我が家の玄関先から道路に向かって撮影。
目の前は、我が家の田んぼ。
今年、5年目の稲作がもうすぐ始まる。
結婚してからしばらくは、時間も能力もなかったため、人に頼んでいた。
しかし、前の仕事が終わった時、頼んでいた人から、「来年は自分でやってな」と言われ、成り行きで自分でやることになった。
以前から自然王国で田んぼの作業をやっていたため、全く知らないわけではなかったが、いざ自分1人でやってみると、知らないことばかり。
野菜栽培であれば、「うまくできなかったよ」というので笑い話にもできるが、お米は機械などに費用がかかっており、しかも、我が家の一年分の食料にもなるので、笑い話では済まされない。
だから、野菜を育てるよりずっとあれこれ考えている。
「心で思って、実践するのに練習がいる」という言葉を昔投げかけられたことを思い出す。
やりたい、やろうとすることがあっても、あれこれ理由をつけてやらないこともある。
腐ってしまうこともある。
でも、目の前に広がっているものは田んぼという現場。
私が働きかけなければ、何も起こらない。
ずっと田んぼを見ていると、自分たちが作業していた姿を思い出す。
もっと遥か昔に視線を置くと、妻のご先祖様が働いていた様子が思い浮かぶ。いや、さすがにそれは思い浮かばないのだが。映像としては思い浮かばないが、雰囲気としては、この田んぼがずっと受け継がれて来た様子を感じられる。
農家の喜びは、ある種受け継ぐ喜びなのかもしれない。同じことを繰り返しているようだが、その時代に合わせた仕事をしてきたに違いない。
受け継ぐものと、変わりゆくもの。
その根本には、現場があるのだ。
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