鶏に思う

現在、鶏が6羽います。
うち2羽は雄鶏で、夜中でも鳴いているようです。
有精卵の夢は絶たれるかもしれません。
毎朝餌を持っていくと、だぁっと寄ってきます。
ちょっと嬉しいです。
羽数が増えたこともあって、餌の消費量も高く、
これも嬉しいです。
少しずつ太ってきています。
廃鶏も、食べればおいしいかもしれません。
今回は、鶏に名前をつけるのをやめました。
深い思想があったわけではありませんが、今回は
家畜として飼育しようと思ったからです。
家畜としてかわいい、と思うことと
ペットとしてかわいい、と思うことは大きな隔たりがあるように感じます。
たとえば、ペットには生産を期待しませんが、家畜には生産を要求します。
農民としての割り切りというか、人と動物との関係というか、
これを起点にして何か考えてゆけそうな気がします。
思い起こせば、私が10代後半を過ごした共同体では、
「鶏の社会が理想社会の縮図である」というようなことを言っていました。
創始者の深い思想に感ぜずにはいられません。

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