喪失感と創造と

阪神淡路大震災から22年。

忘れようとしたって、忘れられるわけのない日だ。

あの日から、私の全ては変わってしまった。

当たり前のものなんて、ないのだと。

確率的には、今日と同じ明日が続く確率が高いに決まっている。全てシステムは、それを前提としてできているのだし。

しかし、起きてほしくない現実は、必ずおこるのだ。生命がいつか必ず絶えるように。

全てをなくしても、命があれば生きていける、そのような自分と人生を作っていこうと強く思っている。

 

今日は、炭焼きの仲間と炭材を集める日。

林良樹さんがやっている天水棚田自然酒の会で使っている田んぼの土手に生えている木の伐採。

これらを伐れば、田んぼに日がだいぶ入るだろう。

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 集まった5人のうち4人が全く同じチェーンソーを使っているのだ。同じ時期にみんな買い直しただけなのだけど。

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炭焼きを釜沼の長老から受け継いで、もう3年が経つ。お互いの都合を合わせるのが、なかなか大変なのだけど、同じ志を持ってやれているのが本当に嬉しい。

 

1人が伐採した木を、みんなでバラしていく。

お互いの動きもわかっているので、仕事がどんどん進んで心地いい。

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無くしたものを取り戻すことはできないけれど、新しいものを作っていって、確実に形に残していくことで、なんらかの生きた証は残すことができるはずだ。

 

 

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