グループで米作りをするということ

朝から山賊会の草刈りを予定していたが、小雨が降っていたため中止にして、作業に出たメンバーでミーティングをすることになった。今年一作やってみて、課題はどこか、次に進んでいくためにはどうすればいいかというようなことだ。

今年は、初めてのことも多く、その都度みんなで話し合いを持って進めてきた。ちょっと細かすぎるかな?と思うこともあったけど、細部まで詰めることで別の問題が起きた時に対処できるのだな、と思う。

米作りをやろう、ということで一致して始めて、とにかく赤字を出さないようにしよう、ということでやってきて、その結果、赤字もなく、少しはお金を来年に残せるくらいにまでやり遂げることができた。

あえて大上段に構えてみれば、一般的に、水稲栽培はよほど大規模にやったり、特殊な栽培方法で栽培しない限りは、ギリギリ赤字が出ないくらいの収支になるのが普通だ。しかも、栽培規模が変わらなければ拡大再生産はできない。お米の買取価格も、今年はたまたまよかったのに加え、一等米を取ることができたから少し高かっただけで、来年もうまくいくとは限らない。

米は、栽培するより買ったほうが安いのだ、圧倒的に。

でも、なぜやるかというと、面白いから。あれこれ心配して不安になるけど、収穫を終えて、玄米になって、それを炊いて食べる時はうれしいし、「美味しい」と言って食べてくれるとやはりうれしい。景観維持という観点もあるけど、私個人の場合は、それほど綺麗に景観維持ができているわけではないので、そんなに強くは言えないけれど。

山賊会をやり始めたのは、みんなでやることで、何かが生まれるかもしれないと思ったからだ。地域に住む人々と、何かを一緒にやりたいと思ったからだ。現に、今年はお米をたくさん取ることができたし、色々と学ぶことができた。グループの運営という点でも、自分の至らなさ、仲間からの声かけのありがたさ、補い合って作業を進めてきた。

全員が全てにおいて一致することはないかもしれない。でも、この地で米作りをしよう、このメンバーでやろう、ということで一致してやるということは外さないようにしたい。

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