先覚者に触れる

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なんという名前かわからないが、庭によく飛んでくる鳥。ここのところ晴れが続いているので、よく鳥を見かける。

 

“学問の道は、すべからく雫の石を穿つごとくせよ”という言葉が、高野長英宇和島に逃走している時に開いた教室の第1の約束として掲げてあったそうだ。

 

江戸時代に生きた、高野長英についての詳しい評伝を初めて読んだ。

蘭学者としても医学者としても大変優れていた人だったが、蛮社の獄連座終身刑を言い渡された。牢獄に放火させて脱獄し、6年逃亡するも最後は捕吏により撲殺される、という壮絶な人生を送った。

 

オランダ語に身を全て置いて生活していた、というような話があって、江戸時代末期にこれほどまでに道を究めていた人がいることを知った。

 

冒頭の言葉は、“西洋の古語に曰く”と書いた後に続けられているのだが、この言葉は何にでも通用すると思う。

雫が硬い石に穴を開けるように、たゆまぬ努力をするべきということだ。

まさにその言葉通り生きたであろう高野長英の人生に思いを馳せた。

 

長英は、脱獄してから殺されるまでに6年を生きるのだが、各地で仲間が彼をかくまってくれる。かくまうということは、幕府にバレればかくまった家族も処罰を受けるということだ。

文字通り、命をかけて彼を助けた人々が数多くいた。

自分の生き方も問われてくる一冊だった。

 

 

評伝高野長英―1804ー50

評伝高野長英―1804ー50

 

 

 

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