廃校利用問題の流れ(メモ)

今夜、帰鴨して廃校利用について会議を行う。
忘れては困るのでメモを残す。
来週までに文章に仕上げないといけない。

・実動部隊が少ない(多くの地域貢献事業は定年者が主体のところが多い)
・いつのまにか廃校利用の要望の窓口主体になっている
・活動の負担が大きくなってきた。
・今後、行政の補助が見込まれるのか?
・社会的認知を得るためにもNPO法人化するべきか?
・何を思って廃校利用活動をするのか?
・地域で主体的に活動するために何が必要か?
・ある程度の素案をまとめるべきである。
・できるところから、継続して活動をする。
・みんなでやっているという認識を高めるためにも、一定程度の金銭的負担は必要。
・活動に甘えが多いと負担が集中し、活動がなえてしまう。
・団体の趣意書が必要である。
・メンバーがどこまで腹をくくれるか。
・廃校利用の事例を学ぶ。
・米作りを始めよう。
・フェスタ大山の復活
・あわのわと合同開催?
・映画の上映会&ミニライブの実現。
・地域マップ作り
・サロンの展開方法
・関係諸団体の統合
・肉を切らせて骨を断つ。
・実利を取る。

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私の、やりたいこと

最近、昔の友と会っている。
数十年ぶりに会った友。
友は、私の話を相槌を打ちながら聞いてくれる。
今日話していて思ったのは、私のやりたいことは友によって整理されたということ。
私のやりたいことは、「地域コミュニティの再生と持続」ということなのだ。
高校時代に考えていたこと、学生時代の韓国におけるハンセン病者定着村でのワークキャンプ、司法浪人時代、
鴨川自然王国時代に考えていたことは、結局のところコミュニティに関連したことであったのだ。

今の仕事は、権力の中枢の周辺部にいる仕事。
ここで、どれだけの人脈を築けるか、議員の仕事を支えられるか、今後の仕事に活かせるかということがポイントになる。
この先、結局のところ私は自給的農家であり、余剰生産物を販売しながら、地域コミュニティ、地域主権、地域自治組合の創造に向かって働いていくのだろう。

自治というものを、真剣に考える時期に来たのだろう。

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キャリアについて

大卒後3年間は新卒扱いにするべきという報告書が出るとのこと。http://www.asahi.com/national/update/0329/TKY201003290001.html
知り合いの学生に聞いても、「就活厳しいですよ」というし、気になっていた。

結局は、新卒扱いにしないと大企業には就職できないので、
3年間は新卒扱いとして認めるほうがいい、という内容だ。

でもこれ、おかしくないか?
これは私が就職活動を一切しておらず、
企業に入ったこともないことから言える意見なのかもしれないが、
どうして我が国は画一的な人をほしがるのだろうか。
友人のライター、白石あづささんは、twitterでこんなことをかいていた。

日本は新卒ブランドの国。ふと。3年間の世界一周旅行中、「留学じゃなくて、旅行しているだけだから、帰国後、再就職難しい」というと、スウェーデン人が、「うちの国では、それもキャリア。3年も見聞を広めたってことでお給料上がるんだよ」と。

司法浪人時代、よく言われたのは「受からなかったら企業には就職できないし、つぶしがきかないぞ」という言葉。
ある意味においてこれは正しい。私の収入は、同年代の正社員に比べて格段に低いのは事実である。
でももし、スウェーデンや、ほかの国のように就職に対してさまざまな考えを持つ余裕ができれば、
もっと落ち着いて就職活動ができるのではないか。

日本だけの事情を考えてみると本当に息が詰まって、出口が見えないとも思えるんだけど、
目を転じればまだまだやり方はあったりする。
その一つが農村への移住であったり、海外での仕事であったりするのだ。

白石さんが3年間の世界一周旅行をした時に出会った世界中の変なおじさんを取材した一冊がこれ。

世界のへんなおじさん

世界のへんなおじさん

世界にはいろんな人がいるんだなと思わされる一冊です。
一話が短いので、一回のトイレで読むのに最適という人もいました。

白石あづささんのブログです。http://www.hennaojisan.com/

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あじのづけ

今日の昼食は、事務所でいただいた。
私ともう一人の事務所スタッフの女性と。
キムチの豆腐いためと、みそ汁と、アジのづけがおかず。
このアジが、おいしかった。
鴨川に来て最も驚いたのは売っている魚がおいしいこと。
大阪にいた時は、安いスーパーの刺身しか買わなかったので当然ではあるが、
ここいらではスーパーで買った刺身でもまぁまぁ食べられる。
しかも今回は、魚屋さんで買った物!
アジと言うと、鰯と並んで大衆魚といわれる魚であるが、
大衆魚でも何でもよい、とにかくおいしい。
東京でも、それなりの店に行かないとこれだけのアジは食べられないだろう。
マグロよりおいしいというと語弊があるけど、
今日のアジはさっぱりしていて、どんどんご飯が進んでしまう危険な味だった。
さぁ、元気になったところで、この後の深夜コースに突入。
木更津市長選、市議補選の投開票日です。

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忙しいとは心を亡くすこと。

この言葉を初めて言われたのは学生時代のことだったろうか。
これを言われて、忙しがっている自分に気がついた。
まぁ、実際やるべきことはたくさんあって、忙しいのは事実なんだけど。
「忙しいhigh」という状態に陥りがち。
だから、本当はいけないのかもしれないけど、
休みの日は、仕事のことは一切考えないようにしているし、考えたくない。
完全にゼロにしないと、また頑張れないような気がしているからだ。
同僚に甘えているから、こんなことが言えるのかもしれないが。
休みの日は、畑をやって、妻の用事をやって、子どもたちと遊んで。といった一日。
本が読みたいな、とも思うが、妻子と過ごす時間もほんのわずかなのだから、いたしかたない。
なんだかんだいって、元気にはやっているのですが。
心が休まることがない。

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木更津にて

ひたすら応援活動やっております。
昼ごはんは、中後事務所、金子事務所の秘書さんたちと
選挙事務所近くのラーメン屋に行きました。
なかなか、美味です。
また、一人でたべるより大勢で食べる食事のほうが、
楽しいし、おいしい。
まぁ、ラーメンは好きだが、ラーメンについて語れるほどうんちくはないが。
とにかく、今日は20時まで夕立ち(雨じゃないよ、立って手を振ってるんだよ。)
選挙戦も大詰めだ。

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歴史の流れの中で

昼から外回りなので、午前中はファミレスで仕事。
外は雨が降っていて、寒い。
こんな日に街を歩くのは辛いが、それも仕事であると自戒。

さて、この本。

世界史

世界史

1971年発売の初版を購入したので、現在のものとはだいぶ違っているのだろうが、
大筋の理解には大差はないだろう。

自分が今ここに生かされ、生きていることを不思議に思うことがある。
毎日食べて、働いて、寝て、たまに子供と遊んでという生活。
なぜ働くのか?ということにもかかわるのは、
なぜ生きるのか?という問題。
「人は、幸福になるために生きているのです」
という言葉は、生きる喜びにつながるだろうが、
生きる意味を見いだせるものではないだろう。

大概のところで考えることをやめ、目前のやるべきことを一つ一つ片付けていこうと
仕事モードになってしまうのだ。
深く考えずにすむのなら、そのほうがいいのかもしれない。

現在の仕事は、待機時間というものがあって、勤務時間が膨大に長い。
もちろん、就業時間が決まっているわけではない。
給与が高いとは言っても、べらぼうに高いわけでもない。

時間を無駄にしない暮らし方をしようと思ってipodに講演録を入れてみるも、
それもいつまでも聞けるものでもない。

そうこう考えていると、近視眼的にしか物事を見られなくなっている自分に気づくのだ。
司馬遼太郎が昔言っていた「鳥瞰的に物事を見る」ことができるようになるために、私は歴史書を読むのだ。
概説書も読むが、古典がもっと好きだ。
すべてわかるわけでもないけど、過去において真剣に物事を考えた人々の文章を読むことが
今日を生きる自分に響くことがあるのだ。

すべてを納得して自分の人生を生きているわけではない。
しかし、内省を重ねながら自分を成長させていくしかない。
生きる意味を考えながら、今日一日を全うすることからしか明日は生まれない。

2杯めのコーヒーを飲みに行こう。

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スウィートスプリング

というミカンがあるそうだ。
オレンジファーム安田さんhttp://ww7.tiki.ne.jp/~yasuda/syouhinnsyoukai.htmから議員が購入したもの。
青くても食べられるミカンなんだって!
届いたものは、樹で熟したものなので黄色くなっていた物だったのだけど。
皮が固いので、輪切りにして食べるとよいとのメモが入っていた。
内袋が少しかたいが、果肉は甘くておいしい。
いろんな果物があるのだなぁ。
一口に「農家」とは言っても、その内容は様々で一面的にとらえることはできない。

私も、伊勢平野での農業の体験があったからこそ、鴨川での中山間地農業にしびれ、可能性を見出せたのかもしれない。
自分の経験をどう活かすかは、自分にかかっているものなのだと思う。

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わからないものを

ちょっと今日は恥ずかしい話なのだが。
ドラッカーの訳者として名高い上田惇生さんの言葉の中に、
「わからないものをわからないままで、自分の前を通すな」という言葉がある。
自分がよくわからないものをそのまま通り過ごして人に渡すな、という意味で使っていた。

これは、私の悪い癖なのである。
一知半解と言おうか、ちょっときいただけで自分なりに分かったつもりになり、
そのまま仕事を進めようとしてしまう。

「出たものをそのまま受け入れる」という考えが強すぎるのか、
他人のすることに対する批判精神がないのか、食い付きが足りないというのか、
いまいちこの考え方の癖が問題を起こしている。

例えば、今日書いていた政策提言は別の人が書いたものなのだが、
「言ってることがよくわからんな」と思っても、
「自分より目上の人の書いたものだし、最低限の語尾のおかしさのみ直しておけばよいか」
といった気持でそのまま最終チェックに回してしまった。
幸いなことに、最終チェックを見てくれた人は自分もフリーでライターもしていることから、
するどくチェックを入れてきた。
そのチェックは、多くの部分は自分が疑問として持っていたにもかかわらず、
ある意味「まぁいいか」という気持ちで流してしまっていたところだったのだ。

誰に叱られたわけでもないのだけど、今日は自分の仕事のやり方のまずさが改めて明らかになったこともあり、
本当に恥ずかしい思いをした。

考えてみれば、今日の農水省、厚生省からのレクチャーも、最低限のレクチャーは受けることができたのだが、
地元の農家さんの話をもっときちんと聞いて、きちんと聞いてということはつまり問題点と、どのようにしてほしいのかという要望をしっかり聞くことだと思うのだが、そうしていればもっと充実したレクになったと思うのだ。

これは誰のせいでもなく、ひとえに私自身に起因する問題。
冒頭の言葉は、もうずいぶん前に聞いた言葉なのに、
今日立て続けにこれにかかわる問題が起きたのだ。

恥ずかしいが、今後の取り組みが見えた一日であった。
(勝手に自己満足しているが…)

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就職が、できない

大学生の内定率が80%だとのこと。
単純に考えれば、現在の失業率5%の中で、新卒の学生の失業率が20%だということか。
夢を持って社会に出る学生たちにとっては、大変なことだろう。
実は私は、恥ずかしながら就職活動をしたことがない。
私が卒業したのは90年代後半で、超就職氷河期であり、同期の学生は100社以上面接を受けていた。
私は、司法浪人になるつもりだったので、それを横目に見ながら勉学に励んでいたのだ。
司法浪人の時代は、「司法試験に落ちると、つぶしがきかない」と言われ続けた。確かにその通り、27歳にもなって就職したことがない人が一般企業に就職するのはほぼ不可能に近い。
そういう意味では自業自得ながら私はロストジェネレーション
今現在は、何とか仕事ができているものの、同年代の正社員に比べれば驚くべき年収の低さであろう。
前職の場合は、自分のやりたい仕事をやらせてもらっていたこともあったので後悔はないものの、賃金レベルとしては30代2人子もちの収入としては低いほうだっただろう。
自分のやりたいことをやる、というのはよほど幸運な人なのかもしれない。
考えてみれば、今の私の職業も不安定。
いつまで続くか分からないし、次があるかもわからない。
前職にはもう戻る場所はないといわれているし、この先を考えると不安になるときもある。
しかし、今、私には働く場所があって、この職場はとても珍しい職場。
どう転んでも無駄にはならないだろう。
でもきっと、通常ルートで、私が企業に就職することは無理だろう。
もし、就職が決まらない学生にアドバイスできるとすれば、バイトでもなんでも、先を見据えつつ今の職場、環境に全力を尽くせということだと思う。
結局のところ、私が生きて、働けるのは、私の周りの人が声をかけてくれて、引き上げてくれたからだ。
いつか私も、そういう人間になりたい。

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