「あのな、人間ていうのはな、人生の決断をしたとき、
それが人生の盛りなんだ。」
小牧さんという、75歳のおじいさんの言葉だ。
題にした歌は、小牧さんが詠んだものだ。
彼は、ハンセン病にかかり、58年間を鹿児島の療養所で過ごした。
75歳になり、日本財団の誘いで中国は桂林に旅行し、
現地のハンセン病患者たちと交流を持った。
そこで彼が見たのは、自分が戦後まもなく受けていたような
不十分な治療であった。
自分も何かしたい、なにかせなあかん。そんな彼を動かした存在がある。
原田僚太郎、28歳。2003年4月に早大政経学部を卒業後、
単身中国にわたる。
原田は、広東省にある67箇所のハンセン病村をまわり、
現地の大学生とともにワークキャンプを組織し、
ハンセン病に対する支援ネットワークを作る活動をしている。
小牧さんは、原田と出会うことで、療養所を退所し、
原田とともに中国のハンセン病のために活動を始めた。
小牧さんは私財を投じ、原田は日本の支援者のカンパのみで
生活、活動をしている。
中国のハンセン病患者たちも、日本と同様差別と偏見の目に
さらされてきた。
中国国内においても、忘れられた存在になっていた。
しかし、原田がハンセン病村周辺の大学をまわり、
アピールしていくことで、ともに活動する学生が出てきたのだ。
原田はよく、「なぜ中国なの?日本にもハンセン病の問題はあるし、
ほかにもやるべきことがあるんじゃないの?」
と問われるらしい。
それに対して、原田は明確に答えられなかったそうだが、
最近は、「ハンセン病の問題に、日本も中国もない。
現に、自分が中国で活動していることで、日本で(小牧さんという)
社会復帰者が出てきた。中国でもハンセン病村を出て、
社会で働く人がでてきたんだ。
全部つながってるってわかったんだ。」と言っている。
この言葉を聴いて、今私にも何かやれることはないか、
と思う。
実は、原田は私が学生時代に所属していたワークキャンプの集団、
FIWC関西委員会の兄弟委員会の関東委員会に所属していた。
同じ活動をしていたから、というのではないが、
遠く日本からできる限りの支援をしたい。
今回、加藤登紀子のほろ酔いコンサートにおいて、
原田と小牧さんの中国での活動を支援する募金を
行うことに決まり、現に12月1日の仙台講演から
スタートしている。
幸い、協力してくれる人がたくさんいて、うれしい。
私は、来週の月曜日から土曜日まで里帰りするのだけど、
火曜日には高松公演、土曜日は京都公演で
募金の呼びかけをする。
ほろ酔いコンサートにお越しの祭はぜひご協力下さい。
私は29日の新宿公演に行く予定です。
ちなみに、今回の文章は西尾雄志氏の
「散るもよし 今を盛りの 桜かな
― ハンセン病元患者、75歳の社会復帰 ―」
http://www.kinyobi.co.jp/MiscPages/rupo17th_2
に依拠しています。ありがとうございました。
この作品は、第17回「週刊金曜日ルポルタージュ大賞」優秀賞を受賞したものです。
(蛇足ですが、彼も私の学生時代からの友人です。
う〜ん、私もふんばらねば!)
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