歴史の流れの中で

昼から外回りなので、午前中はファミレスで仕事。
外は雨が降っていて、寒い。
こんな日に街を歩くのは辛いが、それも仕事であると自戒。

さて、この本。

世界史

世界史

1971年発売の初版を購入したので、現在のものとはだいぶ違っているのだろうが、
大筋の理解には大差はないだろう。

自分が今ここに生かされ、生きていることを不思議に思うことがある。
毎日食べて、働いて、寝て、たまに子供と遊んでという生活。
なぜ働くのか?ということにもかかわるのは、
なぜ生きるのか?という問題。
「人は、幸福になるために生きているのです」
という言葉は、生きる喜びにつながるだろうが、
生きる意味を見いだせるものではないだろう。

大概のところで考えることをやめ、目前のやるべきことを一つ一つ片付けていこうと
仕事モードになってしまうのだ。
深く考えずにすむのなら、そのほうがいいのかもしれない。

現在の仕事は、待機時間というものがあって、勤務時間が膨大に長い。
もちろん、就業時間が決まっているわけではない。
給与が高いとは言っても、べらぼうに高いわけでもない。

時間を無駄にしない暮らし方をしようと思ってipodに講演録を入れてみるも、
それもいつまでも聞けるものでもない。

そうこう考えていると、近視眼的にしか物事を見られなくなっている自分に気づくのだ。
司馬遼太郎が昔言っていた「鳥瞰的に物事を見る」ことができるようになるために、私は歴史書を読むのだ。
概説書も読むが、古典がもっと好きだ。
すべてわかるわけでもないけど、過去において真剣に物事を考えた人々の文章を読むことが
今日を生きる自分に響くことがあるのだ。

すべてを納得して自分の人生を生きているわけではない。
しかし、内省を重ねながら自分を成長させていくしかない。
生きる意味を考えながら、今日一日を全うすることからしか明日は生まれない。

2杯めのコーヒーを飲みに行こう。

以前のブログを読む

スウィートスプリング

というミカンがあるそうだ。
オレンジファーム安田さんhttp://ww7.tiki.ne.jp/~yasuda/syouhinnsyoukai.htmから議員が購入したもの。
青くても食べられるミカンなんだって!
届いたものは、樹で熟したものなので黄色くなっていた物だったのだけど。
皮が固いので、輪切りにして食べるとよいとのメモが入っていた。
内袋が少しかたいが、果肉は甘くておいしい。
いろんな果物があるのだなぁ。
一口に「農家」とは言っても、その内容は様々で一面的にとらえることはできない。

私も、伊勢平野での農業の体験があったからこそ、鴨川での中山間地農業にしびれ、可能性を見出せたのかもしれない。
自分の経験をどう活かすかは、自分にかかっているものなのだと思う。

以前のブログを読む

わからないものを

ちょっと今日は恥ずかしい話なのだが。
ドラッカーの訳者として名高い上田惇生さんの言葉の中に、
「わからないものをわからないままで、自分の前を通すな」という言葉がある。
自分がよくわからないものをそのまま通り過ごして人に渡すな、という意味で使っていた。

これは、私の悪い癖なのである。
一知半解と言おうか、ちょっときいただけで自分なりに分かったつもりになり、
そのまま仕事を進めようとしてしまう。

「出たものをそのまま受け入れる」という考えが強すぎるのか、
他人のすることに対する批判精神がないのか、食い付きが足りないというのか、
いまいちこの考え方の癖が問題を起こしている。

例えば、今日書いていた政策提言は別の人が書いたものなのだが、
「言ってることがよくわからんな」と思っても、
「自分より目上の人の書いたものだし、最低限の語尾のおかしさのみ直しておけばよいか」
といった気持でそのまま最終チェックに回してしまった。
幸いなことに、最終チェックを見てくれた人は自分もフリーでライターもしていることから、
するどくチェックを入れてきた。
そのチェックは、多くの部分は自分が疑問として持っていたにもかかわらず、
ある意味「まぁいいか」という気持ちで流してしまっていたところだったのだ。

誰に叱られたわけでもないのだけど、今日は自分の仕事のやり方のまずさが改めて明らかになったこともあり、
本当に恥ずかしい思いをした。

考えてみれば、今日の農水省、厚生省からのレクチャーも、最低限のレクチャーは受けることができたのだが、
地元の農家さんの話をもっときちんと聞いて、きちんと聞いてということはつまり問題点と、どのようにしてほしいのかという要望をしっかり聞くことだと思うのだが、そうしていればもっと充実したレクになったと思うのだ。

これは誰のせいでもなく、ひとえに私自身に起因する問題。
冒頭の言葉は、もうずいぶん前に聞いた言葉なのに、
今日立て続けにこれにかかわる問題が起きたのだ。

恥ずかしいが、今後の取り組みが見えた一日であった。
(勝手に自己満足しているが…)

以前のブログを読む

就職が、できない

大学生の内定率が80%だとのこと。
単純に考えれば、現在の失業率5%の中で、新卒の学生の失業率が20%だということか。
夢を持って社会に出る学生たちにとっては、大変なことだろう。
実は私は、恥ずかしながら就職活動をしたことがない。
私が卒業したのは90年代後半で、超就職氷河期であり、同期の学生は100社以上面接を受けていた。
私は、司法浪人になるつもりだったので、それを横目に見ながら勉学に励んでいたのだ。
司法浪人の時代は、「司法試験に落ちると、つぶしがきかない」と言われ続けた。確かにその通り、27歳にもなって就職したことがない人が一般企業に就職するのはほぼ不可能に近い。
そういう意味では自業自得ながら私はロストジェネレーション
今現在は、何とか仕事ができているものの、同年代の正社員に比べれば驚くべき年収の低さであろう。
前職の場合は、自分のやりたい仕事をやらせてもらっていたこともあったので後悔はないものの、賃金レベルとしては30代2人子もちの収入としては低いほうだっただろう。
自分のやりたいことをやる、というのはよほど幸運な人なのかもしれない。
考えてみれば、今の私の職業も不安定。
いつまで続くか分からないし、次があるかもわからない。
前職にはもう戻る場所はないといわれているし、この先を考えると不安になるときもある。
しかし、今、私には働く場所があって、この職場はとても珍しい職場。
どう転んでも無駄にはならないだろう。
でもきっと、通常ルートで、私が企業に就職することは無理だろう。
もし、就職が決まらない学生にアドバイスできるとすれば、バイトでもなんでも、先を見据えつつ今の職場、環境に全力を尽くせということだと思う。
結局のところ、私が生きて、働けるのは、私の周りの人が声をかけてくれて、引き上げてくれたからだ。
いつか私も、そういう人間になりたい。

以前のブログを読む

木更津市長選、木更津市議補選。

朝方までの猛烈な風雨が午前中いっぱい続いたら大変な出陣式になっていただろうが、
式が始まる10時ころにはすっかり空も晴れ渡り、すがすがしい天気だった。
いつも思うのだが、出陣式には独特の高揚感がある。
車を運転しながら考えていたことは、「政治家とは大変な仕事だ」ということだ。
どんな仕事でも大変というのはわかっていてこう書いている。
なんにしろ、みんなが納得する政策というものはないわけで、甲乙両面つけがたく、陰陽すべてがあるように、
物事は一つの側面から見るだけでは解決することができない。
そういう中で一つの方向に決断を下し、物事を動かすというのは本来的に無理なのではないか。
政治は結果責任とよく言われるが、結果責任とはこれまた重い責任である。
どちらにしても、責任を取る仕事が政治なのだろう。
そういう仕事をする政治家を目指す人々には、いろいろな思惑があってのことだろうが、素直に「頑張ってください」と思うしかない。
他人事ではなく、私も来週何日か応援に出向かなければならないのだけど。

以前のブログを読む

廃校イベント実施。

第1回目の「大山交流サロン」が開かれた。(サロンには、交流という意味は含まれているような気もするが…)
これは、2月に行った「移住者交流会」の定例化を目指すものだ。
「移住者」というと何ともよそ者意識丸出しなので、同じ地域の「地区民」として交流を深めたいという思いがある。
年末に行った「ひみつの大山小復活祭」を一緒に行った早稲田大学の学生6名と、先生1名も加わって、盛大に開かれた。有志の会のメンバー以外の地区参加者は7名と、前回より若干少なかったが、ここからすべてが始まると思いなおしてスタート。
2時間の時間では足りないほどで、残念ながら今回も顔合わせと簡単な年間計画の発表に終わってしまい、議論を深める会には至らなかった。
「地域はぐずぐず変わる」と、結城登美雄さんは言っているが、われわれはぐずぐずとでも進んでいるのだろうか?
個人的な事情で、少し疲れてきているが、ここで何とか踏ん張らねばならないだろう。

以前のブログを読む

田舎で働き隊!成果発表会

衆議院の第2議員会館で行われた。
平成20年度の補正予算から始まったこのプログラムは、21年度は6カ月の研修期間で行われた。
会場には、30人近くの研修生と、議員、議員秘書、それに一般の参加者でいっぱいになった。
農村で働こう!という流れは今までも細々と続けられていたのだが、
それがこの何年かで大きく展開されるようになってきている。
民間の自発的な活動が政策に取り上げられた好例である。
今の私の環境で大切なことは、民間で取り組んでいる事例を効果的に政策に取り込んでいくことだと思う。
そして、気持ちは常に現場にあろうとすることだと思う。

田舎で働きたい!成果発表会http://www.furusatokaiki.net/topics/2010/03/post-40.html

以前のブログを読む

農山村の再生方法

先日の話ではあるが、3月13日に、シンポジウム「ゆるがぬ暮らしを地域から」http://70.ruralnet.or.jp/?p=183に参加してきた。農文協の甲斐さんからのお誘いがあり、また私淑する結城登美雄さんの講演があったからだ。結城さんの話を聞くと、いつも感極まってしまう。人間の情に訴えながらも、朴訥でかつ論理的に迫ってくる講演は胸にしっかりと刻み込まれる。
今回は、もうひと方、明治大学の小田切徳美先生の話もあった。大学の世界から政治に働きかけ、農山村再生のための政策に提言をしている方だ。

農山村再生  「限界集落」問題を超えて (岩波ブックレット)

農山村再生 「限界集落」問題を超えて (岩波ブックレット)

という著書もある。(買っただけでまだ読めていないのだが)
備忘的に、小田切先生のレジュメを転記する。

地域再生の体系化
①「参加の場」をつくる地域づくり(「場」づくり)
⇒新しいコミュニティの構築→「手づくり自治区」の構築
②「カネとその循環」をつくる地域づくり(「条件」づくり)
⇒新しい経済を起こす→「4つの経済」の創造
③「暮らしのものさし」をつくる地域づくり(「主体」づくり)
⇒当事者意識を掘り起こす→「地元学」運動

●「手づくり自治区」
・「手づくり自治区」とは
住民が当事者意識を持って、地域の仲間とともに手づくりで自らの未来を切り開く活動
・手づくり自治区の特徴
①総合性(文字通り「小さな自治」「小さな役場」)
②二面性=自治組織+経済組織(共同売店、ガソリンスタンド、居酒屋、特産品開発など)
③補完性=集落←<補完>→手づくり自治区
集落・町内会=「守り」の自治(地域資源保全)←→手づくり自治区=「攻め」の自治
→集落と手づくり自治区の重層的組織の構築が課題(集落・町内会の代替組織ではない)
④革新性(集落の「1戸1票制」の限界を意識し、「新たな仕組み」の構築を企図)
・その機能(旧高宮町川根地域振興会からのモデル化)
①安全に暮らす(地域防災)
②楽しく暮らす(イベント)
③安心して暮らす(地域福祉)/快適に暮らす(景観形成、農地保全)
④豊かに暮らす(コミュニティ・ビジネス機能:付加価値と雇用)
⑤誇りを持って暮らす(地域の自立)

●「4つの経済」の創造
・4つの経済とは
①6次産業型経済
・6次産業:国内食用農水産物(12兆円)と最終食料消費額(80兆円)のギャップにある付加価値と、雇用を農山村で獲得
・その本格化としての「農村レストラン」(直売所から直売所+農村レストランへ)
②交流産業型経済
・所得形成機会であると同時に双方の人間的成長機会(社会教育的側面)
→高い「リピーター率」→産業としての成立可能性も高い
地域資源保全型経済(共感形成型産業)
・「地域資源活用」から「地域資源保全」(資源保全+資源磨き+資源活用)へ
→こうした産業に都市住民の「共感」が集中(地域資源保全→物語→共感)
④小さな経済
・意外と小さな住民の追加所得要望
→年間60万〜120万円の追加所得形成機会(小さな経済)の構築
・小さな産業の蓄積の上に「中程度の産業」(若者定住)が成立する(コーディネーター)

このレジュメに、重要なことは尽くされている。
しかも、さらに重要なことは、上記のことは全国ですでに実践されている活動をポイントを押さえて概念化したものであるということだ。

今実は、国会では農業・農村・食料基本法を新たに定めようとしていて、6次産業化を推進する法案をどのように作ろうかと議論しているのだが、すでに上記では、交流産業型経済、地域資源保全型経済、小さな経済と新しい概念が提出されている。
私が前職で行っていた活動もこれに近いのだが、問題は本当に「小さな経済」であることだ(苦笑)。
これの解決が今後の大きな課題となる。

「手づくり自治区」という概念は、私が今廃校となった旧大山小でやろうとしていることがほぼ言い表されているように思う。
従来の集落を補完するものとして、地域コミュニティ再生の核、拠点としての廃校という考えなのである。

週末には、大山交流サロンと題して、旧大山小でイベントが行われる。
鴨川でも、小さいが新しい動きが始まっている。
全国で起こり始めている動きと同様に。

以前のブログを読む

半農生活者の群に入るまで

「かうした思想(土に帰れという思想:引用者注)は今日真実を求むる人々の生活の上に深く喰ひ込むで来て、実際の生活として、若くは生活運動として、力強い発展を示して居る。 
 今日は無産政党の盛んの時だけれど、私は余りこれにも興味を持たなくなって、何だか隠遁生活じみているやうだが、決して隠遁するつもりではないのである。寧ろ、これからほんとの私の積極的の生活になって行くと信じて居る、バヴェルの塔を望んで狂奔していたのでは、百年千年待たうとも、落ち着く先は見当たらぬ。」

表題は、石川三四郎の文章である。引用文は、文章の最後に当たる。
1927年(昭和2年)3月に書かれた文章と思われる。

今はやりの半農半Xは、すでに昭和初めに石川三四郎が行っていた!!!
誰かこれを宣伝してくれ!
石川三四郎は、半農半文筆活動だったのだけど。
石川三四郎著作集一冊と、青空文庫所収の文章だけでは足りないか?
(ないものねだりよりあるもの探し→今持っている素材から展開せよ!)

歴史は繰り返すというが、何といっても昭和初期の研究が今必要とされているのではないか。
安易に当時の世界恐慌と、リーマンショック以降の経済情勢を比較してもしょうがないが、
そこには何かヒントがあるはずだ。
環境や道具は便利になったけど、人間はきっと根本のところでは進歩していないような気がする。

私は、今は農から離れたけれど、きっとまた戻る。
その時は、「積極的な生活」をしていくのだ。
「バヴェルの塔を望んで狂奔していたのでは…」というくだりには実感する。
私たちは、いつまで何を求めているのだろう?

以前のブログを読む

上京中

ある会社の役員の方を国会見学にご案内。
傍聴もできて、堪能していただけたよう。
よかった。
今日は高校の無償化、子ども手当て法案が衆議院で可決された日。
日本社会が、少し変わるきっかけになるだろう。
初めてゆっくり本会議を傍聴したのだが、聞きしに勝る野次の激しさ。
学級崩壊といわれても、仕方がない。
これがわが国の唯一の立法機関なのだ。
テレビでは、この野次がほとんど聞こえないのだね。

以前のブログを読む