雪遊び

雪が降ったのは月曜日だったけど、
3日目の今日になってもまだ遊べる。
幼稚園から帰って来て、子供たちが作った雪だるま。
畑のそばに、ぽつんと立っている。

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先達の教え


朝7時前、日の出。
昨日の雪で、鴨川も久々に雪景色。
子供たちは今日も雪だるまを作るつもりでいたが、
凍っていたので断念。

子供たちを送ってから、
館山市まで税理士会の無料相談にいく。
あらかじめ質問事項をまとめていったので、
税理士の先生の回答も明確で、ずいぶん勉強になった。
まだ具体的な事業ができている訳ではないのだけど、
それに向けての準備を進めていっているところ。

急いで帰宅して、田んぼの見回り。
「雨が降った後には田んぼに出て、ザリガニやモグラの掘った穴を探すんだぞ」
地元の農家に教えてもらった。
最近雨も降っていなかったので、昨日の雪で久しぶりに田に水が入った状態に。
畦を歩きながら、水が流れていないか確認する。
2カ所、発見できた。
スコップで畦を削って、穴に長靴で土を入れて塞ぐ。
天水田は、こういった地道な作業が必要なのだ。


スコップで田のくろを切った状態。
家の田んぼは、目で見るとさして広い訳ではないのだが、
実際畦周りを歩いてみると意外に広い。

やりごたえがありそうだ。
引き続き、準備をすすめる。

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小笹刈り

日曜日は集落作業。
小笹刈り(こさがり)という。
このように、右手に防護柵があり、
その反対側の土手の若木、竹等を刈る。

小笹刈りといいながら、木も倒す。

実はこの後、直径50センチはあろうかという木も倒した。

「おめーらが、10年後、これをやるんだよ」
といわれてはたと辺りを見回す。
この日、チェーンソーを持ってた大木を倒して回っていたのは、
60後半から70半ばの方達。
そのときはそのとき、何とかなるかもしれないが、
やはり今のうちにできるだけ学んでいかないといけない。
金曜日に甲斐さんから言われた「地元からの視点」が、あらためて現実味を帯びた。

毎日が大切だ。


おっと!放置された木から椎茸が!
とてもおいしそうでした(笑)

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対話からの学び


1月10日、久しぶりに上京した。
昨年11月16日の解散をきっかけに国会を後にし、
12月16日の衆議院総選挙投票日に下宿を明け渡して以来の、
一人での上京。

新しいことを始める上で、相談したいこともあって、
お世話になっている方々を訪問した。
まずは、認定NPO法人 ふるさと回帰支援センター
事務局長にアポイントを取った。
今後の地元での活動のポイントをアドバイスされた。

次に、農文協(農山漁村文化協会)甲斐良治さん。
説明するために書いていったマインドマップをお見せすると、
「地元にいるという視点がなく、頭で考えただけの計画になっている」
と指摘を受けた。
「君がやりたいことはわかるが、集落をどう考えていくかの視点がないと、
結局はつながりが作れずにだめになってしまうことがある」
たしかに、頭の中にあることを書いていったのだ。
この先どうするか、まとまっていないこともあるので、
もやもやをのこしたままの提示だった。
「集落にどれだけの人がいて、どんな家族構成で、それが10年経ったらどうなるか書き出してみよ」
と言われて、これは早急に行おうと思った。

赤坂を歩いているとき、facebookのみで友人になっている方からメッセージをいただいた。
近くで働いているので、よかったらランチをしないかというお誘い。
だいぶ前、その方がビジネスサイトで投稿されていた文章に刺激を受けてメッセージを送って以来の関係。

喜んで、お伺いすることにした。
またまた拙いマインドマップをお見せして、
食事をしながらご意見をいただいた。
「首藤さんの楽喜舎というのは、なにが一番のやりたい仕事なんですか?」
・・・しどろもどろになりながらなんとか答えた。
私のやりたいことは、なんかうまく表現できないのだ。
まだ、具体的に見えて来ていない。
「あなたがやりたいことで、喜んでいる人の顔が見えるとき、それがビジョンですよ」
と教えていただいた。
「私も、できることがあればお手伝いしますよ」
とまで言っていただいて、恐縮しつつもとてもうれしかった。

わざわぜ先方からご連絡いただいて、貴重な時間を取ってもらって、
ありがたい時間だった。
この方とお会いできたことが、今後の私の活動にとっても重要になると思う。

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朝の送り

3学期が始まり、時間があるときには子供たちと一緒に
徒歩約15分の道のりを歩いてバス停まで行く。
幼稚園が数年前に3地域統合されてしまったため、
バスか、自分で送るかを選択するようになっている。

昨日は長女が1からどこまで数えられるかをいきなり始め、
バス停についても数え続けて、なんとか300越え。
何が楽しいんかわからんが、次女も楽しそうについていっていた。

今日は家からバス停まで二人で手をつないで歌を歌っていた。
「さんぽ」「およげたいやきくん」「あおいそらにえをかこう」(題名があってるかわからんが)などなど。

「今日も朝一緒に行ける?」と長女が聞いてくるのがいじらしい。
彼女が入園してから、あまり一緒にいてやることができなかったからな。
今だけは時間があるから、一緒に行こうな。

親バカな一枚を。

「いってらっしゃい!」と送り出した後は、
軽くジョギングして帰るのだった。
子供たちの成長とともに、自分も前向きに進んでいこうと思っている。

今までやってきて思うのは、そのときそのときの一瞬に自分を尽くすことの大切さだ。
今やっていることの意味があまり見えなくても、きっといつかの自分につながるし、
自分の周りが少しでもよくなればそれでいい、そう思っている。

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来年度のプログラム作り!

草so_普段使いの器に集まって、NPO法人うずで行う事業のミーティングが行われた。
2013年度の新しいプログラムを作るためだ。
この3年間は、何度も声をかけてもらって、その都度都合が付けられず参加できずにいた。
ある意味、今の私には時間があるので、自分の関心のある分野に参加できる。

NPO法人うずでは、今年度、新・里山の教科書の鴨川地球生活楽校 Kamogawa Earth Schoolというコースを行った。
パーマカルチャーと、里山の暮らしを融合させられないか?という思いで始められたもの。
毎月20人ほどの参加を得て、活発に活動して来た。

来年度の詳細はもう少し先にならないと明らかにできないけど、今日話し合った中では、
水の自然浄化システムの構築、アースオーブン製作、棚田での段々畑作り等、いろいろとアイディアが出された。
ただ単にワークショップを行うだけでなく、パーマカルチャーの思想、里山暮らしの実際等を詳しく学べる講座になりそう。

今日集まったのは6人。それぞれ思いを持ってこの地に引っ越して来た人々。
短い人で3年目、長い人では15年弱になる。
ここまでやってきて、ようやく花が咲き始めた状況。

私は、みんなと一緒にやりながら、それを何らかの形でより多くの人に届けていけるような活動がしたい。
思いを持ってやっていることを、どのように伝えていくのか、そこに取り組みどころがあるような気がしている。
明後日には、久々に上京してご挨拶回り。
せっかく行くのだから、きちんと準備してゆこう。

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不耕起の畝作り

午後からの農園作業。
まずは昨日のタマネギに、鶏糞の追肥

タマネギは、永田農法の液肥を使う栽培区と、
鶏糞を使う栽培区に分けている。
永田農法は、土を肥やすという発想がないので、
そのまま続けていくにはためらいがあるのだけど、
液肥を使うので、安定した生長が見込める。
鶏糞は、飼料に何を使っているかが不安な面もあるが、
過渡的に使用していこうと思っている。
ゆくゆくは肥料も作ってゆけるようにしたい。

さて、畝作りだ。
今使っている畑は、何度も栽培に挑戦するものの、
仕事の忙しさにかまけていつも放置してしまう、少しかわいそうな畑。
でも、日当りはいいし、広さもある程度あるので、ぜひ利用したいところ。
時間のない中で使って来たので、ついつい雑な畝作りをしていたのだが、
今回から心をあらためた。

まず、昨年に刈っておいて枯らした草を熊手でどける。

この状態では、わかりづらいけど、刈った草の根がそのまま残っている状態。

次に、鍬で残った根をこそぎとる。

腰を曲げっぱなしなので、時間もかかるし、疲れる。

次に、溝の部分に縦に剣スコップを入れて土を起こす。
土を起こしただけで、溝はがたがたなので、今度は溝に足を入れて土をすくう。
すくった土は畝の部分にのせていく。
その後、大まかにならす。
逆光でわかりづらいが、作り終わった畝がこれ。

この後2ヶ月くらいこのままにしておいて、
播種や定植を行うときに軽くならして使う予定。
深く溝を掘ったので、粘土質の土でも、排水は少しはましになるだろう。
遅くても月末までには畑全体をこのような形にしたい。
今は効率よりも丁寧に。

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頭と身体と

今日から子供たちは幼稚園。
元気な顔で出て行った。
子供たちを送り出すと、年末から始めた塾のアルバイトの予習。
今は高校受験生たちの国語を教えている。
さすがに忘れているので、午前中の頭がすっきりしているときに集中して行う。

昼からは、畑作業。
この間ばたばたしていて、畑に出ることもできなかった。
予習や勉強すべきことはたくさんあるんだけど、
日の出ているうちは畑に出ないともったいない。

薪用に伐木をとりに来てくれたM君と久々に話をしてから、
台風でめくれあがったタマネギのマルチを直す。
タマネギにビニールマルチがあたると、こすれて焼けて、葉が痛んでしまう。
できるだけ元気に育つように、再度張り直す。

こちらは、昨年11月末に、千葉大の女子学生たちと植えたもの。
彼女らの喜ぶ顔が、5月には見られるだろうか。

続いて、こちらはマルチを張っただけのもの。
3月くらいには作物を何か植えられると思うので、
畝に水を撒いてマルチを張っておいた。

最後に、大豆を収穫した後、めくれ上がったままになっていたマルチを修復。
大豆は、根を残して刈ってある。
なぜ残してあるかというと、大豆の寝には根粒菌がつくので、
それを窒素肥料として使わせてもらいたいからだ。

冬でもあり、まだやらなければならないこともあるので、二時間半ほどで畑作業を終えた。
まだやりたいことが形にできていないけど、頭と身体を使いながら、一つずつ作ってゆこう。

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一年の計は。

いよいよ、2013年が始まった。
今年がどんな年かというと、
2009年から3年3ヶ月続いた秘書生活が終わり、
自分で仕事をしてお客様からお金をいただく生活に入る年。

なんだかんだといって、今までアルバイトやら何やらで、
結局は月々決まったお給料をいただいていた訳で。
秘書が終わったとき、誰かに泣きつけば、
就職口を探してもらえない訳でもなかった。
地元の企業からも、ありがたいことにお声掛けをいただいていた。

でも、今は自分で挑戦したい気持ち。
考えてみれば、それは2003年くらいからの考えだったかもしれない。
いつかは独立したい、と思い続けて、
「いや、今は無理だ」と自分に言い訳を続けて来た。

昨年の衆議院解散を機として自動的に失職。
お礼奉公的に、選挙手伝いと事務所の片付け。
いろいろな思いが去来するも、終わってしまえば肩の荷が下りた感じで、
就寝時には欠かせなかったipodで落語を聞きながら寝る生活も、
自然と何もなくても寝られるようになった。

家族で、初日の出を見に行った。
ここ3年は正月にのんびりすることもなかったので、
4年ぶりの初日の出になる。

太陽をみながら、考えた。
今年は、これまで暖めてきたことを全力でやる。
計画を形にして、3年は耐え忍ぶつもりで。

まぁ、何をビビってるかというと、
自分のやりたいことで果たして家族で暮らしていけるかということ。
やり始める前から躊躇していてはしょうがないが、
正直な気持ちとしてここに記しておく。

私は、農を基本とした様々な都市農村交流的事業を行いながら、
鴨川の子どもたちが、自分の力で学んでいける方法を考え、実践し、
既存組織から取りこぼされている人々が利用できるような、
住民セクターを構築し、地域自治を維持していくお手伝いがしたい。
モデル的な場を作ることを目標として、
将来的には世界中の人が訪れるような場にしたい。
二項対立的な世界を乗り越え、ある問題に対して、統一的に解決できるような道を模索したい。

抽象的ですが、以上が今年私が取り組んでいきたいことです。
叱咤激励、ご指導ご鞭撻よろしくお願い申し上げます。

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子どもに聴くということ

安富歩さんの本に出会えたのは、幸運だったと思っている。
初めて読んだ作品は、これ。

ごくごく乱暴に要約すれば、
「東大話法とは、自分の本心を隠しつつ、自分の立場を中心に語るための話法であり、それは自分の魂を傷つけてしまう言葉だ」となる。
これを筆者の言葉でいうと、「魂の植民地化」ということになる。
この「魂の植民地化」という言葉を聞いた時、これはまさに自分の現状ではないか!とひざを打ってしまったほど。
で、実はまだここから脱却できてないのだが。

それから、これ。
何気なく本屋をぶらついているときに出会った。

論語が好きで、いろんな本を読んでいる。
まぁ、論語読みの論語知らず、下手の横好きといわれても仕方ないが。
著者の論語理解がとても刺激的で、
過ちて改むること憚ることなかれ、
過ちて改めざる、これを過ちという。
という論語の中の言葉を、「絶え間ないフィードバックによる自己改革」と解釈し、
この姿勢こそが「自由」だ、というのだ。
この解釈に出会えて、本当に良かったと思ったのを憶えている。

で、最近読んだのがこれ。

原発危機と東大話法」との二部構成のようになっている。
これも刺激的だったのだけど、
一番強調しておきたいのは、このようなどうしようもない世界からの脱却はどうすればいいのか?という問いに対して、
「私が最も大切だと思うことは、子どもの利益を最大限に考えるということ」
というところ。

筆者は、子どもの利益を考えることがすべての政治過程から排除されているというのだ。
これについては、
「子育て中の親や学校への支出を拡大することが、子どもの利益を守ることだ、というような陳腐な考えは、唾棄すべき大人の独善にすぎません」

と書いてあることで、すべて了解されると思う。
これは、社会保障と税の一体改革における「子ども子育てプラン」に対する批判として最大限に有力なものだと思う。
あのプランは、子ども自身の成長ではなく、子どもをそだてる経済的環境を整えることに終始していると思われても仕方のないものだったからだ。
むろん、経済的環境を整えることを排除するものではないが、それは本当に子どもにとって必要なものかという観点から考えてもよいのではないかという意見である。

話を戻して、子どもの利益を最大限に考えるためには、という問いに対しては、
「子どもに聞くことです。彼らは自分が何を必要としているか、明確に理解しており、それを示すことができます」
と答える。

著者の意図とは外れるかもしれないが、
私はこの言葉を信じたいと思った。
今二人の娘がいて、私は果たして本当に彼女らの声が聴けているかと思った。
私の想いを中心にしてわかったふりをしているだけではないのか?
もしかして、彼女らの声を聴くことでこれからのことを感じられるのではないか?
そこを踏み外さずに、もう一度やってみようと思ったのだった。

魂の植民地化を抜け出すためには、自分の心にどれだけ正直であれるか、自由であれるかが必要なのだ。

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