南総里見まつり

南総里見まつりに、代理出席してきた。
代理とは言え、来賓席に座り、おまけにあいさつまであるので面映ゆい。
メッセージ代読、という形でやらせてもらった。
紙を読むだけだけど、300人以上は観衆がいたので、なかなか緊張した。

オープングは、よさこいソーランのグループが飾った。
踊り始めて1分ほどで、音楽が止まってしまい、
どうなるかと思って眺めていたが、それぞれが拍を取り、
歌を歌って踊り続けた。何だかレッスンを見ているようだったが、
音がなくても迫力のある踊りで、とてもよかった。
ハプニングは、起きないほうがいいのだけど、ハプニングにどう対処するかは本当に大事だと思う。
その点、混乱なく踊り続けたグループには拍手だ。

このお祭りは、市長はじめ、自衛隊の幹部や市議会議長、県議などが甲冑を着て、
それぞれの武将にふんする。市長は、八犬士を探す旅に出るゝ大(ちゅだい)法師にふんしていた。
お化粧も本格的で、お会いした時一瞬誰だか分らなかったくらい。
県議も、「せりふがあって大変だよ〜」と言っていたが、なんだか皆さんそれなりに楽しそう。
ちなみに、来賓の方々も陣羽織をはおるようになっている。

出陣式では、安房太鼓のメンバー(女性だけ?)の太鼓に合わせて居合の披露。
太鼓も居合も、息を抜けない素晴らしいものだった。

こうやって、地域の行事に参加するようになると、地域が元気になるもとはそこらじゅうにあるような気になる。
爆発的に儲からなくても、何とかやっていけるレベルにはなるような気がするのだ。
具体的にやり始めると、根回しだ、交渉だ、嫉妬だ、なんていろいろあるのだけど、
小異を捨てて大同につく、もしくは小異を残して大同となることが必要だな。

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ばあちゃんのつけもの

「おはよう」と、母屋から義祖母がやってきた。
手に持っているのは、大根葉の漬物。
ぬか漬けにしたものだ。

私は、これが大好きだ。
今年の初めに、早稲田の米プロジェクトの結城登美雄ゼミの時にも、
「自慢の一品」として、この漬物を持参したほどだ。
(実際にはお店ですでに売りだされているものを見せ合う場だったのだが)

この漬物は、本当にシンプルで、塩をして、ぬかにつけるだけだ。
でも、不思議なほどに、酸味と塩分と、大根葉のしゃきしゃき感が調和している。
口に含み咀嚼し始めると、口中に酸味がほのかに広がってくる。
塩味もあるので、醤油などを加えなくてもいい。

「漬物大好き!」というほど好きではないのだが、
義祖母のこの大根葉のぬか漬けと、キュウリの古漬け(かくや)は最高である。
少しご飯に載せて食べる、ただそのことだけで幸福感を得られてしまう。

シンプルなものほどおいしいというが、シンプルなものほど奥が深いのだ。
私の仕事も、シンプルで味わい深いものになればよいのだが。

まぁ、つべこべ考えても仕方がない。
明日の朝も、ばあちゃんの漬物で出発しよう。

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生きるチカラ

生きるチカラ (集英社新書)

生きるチカラ (集英社新書)

著者の本が好きで、何冊か読んでいる。
日経ビジネスの書評で見つけて購入。
まだ冒頭部しか読んでいないんだけど、
「人生、何とかなるさ」
と思える本だ。

人生に起こる偶然を、自分のものにできるかどうか。
今自分が描いていることとは直接関係ないように見えても、
結果的にそれは自分のチャンスなのかもしれない。

考えてみれば、今の自分の状態をはたして当時の自分は予想できただろうか。
まったく、予想できない。
だからといって、将来を全く考えないのではなく、
ちゃんと考えた上でのことだけど。

明日は久しぶりの休み。
家の草刈り。
冬に向けた草刈りが始まる。

快楽は悪か (朝日文庫)

快楽は悪か (朝日文庫)

ちなみに、これは私がまだ兵庫に住んでいた10数年前に、
朝日新聞に連載されていた物をまとめたもの。
この本が、植島先生との出会いだった。

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千葉国体閉会式

閉会式に、代理で出席してきた。
秋篠宮同妃両殿下のご来臨も賜り、盛大に行われた。

順番としては、一番最後の入場だったのだけど、千葉県の入場シーン。

開催県だけあって、ほとんどの選手が出席していた。
後の地域は、役員と一部の選手だけといった感じ。


これは、わかりにくいけど、プラカードの左から3番目が兵庫県の選手団なのだ。
普段は、「地元は鴨川です!」といっていて、
これは嘘ではないのだけれど、何の気なしに入場を見ていて、
兵庫県が出てきた瞬間、なんかやけに郷愁を感じてしまった。
出身県である兵庫県を離れて10年近くたつのに、
昔の思い出がふーっとよみがえってきた。
関西にいる家族や、仲間たちのことまで思い出してしまい、
一人感慨にふけっていた。

きっともう、あの場所に帰ることはない。
私はここで生きることを選択したのだから。
ここではいつくばって、生きていくしかないのだ。

FRIENDS

FRIENDS

この中に、「東京」という、
田舎から都会に出てきた若者を題材にした歌がある。
都会にあこがれて、都会の暮らしにだんだん慣れて、
ここで生きていこう、と決心する歌だ。
鴨川は都会じゃないし、私の住んでたところも田舎ではないのだけど、
この歌を聞くと、今の自分の心境に似ている部分があって、
帰りの車の中で聞きながらしみじみしてしまった。

生まれ育った場所を離れて、初めてわかることがある。
誰もがそうすべきだとは思わないけど、
私は離れることで見えてきたもの、責任というものを感じるようになった。

これで、いいのだ。

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朝日平吾の鬱屈

朝日平吾の鬱屈 (双書Zero)

朝日平吾の鬱屈 (双書Zero)

朝日平吾は、安田財閥安田善次郎を刺殺し、直後に自分も首を切って自死した人物。
1921年(大正10年)9月28日のことだった。
これ以降、原敬暗殺事件や、浜口雄幸暗殺事件につながっていく、テロにより社会に風穴を開けようとする時代となる。
著者によって丹念に追われた朝日の生涯は、一見するとスケールの大きいものだ。
当時の若者が一般的にこうだったのかは、まだくわしくは知らないのだけど、
軍隊に入ったのちは、満州へ渡り馬賊に参加し、帰ってくると労働争議に参加し、
選挙応援を行い、宗教団体に加入し、さらには自らでいろいろな団体を立ち上げ、
最後には労働者を救済するためのホテル建設を計画し、それが挫折に至ったのちは、
自らの生涯を知らしめるために、「守銭奴」といわれた富豪と刺し違えて生涯を終える。
享年31歳。

テロに対しては、今はまだそういう手段に訴えるべきではないという立場をとっている。
テロでしか訴えられない事柄がある、というのはわかるような気もするのだけど。
死して名を残すよりも、名もなく生きることを選択したい。

引用されている朝日の文章を読むと、どうしようもなく他責性が強くて、あまり共感ができない。
現代の私が読んでいるからかもしれないが、特定の富豪や、政治家がこの世を悪くしているので、
そいつらを除くしかない、という考えが短絡的に思えてしまうのだ。

しかし、だからといって、今の世にこれほどまでに世の中に対して悲憤慷慨している人がいるのか、と思う。
今は私にとって政治家が非常に身近な存在であるのだが、明確な国家ビジョンを示せている政治家が本当に少ない。
政治家に求めていてもしょうがないのだが。

日本の近代、幕末から昭和初期の人が書いた本を読むと、否応なしに「国家」や「社会」に目を向けさせられてしまう。
もう少し、勉強を続けようと思う。

昭和維新試論 (ちくま学芸文庫)

昭和維新試論 (ちくま学芸文庫)

テロとユートピア―五・一五事件と橘孝三郎 (新潮選書)

テロとユートピア―五・一五事件と橘孝三郎 (新潮選書)

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少数者であること

日々この仕事をしていると、
政治とは一部の関係者のみに存在するのか?
と思うほど、いわゆる「声の大きい」者が勝つ現場に遭遇する。
それが政治なのか、政治とは妥協なのか、と半ばあきらめの気持ちもあり、
結局政治とは、やる気ある人々の邪魔をしないということに究極的な役割があるのでは?
と逆説的に考えたりもしてきた。

しかし、今日会った政治家は違った。
彼は、少数者になることをいとわない。
しかも、「私は政治家になりたいのではなく、
政治家になって実現したいことがあるから政治家になった」と断言している。
だから、市長に対して、必要と思われることは議場で直言している。
まわりから、「お前は市長に喧嘩を売っているのか?」と言われることもあるそうだ。
そんなときは、
「いや、私は提案しているだけです」
というらしい。

地域のために役に立とうと思って立候補した人々も、
選挙応援をはじめとしてたくさんのしがらみができてしまい、
結局支援者の”エゴ”ととらえられかねない事柄に
しばられてしまい、利益誘導者になっている事例はたくさんある。

他人の選挙応援はしないそうで、確かに彼自身も当選ラインすれすれで
当選しているのだけど、それで立派に市議としての仕事を果たしている。
今日は別件で面会をしたのだけど、どてもうれしい出会いだった。
こういう思いで政治を行っている政治家もいる、ということはとても励まされる。

私が思うに、少数者になることを恐れてはいけない。
正しいことなら、支援者が現れる。
そして少数者は多数になる。
思い切って主張できるかだ。
どんなことでも始まりはたった一人だ。
ということなのだ。

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論理的に話すこと

歯が痛むので、歯科に行った。
歯が痛むというのは、なんというか、特定の歯ではなく、左右上下の奥歯あたりが痛い、
というなんともあいまいな痛みだったのだが、先生に話すと、
「それは歯肉炎の可能性があるね」
という話だった。

かみ合わせを見たり、レントゲンを撮ったりする中で、
「これは、歯ぎしりかもね」
ということになった。

そこから、この先生は面白い。
どうして歯ぎしりをすると歯がいたくなるのかについて、
「そもそも、人間の歯は一日15分程度しかかみあっていない」
「人間のかむ力は大体その人の体重分くらいある」
「食べているときは、食べものが間にあるので、そんなに力がかからない」
「でも、歯ぎしりするときは、何もなしで、ひどい人は2時間くらいやっている」
「そうすると、歯を支えている部分(もっと説明は細かかったのだが)は、
タテのかむ力には強いが、横にぎしぎしされる力が弱いので、そこが痛んでしまう」
「ただ、そんなにひどくなさそうだから、マウスピースまではしなくていいよ」
「じゃ、これこれこういう治療をするからね」
「この治療はこういう目的だからね」
といった内容を筋道だてて話してくれるのだ。

人によったら、くどい、と思う面もあると思うのだけど、
私にとっては、歯の状態についての説明と、その治療に対する説明が丁寧で、
なんか話を聞いているだけで治ってしまう感じさえする。
プラセボ効果、とでもいおうか。

知らない人に分かるように話すというのはとても難しいことだ。
その物事を十分わかっていないと、とってつけたような上滑りの言葉になってしまう。
話すために、十分理解することが必要だ。

それにしても、話の後に行われたスキニング?という治療は歯科衛生士の方がやってくれたのだが、
歯ぐきと歯の間を針のようなもの?でひっかくのでめちゃくちゃに痛かった。
納得することと、痛みとは相関しないのね。

治療の説明をしながら、
「これは、ストレスによることが多いです。
治療法は、マウスピースを使って対処するか、
ストレスのかからないような仕事や暮らしをするかですね。」
と、今の私の仕事が何なのかを知っている先生はほほ笑むのだった。

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千葉国体ボクシング開始式

先月25日から始まった千葉国体。
鴨川市は、ボクシングの会場である。
今日は東京からボスが戻ってきて、開始式に出席するので、
そのお伴で会場にお邪魔した。

開始式では、市内の幼稚園児が「チーバ君ダンス」を踊ってくれた。
140人くらいの子供たちが、会場いっぱいに広がった。
そして、私たちと向かい合う形でスタンバイ。
懸命に踊る姿がかわいかった。
そして、これを指導する先生たちはどんな工夫をしたのか、へと思いを致した。
会場にはたくさんの市役所の職員もいて、
仕事とはいえ大変なことだと思う。
一つの物事を行うのに、多くの人の見えない行動が必要だ。
そして、その結果から、どれだけ沢山の想いを受け取れるかがポイントになると思う。
自分がいろいろなイベントをやってきたことから、考えは自然と運営者サイドの視点となる。
何かに参加しているだけではなく、裏方や、運営者でやってみると、いろいろなものが見えてくる。

市民としても、行政サービスを受けるだけの人間から、少し立場を変えてみると、
一人ひとりの人の見え方が違う。
一人ひとりにそれぞれの暮らしがあって、仕事があって。
この人は今こんなことを言っているけど、家ではどうしているのかな。
いろいろなことを考えてしまう。
すこしずつ、周りのものが見えてきている気がする。
眼前の物事はてきぱき動いているんだけど、感覚的にはゆっくり動いているような気さえする。

私が見た試合は最初の2試合だけだった。
高校生の試合だったが、スピード感あふれるものだった。
この1試合にすべてをかけてきたんだな、と思うと何か純粋なものを感じてしまった。
この集中が、きっとすべてに活かされるんだろう。

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「食べる」ことの満足

昼から千葉市に出かけねばならない用事があったので、
昼時に、時たま行くラーメン屋に行った。
ここは、九州ラーメンで、細麺。
私は太麺や縮れ麺より細麺が好きだ。
つるつるしたのどごしがいい。

ラーメンライスが好物なので、今日もライスを付けようとしたが、
最近いろんな人から「ポニョ度が増した」といわれるので、
ライスをやめてみた。
しかし、替え玉無料という言葉につられて、替え玉を頼む。

いつも思うのだけど、腹がいっぱいにならないから
麺をお代わりしたり、ライスを付けたりするのではなく、
「あ〜ラーメン食べた!」
という満足を得たいために、私は食べているときがある。
ラーメン一杯だけで十分おなかいっぱいになるのに。

もし私にもっと自制心があったなら、
必要な分だけ食べるだろう。
そして、適度な運動をするだろう。

しかし、自制心は非常に弱い。
「食べる」ことが大好きなために、
「食べる」ことに無節操になってはいけないと思うのだ。

「食べる」雰囲気が良ければ、
きっと心も体もリラックスして、満足できるんだろう。
「食べる」ことを書いていたら、
そろそろ晩御飯を食べたくなってきた。

家に帰ろう。

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イノシシ精肉

昨日の夕方、Kさんから電話。
「今、イノシシが罠に入ったんだけど、取りに来ないか?」
おおお。
たまたま休みにしているし、ぜひぜひ、
ということで子供たちもつれて解体現場へ。

すでに、内臓が出され、頭が切断されていた。
そして、がばがばと解体は進み。
半分に割るために、背骨をなたで割っていたのは原始的だが。

「おまちどうさん」
と言われて渡されたのは、
前脚、後脚各一本、背の部分半分。
「え?これ多すぎないですか…」
「いいよいいよ。小分けして仲間に配っちゃいなよ」

あらら。私には鶏の解体経験はあっても、
イノシシの精肉経験はない。
しかも、保存用のジップロックもあまりおいてない。
妻がいい顔をしないな…と思いつつも、
ちょっとわくわくして持って帰る。

無論精肉用の包丁はないので、アジ用の短い包丁で代用。
包丁が新しいので、よく切れる。
全く初めての経験で、モノがあまりにでかいので、
(60キロ級のイノシシだ)
しょうがないので、適当にワシワシ骨から肉をこそいだ。
1時間近く格闘。

とれた肉は、とてもじゃないが人家族で消費できる量ではなく、
お隣さんたちにおすそ分け。

この冬は狩猟免許を取ろうと思っているのだが、
解体も練習してみたい。
精肉中、嫌悪感はなくむしろ高揚感さえあったので、
意外と精肉にも向いているかもしれない。

うまいこと休みを取っていて良かった。(笑)

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