、再会を楽しんでいただけたようです。

参加者が少なかったのがなんとも残念ですが、参加者の顔を見ていると、これでよかった面も多いな、と思いました。
一人一人の顔が見えて、お互いにゆっくり話ができるが少人数のいいところですよね。
来年からどうするかわかりませんが、今年のあり方として、まぁよしと思いたいです。

明日から、いつもの日常が始まります。
イベントと通常作業の境がなくなりつつありますが、これが私の選んだ道。
どこまでやれるか、ちょっとした挑戦でもあります。

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しょうが液

うかたま 2008年 04月号 [雑誌]

うかたま 2008年 04月号 [雑誌]

この号に、Aさん夫妻が登場している。
なんて素敵な家庭なんだ!
と思わせる仕上がりだけど、これに載っているしょうが液を妻が作ってみた。

しょうがの香りがとてもよくて、身体にしみこむ。
寝る前、朝起きた後に飲むと体があったまる。
今日も元気にやってゆけそうだ。

レシピ

しょうが 200グラム
グラニュー糖 200グラム
クローブ 3粒
シナモンスティック 2本
赤唐辛子一本

詳しい作り方を書こうと思ったのだけど、
長女が5時半ころから泣いているのでいずれ補足します。

さてさて、今日は帰農塾同窓会。
登紀子さん、高野さん、甲斐さんも参加されます。
山川さんも気合が入っていたし、すごいことになりそう。
私も少し、演奏させてもらう予定です。
はりきってゆこう。

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季節の変わり目?

昨日の夜から、急に涼しくなりました。
風が出てきて、雷が鳴り雨も降り出しました。
一夜明けると、朝方は肌寒かったです。

季節の変わり目がくると、とたんに体調を崩します。
私の場合、その予兆は鼻。鼻がむずむずし始めます。
そしてなんだかけだるくなってしまいます。
日常の当たり前の行為もなんだか嫌になってしまい、
ぼーっとしてしまいそうになります。
そんな日に一日を終えると、後悔してしまうほどです。

こうしてはいられない。
奮起せよ自分!
というわけで、明日の同窓会の準備を朝一に終わらせ、
午前中はマルチ張り。
空豆とタマネギ後に、今度はキャベツ、ブロッコリー、芽キャベツなどを定植する予定です。
昨日少しだけ雨が降ったので、程よい湿り具合。

石灰を少しと、鶏糞とぼかし肥をまき、その上を管理機にマルチャーをつけて走らせます。
管理機を運転するのはミツヲさんで、私は鍬で土を寄せます。
本来的には、管理機がきちんと土を寄せるはずなのですが、残念ながら王国農園の土壌には
歯が立たないらしく、補助員が必要なのです。
でも、ここ何年かで、少しずつ土が柔らかくなってきているのを実感します。
籾殻もだいぶ土に混ざってきたし、また、がんばる気力がわいてきます。

身体を動かしている時はどんどん調子が良くなってくるのですが、
事務所に帰ってくると、とたんにドヨーンとしてきます。
もちろん、とばかりはしておられないのでなんだかんだとやっております。

明日は同窓会。
集まってくださったみなさんに満足してもらえるような会にしたい。

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固さの違う地面を

養老訓

養老訓

この本の一節に、人間の身体性との関わりの中で
「固さの違う地面を歩いてみればいい」という文章がありました。

一昨日東京に行ったのですが、振り返れば歩いた地面は
アスファルト、レンガ敷きの道、タイル、電車の床、そしてビルの床でした。
王国で普段過ごしていると、歩く地面というのは、
畑、田のあぜ道、砂利道、コンクリート舗装、アスファルト舗装といったところでしょうか。
農村といえども、舗装は進んできているので、車道で未舗装というのは農道くらいしかありません。
でも、当たり前ですが田や畑は未舗装です。

考えてみれば、これはすごいことです。
人間が歩くことは、大上段に構えて考えると大地と接触するということです。
大地は、いろんな姿を見せるものです。
アスファルトの地面はなかなか掘れませんが、畑や田なら掘ることができます。
雨が降らず、表面上土が乾いているように見えても、少し掘ってみればちゃんと水分を保っている。
森や林を歩いて、少し落ち葉をどかしてみると黒く湿った土はいい香りがします。
草の生えている地面は少し柔らかいし、草をきれいに刈り続けている土手は固いです。

農民がなぜたくましいのかを考えてみれば、それは大地とつながっていることが一因と思われます。
私がたくましいかどうかをちょっとわきにおいて考えてみても、私の生活の充足感は大地とつながっていることにあると思います。
鶏のために毎朝少しだけ草を刈りますが、朝露に靴がぬれることが実はとても豊かなことだと感じます。

日常における当たり前とも言える環境を、視点を変えて眺めてみれば、その豊かさに気づきます。
その豊かさに気づきやすいのが、農的生活の醍醐味かもしれません。

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