味噌作り。

6時半頃から羽釜を火にかける。
今日はいよいよ味噌作り。
木曜日の麹仕込み準備、
金曜日の麹仕込み。4日間にわたる作業も、今日で終わり。

長女撮影の私。

今日は長女(6歳)に撮影を依頼した。
頼まれてうれしかったらしく、あれこれポーズの要求をしてくる。
今日使った画像は全て長女がiPhoneで撮影したもの。
手ぶれはご容赦ください。

できあがった麹は、熱を冷まして塩と混ぜる。
それを、さました大豆に混ぜる。
大豆をミンサーに入れて、ミンチにするの図。

ミンチにしたものを、団子にして、樽にたたきつける次女(5歳)。

最後には、ならして塩をふる。


3樽合計で、64キロの味噌を仕込んだ。

味噌作りを家でするようになって、
5年目くらいになるだろうか。
子供たちは、去年まではすぐに飽きてしまっていたのに、
今日は最初から最後まで味噌作りを一緒にすることができた。
彼女たちにとっては、味噌作りは毎年の当たり前の作業になっていくのだろうな、
と思うと面白くなってくる。

何はともあれ、ようやく味噌作り終了。
来寝は、自家産の大豆で仕込みたいな。
まだ、購入した大豆で仕込んでいるので。

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みそ用麹仕込み

朝から麹仕込み。
昨日の夕方、15キロの米を洗って浸水させておいた。
朝7時から、蒸し器をガスレンジにかけて90分。

蒸し上がった米をシーツに広げ、あら熱をとる。
45度まで下げる。

その後、麹をまぶして。

毛布二枚の上に電気毛布でシーツでくるんだ麹を包む。
仕込み終わりが9時半頃。
先ほど、22時30分頃に一回目の切り返しを行う。
中心温度が約40度。
いい感じで進んでいる。
明日の朝、また切り返す予定。
明日の夕方には、大豆15キロを洗って鍋に浸水させる。
そして、日曜日にはみそ仕込み!

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しょうゆ瓶つめ,雪遊び、夜の会議

朝から醤油の瓶つめ。
雨が降っていて、天気予報では雪になるかも?ということだったが、
まぁ大丈夫だろうということで、鍋に湯を沸かして瓶の煮沸を始めた。
鴨川と言えば暖かいというイメージがあるのだが、
瓶詰めの会場となった鴨川自然王国は、
鴨川では標高が一番高くて(といっても300メートルほどですが)、
雪になってしまうとノーマルタイヤではおりられないほどなのだ。
先週の火入れから一週間休ませると、
おりが沈殿するので、上澄みから丁寧に瓶詰めをするのです。

で、これができた一升瓶。

火入れした醤油だけで、一升瓶30本。
一家族10本当てになった。
お昼ご飯を食べていたら、雨がみぞれになり、
みぞれが雪になってきた。
おやおや、これではたまらないということで、
片付けをして散開。

1時頃に帰宅すると、家の周辺でもだんだん雪が積もってくる。
幼稚園に行っている子供たちも、帰れるかどうか不安になってきたので、
少し早めに迎えにいった。
帰ってくると、「雪だるま作っていい?」と。
どうぞどうぞ。
よくけんかをする二人だけど、一緒に遊ぶのがやはり好きらしい。

夜ご飯を食べて、子供たちを急いで寝かせてから、
Skype会議。
事業申請をどう行うか、
私たちは今後何をするべきか、
どこを優先するのかについて話しあった。

肝心なことは、話しあったことを
少しでも具体的な形に残していく、
表現することだと思う。
お互い自立して暮らしていこうとする人々なので、
具現化することを意識して取り組んでゆきたい。

蛇足。

Skypeは、一対一ならビデオ通話ができるのだが、
3人以上になると、お金を払わないとビデオ通話ができない。
ということで、音声だけで通話をした。
もちろん、音声だけでも会話は成り立つんだけど、
可能であればビデオ通話ができればな、と思う。
グループで無料でビデオ通話ができるようなサービスはないのかなぁ。

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里山わらじラン、始動。

一段と寒かった今日、東京神奈川埼玉から人々が集まってきた。
目的は、里山わらじランラン・ウォーク2013のため。
17人の参加者を得て、まずはオリエンテーション。

NPOうずで去年からやっている新・里山の教科書の鴨川地球生活楽校 Kamogawa Earth Schoolの参加者と、
裸足ランニングクラブのみなさん。
この里山わらじランというのは、ごく簡単に言うと、
使われていない山の古道を整備するとともに、
30年以上耕作されていない元田んぼを開墾し、
稲を育てて収穫した後、その稲わらでわらじをあんで、
山道を走ろう!というものなのだ。

林さんから声をかけてもらって、
裸足ランとまではいかなくてもたまに地下足袋で走っている私としては
放っておく訳にもいかず、支援スタッフとして参加することに。

で、ここが開墾する田んぼ。

何が何やらわかりません。

気合い一発。
17人の猛者たちが、一斉に作業開始。
ススキを刈り、篠竹をのこぎりで切り、
切ったものは集めていく。

私は刈り払い機(草刈機)を持って行っていたので、
昔の畦の跡を探して、一段目と二段目の境を刈って行った。
すすきと言っても、群生に近いので、
相当力を入れないとうまく刈れない。
直径3センチほどの木もたくさん生えており、
酷使している草刈機の調子が少し心配になるほど。

午前中遅く始めたのだが、1時間ほどで、ここまでいきました。

一番上の写真と比べてもらうために、もう一枚。

画面左の木の位置に焦点を合わせてもらうと、
だいぶ刈られたのがわかるかと思います。

右に移っているのは鳥獣防護柵。
そのなかを、昼食を食べに帰る猛者たちです。
残念ながら私は午後からは参加できなかったので、
どこまで進んでいるかわかりませんが、わかり次第また投稿するようにします。

この里山わらじラン企画は、地球生活楽校をやっている間に、
参加者のなかからアイディアが出て、林さんがやる気になったとのこと。
ただ単にイベントとしても、トレイルランがはやっているけれど、
自分たちで開墾と古道整備までやって走るトレイルランはそうそうないだろう。

農水省なんかが言う、山村資源利用交付金なんかが使えるんでないか?とも妄想するが、
それはぼちぼちすすめるとして、このような企画をこれからもいろんな形でやっていければと思う。
それが、御大が常に言っていた、「体制の変革は運動を通じて行う」ということなのだろう。

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5回目のしょうゆしぼり

5年前から、醤油を仲間と作っている。
種麹は信州から購入しているが、
例年4月に仕込んでから、何度かかき混ぜて、
翌年の2月にみんなでしぼっている。

この3年、なかなか時間が取れずに中途半端な関わりしかできなかったのだけど、
今年になってようやく最初の準備から片付けまでやることができた。


これは、醤油を袋に入れて、舟に並べているところ。

寝かせた醤油はこんな感じ。

まずこれに、お湯を入れて薄める。

お湯も沸かします。

我らが醤油職人の今西さん。

はじめはみんな素人だっただが、
「安房しょうゆの会」という会を立ち上げて、
そのなかから舟を作って自分たちでしぼろうという動きが出て、
今は絞りの中心人物として今西さんが動いている。
20年以上前に鴨川に引っ越してきた人。

最初はちょろちょろと醤油が出てくる。

この後万力で締め上げて、しぼりきるのだ。

一年間熟成させた醤油は塩味が甘く、うまみを感じるほど。
実は私たちがやっていた樽は今年は少し水分が飛びすぎて、
若干熟成が弱かったのだが、
もう一方の樽はとてもいい状態で、うまみ十分の醤油ができた。

火入れをしない生醤油を4合瓶で3本持って帰ってきた。
これでお刺身食べたら美味だろうな。
残りは、火入れをして、今は休ませてある。
一週間後に瓶詰めをして、今年一年間使う醤油を確保することになる。

手作り醤油はやっぱりおいしい。
そして、意外と安い。
仲間でやってるからもあるけど、1升瓶が20本弱とれて、
合計2万円くらいかかっているので、
一升瓶あたり1000円くらい。

鴨川自然王国の天然山水、こだわりの岩塩、手作りの種麹とあわせれば、
完全自然食品と言っても過言ではない?

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雪遊び

雪が降ったのは月曜日だったけど、
3日目の今日になってもまだ遊べる。
幼稚園から帰って来て、子供たちが作った雪だるま。
畑のそばに、ぽつんと立っている。

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朝の送り

3学期が始まり、時間があるときには子供たちと一緒に
徒歩約15分の道のりを歩いてバス停まで行く。
幼稚園が数年前に3地域統合されてしまったため、
バスか、自分で送るかを選択するようになっている。

昨日は長女が1からどこまで数えられるかをいきなり始め、
バス停についても数え続けて、なんとか300越え。
何が楽しいんかわからんが、次女も楽しそうについていっていた。

今日は家からバス停まで二人で手をつないで歌を歌っていた。
「さんぽ」「およげたいやきくん」「あおいそらにえをかこう」(題名があってるかわからんが)などなど。

「今日も朝一緒に行ける?」と長女が聞いてくるのがいじらしい。
彼女が入園してから、あまり一緒にいてやることができなかったからな。
今だけは時間があるから、一緒に行こうな。

親バカな一枚を。

「いってらっしゃい!」と送り出した後は、
軽くジョギングして帰るのだった。
子供たちの成長とともに、自分も前向きに進んでいこうと思っている。

今までやってきて思うのは、そのときそのときの一瞬に自分を尽くすことの大切さだ。
今やっていることの意味があまり見えなくても、きっといつかの自分につながるし、
自分の周りが少しでもよくなればそれでいい、そう思っている。

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一年の計は。

いよいよ、2013年が始まった。
今年がどんな年かというと、
2009年から3年3ヶ月続いた秘書生活が終わり、
自分で仕事をしてお客様からお金をいただく生活に入る年。

なんだかんだといって、今までアルバイトやら何やらで、
結局は月々決まったお給料をいただいていた訳で。
秘書が終わったとき、誰かに泣きつけば、
就職口を探してもらえない訳でもなかった。
地元の企業からも、ありがたいことにお声掛けをいただいていた。

でも、今は自分で挑戦したい気持ち。
考えてみれば、それは2003年くらいからの考えだったかもしれない。
いつかは独立したい、と思い続けて、
「いや、今は無理だ」と自分に言い訳を続けて来た。

昨年の衆議院解散を機として自動的に失職。
お礼奉公的に、選挙手伝いと事務所の片付け。
いろいろな思いが去来するも、終わってしまえば肩の荷が下りた感じで、
就寝時には欠かせなかったipodで落語を聞きながら寝る生活も、
自然と何もなくても寝られるようになった。

家族で、初日の出を見に行った。
ここ3年は正月にのんびりすることもなかったので、
4年ぶりの初日の出になる。

太陽をみながら、考えた。
今年は、これまで暖めてきたことを全力でやる。
計画を形にして、3年は耐え忍ぶつもりで。

まぁ、何をビビってるかというと、
自分のやりたいことで果たして家族で暮らしていけるかということ。
やり始める前から躊躇していてはしょうがないが、
正直な気持ちとしてここに記しておく。

私は、農を基本とした様々な都市農村交流的事業を行いながら、
鴨川の子どもたちが、自分の力で学んでいける方法を考え、実践し、
既存組織から取りこぼされている人々が利用できるような、
住民セクターを構築し、地域自治を維持していくお手伝いがしたい。
モデル的な場を作ることを目標として、
将来的には世界中の人が訪れるような場にしたい。
二項対立的な世界を乗り越え、ある問題に対して、統一的に解決できるような道を模索したい。

抽象的ですが、以上が今年私が取り組んでいきたいことです。
叱咤激励、ご指導ご鞭撻よろしくお願い申し上げます。

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子どもに聴くということ

安富歩さんの本に出会えたのは、幸運だったと思っている。
初めて読んだ作品は、これ。

ごくごく乱暴に要約すれば、
「東大話法とは、自分の本心を隠しつつ、自分の立場を中心に語るための話法であり、それは自分の魂を傷つけてしまう言葉だ」となる。
これを筆者の言葉でいうと、「魂の植民地化」ということになる。
この「魂の植民地化」という言葉を聞いた時、これはまさに自分の現状ではないか!とひざを打ってしまったほど。
で、実はまだここから脱却できてないのだが。

それから、これ。
何気なく本屋をぶらついているときに出会った。

論語が好きで、いろんな本を読んでいる。
まぁ、論語読みの論語知らず、下手の横好きといわれても仕方ないが。
著者の論語理解がとても刺激的で、
過ちて改むること憚ることなかれ、
過ちて改めざる、これを過ちという。
という論語の中の言葉を、「絶え間ないフィードバックによる自己改革」と解釈し、
この姿勢こそが「自由」だ、というのだ。
この解釈に出会えて、本当に良かったと思ったのを憶えている。

で、最近読んだのがこれ。

原発危機と東大話法」との二部構成のようになっている。
これも刺激的だったのだけど、
一番強調しておきたいのは、このようなどうしようもない世界からの脱却はどうすればいいのか?という問いに対して、
「私が最も大切だと思うことは、子どもの利益を最大限に考えるということ」
というところ。

筆者は、子どもの利益を考えることがすべての政治過程から排除されているというのだ。
これについては、
「子育て中の親や学校への支出を拡大することが、子どもの利益を守ることだ、というような陳腐な考えは、唾棄すべき大人の独善にすぎません」

と書いてあることで、すべて了解されると思う。
これは、社会保障と税の一体改革における「子ども子育てプラン」に対する批判として最大限に有力なものだと思う。
あのプランは、子ども自身の成長ではなく、子どもをそだてる経済的環境を整えることに終始していると思われても仕方のないものだったからだ。
むろん、経済的環境を整えることを排除するものではないが、それは本当に子どもにとって必要なものかという観点から考えてもよいのではないかという意見である。

話を戻して、子どもの利益を最大限に考えるためには、という問いに対しては、
「子どもに聞くことです。彼らは自分が何を必要としているか、明確に理解しており、それを示すことができます」
と答える。

著者の意図とは外れるかもしれないが、
私はこの言葉を信じたいと思った。
今二人の娘がいて、私は果たして本当に彼女らの声が聴けているかと思った。
私の想いを中心にしてわかったふりをしているだけではないのか?
もしかして、彼女らの声を聴くことでこれからのことを感じられるのではないか?
そこを踏み外さずに、もう一度やってみようと思ったのだった。

魂の植民地化を抜け出すためには、自分の心にどれだけ正直であれるか、自由であれるかが必要なのだ。

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形をつくること

議員会館に顔を出してくれた友人と、そのままの流れで赤坂の安酒場にくりだした。

「おれな、この後こんなことしたいねん」
「う〜ん、あんまりイメージがわかないですね」
「これこれこういうことやねん」
と、想定例をいくつかだすことでなんとか理解してもらえた。

政治業界のことも含め、農業、ジャーナリズムについてよもやま語りあったあと、友と別れて近くの文教堂書店により、本を物色。

酔った顔でふらふら歩いていると、山崎亮著「コミュニティデザイン」(学芸出版)という本にであった。

これは先日読了した「コミュニティデザインの時代」より前に出た本だった。

パラパラとめくると、「とにかくすぐ企画書に仕上げる」といった文章にぶつかった。
ああ、なるほど!

前にも気づいていたんだけど、すっかり忘れてしまっていた。
今日の話だって、もし自分が企画にまで落とし込んでいたら、彼にももっと充実した説明ができただろう。

机上の空論になろうとも、企画書だけなら今の立場でもかける。
そう考えたら、なんか吹っ切れた気がしたのだ。
ちょっと企画書を書くことに取り組んでみようと思う。

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