半農生活者の群に入るまで

「かうした思想(土に帰れという思想:引用者注)は今日真実を求むる人々の生活の上に深く喰ひ込むで来て、実際の生活として、若くは生活運動として、力強い発展を示して居る。 
 今日は無産政党の盛んの時だけれど、私は余りこれにも興味を持たなくなって、何だか隠遁生活じみているやうだが、決して隠遁するつもりではないのである。寧ろ、これからほんとの私の積極的の生活になって行くと信じて居る、バヴェルの塔を望んで狂奔していたのでは、百年千年待たうとも、落ち着く先は見当たらぬ。」

表題は、石川三四郎の文章である。引用文は、文章の最後に当たる。
1927年(昭和2年)3月に書かれた文章と思われる。

今はやりの半農半Xは、すでに昭和初めに石川三四郎が行っていた!!!
誰かこれを宣伝してくれ!
石川三四郎は、半農半文筆活動だったのだけど。
石川三四郎著作集一冊と、青空文庫所収の文章だけでは足りないか?
(ないものねだりよりあるもの探し→今持っている素材から展開せよ!)

歴史は繰り返すというが、何といっても昭和初期の研究が今必要とされているのではないか。
安易に当時の世界恐慌と、リーマンショック以降の経済情勢を比較してもしょうがないが、
そこには何かヒントがあるはずだ。
環境や道具は便利になったけど、人間はきっと根本のところでは進歩していないような気がする。

私は、今は農から離れたけれど、きっとまた戻る。
その時は、「積極的な生活」をしていくのだ。
「バヴェルの塔を望んで狂奔していたのでは…」というくだりには実感する。
私たちは、いつまで何を求めているのだろう?

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One Reply to “半農生活者の群に入るまで”

  1. たまたま、土に帰れという話を昨年の5月に一緒に聞いた人がいて、一昨日飲んでいたんですよ。
    そしたら、この話になって、その人仙台の人はこう言ってました。

    「土にかえれ、そりゃ、都会の人にはそういうのは通じるかもしれませんが、田舎あたりじゃ、そんなの当たり前のことですよ。分かったように言ってる人たち、全員ありゃ坊ちゃん育ちの都会者ですよ。そういうの宗教っぽい煽動ってやばくない!?」」って、いうんですよ。

    ひとつ伺いたいのですが、都会から田舎に行って、うまくいく確立って、統計とっているんですかね。
    なければ、ぜひ取ってみたら、社会か学的に、面白い研究ができるような気がするのだが…

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