旧友再会

数えてみれば、もう10数年ぶりの再会だった。
それなのに、違和感が、ない。
昨日別れたみたいな雰囲気であった。

あの時間を同じ場所で過ごしたということは、
時が過ぎたからといって変わるものではないのだろう。
どこかで記憶に改変は加えられたとしても。

10年が過ぎる中で、それぞれの取り組みが聞けて、
本当に楽しかった。
モンゴル火鍋というのも、なかなか新しくておいしかった。
辛い汁は本当に辛くて、辛い物好きな私でさえ食べることができなかった。
馬乳酒は、モンゴルで飲むものそのままではない可能性が高いのだけど、
乳酸発酵の醸し出す香りがたまらなくて、意外に甘かった。
少量の割に、値段が高くて驚いたが。

しばし仕事を忘れたひと時だった。
いやぁ、忘れてはいけないのだけど。

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一日

車から手を振り、
自転車に乗って手を振り、
いろんな人に挨拶して、
にっこり笑って、
「ご丁寧に」
と人に言われ、
風の強いなか歩きまわる。
地道な作業だが、
誰もがやるものだ。
それを仕事でやると、
なんだか変な感じ。
何も生み出していないのに、
わらわらと組織力で動くのだ。
それも政治。
政治は、数なのだ。

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歴史の語られ方

鴨川に帰る前、八重洲地下街で一冊の本を買った。

増補〈歴史〉はいかに語られるか 1930年代「国民の物語」批判 (ちくま学芸文庫)

増補〈歴史〉はいかに語られるか 1930年代「国民の物語」批判 (ちくま学芸文庫)

歴史をどのように語るのかということに関心がある。
今さまざまなところで語られている「歴史」というものが、
結局は自説を補強するために資料として使われていることが
多いような気がしているからだ。
つまり、歴史とは何なのか、思い思いに解釈できるものなのか?ということ。
この考えを突き詰めると、歴史とは解釈を許さない客観的なものという意見になりかねないが、
別にそこまで突き詰める気はない。ただ、安易に語りたくないな、というところだ。

本書では、島崎藤村「夜明け前」、火野葦兵、林芙美子などの作品を中心に、歴史がいかに語られていくかに着目する。私が本書を取った一番の原因は、小川正子「小島の春」が検討対象になっていたからだ。
昭和初期に爆発的ベストセラーになった本書は、現在ではほとんど忘れられているも、ハンセン病について関心を持った者には名前くらいは触れたことのある本である。
私は当時、西宮のブックオフで偶然見つけて購入した。

小島の春は、若い女医が、無らい県運動の推進のために中国地方の産地、島部をあちこち訪ね歩き、後援会と診察をしながら啓もう活動を行っている様子を述べたものである。

(ああ、もっと書きたいが今はこれまで・・・)

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農文協シンポ。

もうすぐバスに乗り、東京へ向かう。
わざわざ行くのだ、学びとろう。
地域活性化活動をどう盛り上げ、持続させてゆくのか。
これが今大事なところだ。
仕事との矛盾をどう克服するかも課題だな。

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安曇野

安曇野 全5巻セット限定復刊

安曇野 全5巻セット限定復刊

という本がある。

私は古本で買った。5巻本の大部な本だ。
新宿中村屋を開いた相馬愛蔵と良(黒光)の家族を中心に、
明治から昭和までの歴史を描いている。
鶴見俊輔氏の本か何かでこの作品の存在を知り、
矢も盾もたまらず購入したのは1年以上前だったか。
時間がない中、トイレにおいてその都度読み進めているとようやく4巻も終わりに近づいてきた。
淡々と進行していく物語の中で異彩を放つのは石川三四郎のシーンである。
石川三四郎といえば日本で最初のアナーキストといわれている人物であるが、
昭和初期には「ディナミック」という個人雑誌を発刊して、農村で暮らしていた人物だ。
その中に出てくる「デモクラシーとは、民主主義ではなく、土民生活と訳すべきである」という言葉が印象的。
大地に根差した思想でないと、狂い始めたら止まらないということだろうか。
石川三四郎についてはこの後も書くことがあるだろうと思うが、今日は時間もないので備忘的に記す。

さて、新宿中村屋
近現代史が好きな人ならば、インド独立運動の闘士ラス・ビハリ・ボースをかくまった店で、
ボースが教えたカレーが今でも店で食べられるといったようなことは知っているだろう。
いつか、そのカレーが食べたい、と思っている。
先日店の近くまで行ったが、カレー一杯1470円。
昼飯にこの金額は、まだきつい。
誰かと一緒ならば許せるが、一人でたべるはちと贅沢。
いつかは行きたい。

中村屋サロンhttp://www.nakamuraya.co.jp/salon/index.html
これ、すごい。
今日はじめてみた。安曇野をなおさら楽しめるね、これ。
現社長は相馬一族ではないのだね。

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知足庵から至道庵へ

知足庵として出発しようと思ったのだが、すでに知足庵というのは存在していることを知らなかった。迂闊。
至道庵として再出発しようと思ったが、調べてみると同じものが江戸時代に存在していたらしい。至道無難という有名な禅僧があんだ庵のことを言うようだ。なんだか大変な名前をつけてしまったが、せっかく自分で考えた(と思っていた)名称なので、しばらくこれで行こうと思う。目指すは徒然草か、方丈記

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twitterに助けられる

昨日から、iphoneから音が出なかったので、困っていた。
ちょっと調べてもわからなかったので、twitterにつぶやいてみたところ、すぐに返答をもらった。
その人のやり方を試しても、実はダメで、結局は再起動させると音が復帰したのだった。
でも、何気ないつぶやきにちゃんと反応してくれる人がいて、それがすごくうれしかった。
webでつながるとか昔からいろいろ言われているけど、私にとっては初めての体験。
とてもうれしかったので、思わずご報告。

それにしても、のどの痛みは治まったものの、頭痛がやまない。帰りの車の運転が怖いなぁ。

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思惑の違い

何か物事を起こす時は、それぞれに思惑があるのが普通だ。
その思惑が生々しいのか、神々しいかは別として。
目的が同じでも、目的に至る方法が違ったり。
なんとも、互いの思惑の真ん中を取ってドン!というわけにもいかない。
自分の思惑を優先させながらも、全体を考えて調整、という方向で行くしかあるまい。

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風邪の続き

だめだ。
今日何とか東京まで来たが、引き続き熱っぽい。
今夜の早稲田の米プロジェクトのメンバーの話も、ろくにできないかもしれない。
体調管理が不十分であった。
しかし、今日は一つ驚いたことがあった。
すごく古い友人が、職場を訪ねてくれた。
お気に入りのカレー屋でカレーを食べ、来週何人かで会う約束をした。
楽しみ。
風邪をみなにうつすといけないので、売店でマスクを買ったら、2枚入りで420円!
高いです…

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