炭焼きと雪と

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テレビニュースでは、関東近郊では大雪という予報だったが、鴨川の予報はずっと雨だった。

南房総は暖かいから雪にならないんだな、と思っていたが、午後過ぎから雨は雪に変わり、現在は道路にまで雪が積もり始めている。夜の塾には、出かけられなくなってしまい、臨時休講にせざるを得なかった。

 

今朝は朝から炭焼き!

前々から準備していた材を焼き始めるのだ。

7人体制で行えるなんて、本当に久しぶり。

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前回は12月に行なったが、実はオペレーションを失敗したためイレギュラーな止め方をせざるを得なかった。心配していた炭の出来だが、使えないことはないけど、販売には適さないな、と結論づけて自給用とした。

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窯の入り口を外して、

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炭を出していく。

顔は真っ黒になってしまう。

炭は、焼き始めてからまる6日はかかる、長丁場の仕事。その間の仲間との語らいがこの仕事を続けさせるモチベーションとなっている。

 

それにしても、今日は寒かった。

体を動かしていても、冷たい風が当たってどんどん体が冷えてくる。

ほとんど休憩なしで作業しましたとさ。

明日は温度点検のみで、明後日が大忙しの一日になる。

 

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明日、この車は動かせるだろうか?

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この火は絶やさない

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先月の炭焼き以来、約1ヶ月ぶりに集まって小宴。

この冬の作業は全て終わってしまい、来年度は市の補助事業も申請しないので、秋からの流れを話し合う。

ありがたいことに、今年は最後の方になって一緒に炭焼きをやりたいという人が5人も現れた。

あっという間に12人の所帯になる。みんな無給だけど。

新しいメンバーが来たら、また講習などをやるきっかけにもなるし、作業日程も組みやすくなるので大歓迎だ。

今は採算にのらないけど、とにかく年に数回でも炭焼きを続けることは決めている。

私たちは、炭焼きだけがしたいわけではなく、炭焼きを通して様々な活動に展開していきたいと考えている。

この地に引っ越してきてから、様々な活動をしてきた。お金は儲からないけど、得難い人々と出会い、活動が継続できたことに感謝したい。

人間にとって、自分の役割があることほど嬉しいことはないだろう。人は一人では生きられないし、それぞれの力をそれぞれの持ち場で発揮できれば、意外と踏ん張れることを実感している。

「この先どうするの?」といつも周りに不安がられる。確かに、不安は不安だ。収入は不安定だし。

でも、強調できるのは、ここには全てにおいて工夫できる余地があるということ。打つ手は数多くあるということ。

今健康でいられて、考えられる頭と実践できる身体があればまだ大丈夫だ。そして、困った時に相談できる仲間。困ってなくても共に動ける仲間。このつながりを広げていくことで、あと一歩先に進めるのではないだろうか。

自宅でやっている農家民泊には3月第1週にベトナムシンガポールから、今日まではモンゴルから、週末にはアメリカからの訪問がある。

一生に一度しか会えない人と2泊3日を過ごすことの貴重さを感じながら接していければと思う。

そう、私はあきらめない人生を選んだのだ。

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炭焼きから繋がるもの

炭焼き3日目。

3日目の作業は結構気を使う。

「焚き込み」という作業だ。

一昨日から、小さな火で燃やし続けていた。今日はどんどん焚き口に薪をくべて、温度を上げる日。

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火が強くて、かなり熱い。

そして、所定の温度まで達すると、焚き口をベトと呼ばれる土を水で溶いたものでふさぐ。

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今回から組合の仲間に入ってくれたwさん。

きれいに焚き口をふさいでくれた。

 

途中で、市役所の人が作業の様子を見にきてくれた。昨年度から2年続けて市の補助金を得ているので、いろいろと気にかけてくれているのだ。

鴨川市でも、地域活性化の動きや、さまざまな地道な取り組みがなされているのだが、どうにもそれぞれにスポットライトがあたらず、インパクトがあまりない状態なのが率直な印象。

今考えていることは、それぞれがやっていることを、うまく行政とつなげていくことで、インパクトのあることができないかということ。

全ての活動は、鍵になる人ががんばっている間は継続できるけれど、その人がやめてしまうとしぼんでしまいそうな状況。

せっかく、それぞれが知恵をしぼって取り組んでいるだから、それに光が当たるようにしたいと思うのだ。 

 

炭焼きをやることは、資源循環の1つの活動だから、あらゆることにつながっていく。「里山での暮らし」を営むことが静かだが着実な事実を積み重ねていくことになる。そして、それが結果を生み出すはずだ。

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生活は続く

民泊の余韻に浸る間も無く、今朝から炭焼き作業開始。この冬2回目だが、実は今回がこの冬最後になってしまう。残念だけど、やむを得ない。二回だけだけど、お互いに時間を都合つけて出てきたんだし、やれるところで続けて行かないと、嫌になってしまえば元も子もない。

 

昨年末に焼いた炭の窯開け!

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焼き時間は、予定通り行ったので、楽しみにしていたが、若干燃えてしまった量が多いかもしれない。

今日は新しい参加者が2人きてくれたので、作業がどんどん進んだ。

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木炭を出しているところ。

木炭を出してから、今度はこの間準備してきた炭材を入れる。

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釜沼木炭生産組合を長老方から受け継いで、丸3年が過ぎようとしている。

どんどん生産しているわけではないが、

田んぼの陰になっている木を伐ったら炭にできるので、木を無駄にしないで済むようになった。

木を見る目も、少しずつ養えたように思う。

 

農村で育ったわけではないので、知らないことばかり。でも、1つ1つ後付けで学んでいる。後付けであっても、学べることができるのはありがたい。それはいつか、繋いで行くものになるだろうから。 

 

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長狭小に行ってきた!

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今日は、地元の長狭小学校に行ってきた。

写真は、釜沼木炭生産組合の仲間たち。

組合員の、下郷さとみさんが撮ってくれた写真。

 

地元の小学校3年生に、体験授業をしてきた。

「昔の暮らしを学ぶ」〜七輪でお餅を焼こう〜というテーマで。

社会科の授業の一環として、時間をいただいたもの。

木炭組合では、昨年から地元の小学生に、木炭を使う面白さ、この地域の豊かさを伝えようとしていて、今年は実際に炭で火を起こしてみよう!というアイディアだった。

 

七輪を用意して、マッチをする練習をし、それから4〜5人で6班作って火おこしを始めた。

マッチを擦ったことがない子も、少し練習するとすぐできるようになる。新聞紙に火をつけて、うちわで扇いで、いざ、餅をのせよう!

 

今回の授業は地産地消の学習も取り入れたいと考えたので、素材は全て地元産。餅も、醤油も、おしるこの小豆も。地元産というか、全て我が家で取れたもの。醤油は、仲間で絞っているものだが。餅は、金曜日についたつきたて餅を用意した。

 

もちが膨れてくると、

「うわ〜、お餅がふくらんだよ!」

と歓声が。

この地域の子供でも、実際にお餅がふくらんだ姿を見るのは珍しい。しかも、実際に焼くのはあまり体験したことがない。

1人2個用意して、醤油とおしるこ両方味わえるようにした。

風は強かったけどあまり寒くなかったので、子どもたちも本当に楽しそうだった。

 

「マッチで火をつけたのが面白かった」「お餅が美味しかった」「昔の文化が学べた」など、いろんな感想を聞くことができた。

 

私としては、子どもたちが喜んでくれたこともさることながら、忙しい中一緒に授業をやってくれた組合員の仲間たちに本当に感謝だった。

 

こんなこと、1人ではできない。

どこかに勤めていたら、平日にこんなことできない。すごく、貴重な仲間たちだ。

当たり前と思っちゃいけないんだ。

今日は、感謝と感動の1日だった。

 

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何のための仕事?

先週からの炭焼き作業の続き。

だいたい、週のうち火曜日と水曜日が定例作業になりつつある。

今日は木割りといって、90センチに玉切りした材を炭にしやすいよう割っていく作業。

長老たちが残してくれた大きな自作薪割り機で割っていく。

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薪割り機には2人でとりかかるので、それ以外のメンバーは棚木といって、窯の中に炭材をならべたときにできる空間を埋めるために使う短い材を作ったり、割った木を並べる作業を行う。

 

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これが、棚木を積んだ写真。

太いのやら細いのやらがいろいろ混ざることで、隙間なく空間を埋められるというわけだ。

 

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割った木を並べた。写真の左にあるのは、割らなくても炭にできる太さのもの。

これを窯の奥の方に詰めて、割ったものは窯の手前に並べていく。

炭にするときに、窯の手前の方は温度の関係で燃えてしまうことが多いので、燃えてもあまり痛手ではない割り木を置くという仕組みになっている。

 

先日も書いたが、2月13日から、この冬最後の炭焼きを行う予定。ぜひご参加を!

 

ところで、私たちが焼く炭は、欲しい人に売っているのと、自分たちの自給用として利用されている。

一回の炭を焼くのに、5人が10日間以上の時間をかけている。単純に計算しても、作業に見合う対価としての金銭を得られるわけではない。

 

でも、「結局さ、金になんなきゃ意味ないんだよ」
という考えには断固として反対したい。
もちろん、霞を食べて生きていけないのは私でも知っている。
しかし、その行為を行った直接の結果として、金銭という対価を得ることが全てではないと思っているのだ。
一見無駄に思える行為の積み重ねが、総体として生きる道を作っていくのだと確信している。

炭焼きをすることで、私は伐倒技術や機械の使い方を学んでいる。市役所にその目的と内容をプレゼンすることで市からの補助も得られた。その補助を利用して講習会を開いて、来月には地元の小学校に木炭を使った授業をしにいく。周辺事業が生まれてきている。

 

とすれば、暮らしそのものを仕事として、その全てから対価を得られればなんとか生きていけるのではないか?という仮説が成り立つ。

生きていくため、そしてちょっとした余裕のためのお金は必要だし、欲しい。

 でも、それだけを目的にはしたくない。

この仮説を絵空事にはしたくない。

それを証明していく作業が、私にとっては、生きることなのだ。

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ここが、暮らしの場となる未来を

先週から引き続いて、炭材の木寄せ。

先週運びきれなかったものを運ぶ日だ。

今日は林さんと2人で作業。

前回ほとんど運んでいたので、軽トラ3往復で運び終わる。

並べられた炭材。

これを、明日は炭窯に入れられるよう木割りを行う。

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今回切ったところは距離にすると15メートルくらいか。これから、時間をかけてきれいにしていくことになるだろう。

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炭焼きは、楽しいし、やっていて意義深い。

しかし、これで対価を得ているわけではないので、いかんせん、忙しくしている中の隙間仕事にならざるを得ない。

仲間の時間がなければ、何とかやりくりして行うしかない。

やりたいこと、やるべきことがあっても、それをうまく実践できていない。

 

そんな中、何気なく手にとった本。 

 

いつか、すべての子供たちに――「ティーチ・フォー・アメリカ」とそこで私が学んだこと

いつか、すべての子供たちに――「ティーチ・フォー・アメリカ」とそこで私が学んだこと

 

 

“Teach For America”というNPOを作った女性の本だ。この団体は、学生が大学を卒業してからの2年間を、全国の小中学校に派遣され先生となるという事業を展開している。最貧困地域では教育が不十分であり、これを解決することがアメリカを発展させるというビジョンをもって取り組んでいるのだ。

現在も活動は継続していて、アメリカで目覚ましい成果を上げ、日本でも似たような取り組みがあるそうだ。

教育については、私も塾講師をしていても常に問題を感じていて、なんとか解決したいと思っているのだけど、今日書きたいことはそのことではない。

 

著者のウェンディ・コップは、この本の中でビジョンを語ることに加えて、自分がいかに資金獲得に奔走したかについて語っている。

ほとんど寝ずに、仕事していることもしばしば。

「アメリカは寄付文化が根付いているから、寄付だけでやっていける」ということがよく語られるが、それほど甘いものではなさそうだ。

寄付をもらうことは、それに対して自分の事業をどう説明するか、共感を得て寄付を得るか、その道筋が語られている。

 

自分に引きつけて考えてみると、今の生活を維持することに汲々としていると言われても仕方のない現状。「それをやることは難しい」などと理屈をつけて、実行に移していないだけのような気がする。

 

どのようにして共に働く仲間を見つけるか。

どのようにしてビジョンを実現するのか。

それが、取り組むべき問題だ。

 

 

 

 

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私たちは、空間をつくっている

昨日に引き続いて、炭焼きのための木寄せ。

結構たくさん伐ったことと、田んぼがぬかるんでいたために、午前中で全てを片付けることはできなかった。

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作業をしながら、林良樹さんが、

「一緒にやれる友達がいるって本当にいいなぁ」と言った。

私たちは、ただ、炭焼きをしようということで集まっただけなのだが、心の奥底では、この地域で暮らすことを楽しみ、素敵な空間を作ろうとして過ごしている。同じ心を持った人々で共に作業をしていくことで、心がこんなに穏やかになるなんて。

困ったことが起きても、なんとかやってゆける気がしている。 

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残念ながら、作業は来週に持ち越しになってしまった。

実際の炭焼き作業は、2月13日月曜日から行うことになった。やってみたい方は是非ご連絡くださいね。

 

夜は、妻と週末から受け入れる民泊について話をした。

今回は、タイから高校生が7名、二泊三日で我が家に泊まる予定。

いつも考えていることなのだけど、彼らにとっては日本の農家に泊まる体験が一生に一回の体験になることがほぼ確実だから、できるだけここでの体験を素敵なものにしてもらいたい、ということだ。

何か特別なおもてなしができるわけではないが、「あなたたちが来てくれるのを待っていました。短い時間ですが、自分の家にいるみたいにリラックスして過ごしてくださいね。そして、私たちにあなたたちのことも教えてください」という気持ちで接している。

民泊を始めたのは今から6年前だが、私はその前からずっとこういう受け入れ仕事が好きだった。

そもそも、鴨川にくるきっかけも、「多くの人が集まる場所を作りたい」という思いがたままた加藤登紀子さんに出会えたことで実現したのだし。

今は、小中学生をはじめとして、海外からの研修の人々が宿泊してくれるようになっている。

鴨川市農家民泊組合としての受け入れが主体なので、一般のお客様を受け入れることはほとんどしていないのだが、いつかはやりたい。

ひとつひとつ、暮らしを積み重ねていくことで、私たちは空間をつくっているのだ。

 

炭焼きでも、自宅でも、自然王国でも、塾講師でも。たくさん、工夫のできる場所がある。そう考えたら、自分はなんて楽しい暮らしをしてるんだろうと思うのだ。

 

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喪失感と創造と

阪神淡路大震災から22年。

忘れようとしたって、忘れられるわけのない日だ。

あの日から、私の全ては変わってしまった。

当たり前のものなんて、ないのだと。

確率的には、今日と同じ明日が続く確率が高いに決まっている。全てシステムは、それを前提としてできているのだし。

しかし、起きてほしくない現実は、必ずおこるのだ。生命がいつか必ず絶えるように。

全てをなくしても、命があれば生きていける、そのような自分と人生を作っていこうと強く思っている。

 

今日は、炭焼きの仲間と炭材を集める日。

林良樹さんがやっている天水棚田自然酒の会で使っている田んぼの土手に生えている木の伐採。

これらを伐れば、田んぼに日がだいぶ入るだろう。

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 集まった5人のうち4人が全く同じチェーンソーを使っているのだ。同じ時期にみんな買い直しただけなのだけど。

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炭焼きを釜沼の長老から受け継いで、もう3年が経つ。お互いの都合を合わせるのが、なかなか大変なのだけど、同じ志を持ってやれているのが本当に嬉しい。

 

1人が伐採した木を、みんなでバラしていく。

お互いの動きもわかっているので、仕事がどんどん進んで心地いい。

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無くしたものを取り戻すことはできないけれど、新しいものを作っていって、確実に形に残していくことで、なんらかの生きた証は残すことができるはずだ。

 

 

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