手間がかかることが共同性を生む

朝から少し曇っていたが、久々に家で作業できるので、
みんなで田植えと稲刈りをした田んぼの脱穀作業を行った。
近くに住んでいる仲間の家にあるハーベスター(脱穀機)をお借りしての作業。
彼のハーベスターは、引っ越してきて田んぼをやっている仲間で基金を作って維持管理をしているそうだ。
引っ越してきた人たちは、いろんなお米の品種を育てたり、時期がまちまちだったり、
そもそも田圃の面積が狭く、一般の乾燥機にかけられる最低容量を満たさない収量であることが多い。だから、一人一人機械を持つのではなく、ある意味、機械をシェアして使っていくことが結果的にコストパフォーマンスがよいことになる。
この地域では、というか多くの地域で大型農業機械を個人で所有している人が多いが、このようにシェアしていくことで、結果的にみんなが助かることになっていくんだと思う。
全てが理想的にうまくいくわけではないけど、仕組みを作っていくことで共有から総有へうつっていければいいと考えている。
共有というのは、共有持ち分があることがおおく、総有とは共有持ち分がないという意味で考えたい。
収量的には、本当に少なくて、籾摺りをしたら30kgを切ってしまうのではないかというほど。
でも、立派に実ってくれて、稲と大地と空気と太陽と、全てのものに感謝するしかない。

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それにしても、今年初めて種まきからもみすりまでの一連の作業を行って、
稲作って本当に大変だと思った。
私の認識としては、昔はもっと大変だったんだろうが、今は機械も入ってずいぶん楽になったんだろうとすら思っていたのだ。
たしかに、機械が入ってとんでもなく便利になっているが、
その分機械の性能に合わせた作業をしていかなければならない。
私の場合でも、自分が悪いのだが、除草剤を使わずに稲作をしたい!と思ってやりはじめたが
おいつかず、結局草を多く生やしてしまった。
その結果、コンバインを何度も止めてしまうという失敗を犯すことになった。
ほかにも、野菜と違って稲作は栽培から食物にするまでに多くの過程を経ることになり、
そのなかで誰かの助けを借りなければならないことも多い。
これは煩わしいこともあるのだけど、稲作に多くの人手が言ったからこそ形成されてきた日本の風土というのもあるのだろうと感じた。
手間を掛け合って、共同性を作ってきた歴史というものがあるのだろう。

来年は、どんな働きにしようか。
今から、それを考えている。

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今日脱穀したもみを、何日か天日乾燥させてから、
もみすりを行う。
コンバインで刈ると、刈ったそばから脱穀しすぐ乾燥させるが、
手刈りの場合は、刈った後一週間ほど掛け干しし、それから脱穀して、
量が少なければ天日乾燥させて、ようやくもみすり、玄米という段取りになる。
大変だけど、おもしろい。

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