いざというときに

助けてくれる仲間の存在があるのは、なんてうれしいことだろう。
日々何もなく、無事に暮らしていても、ある日降ってわいたように襲ってくる出来事がある。
そんなとき、孤独に暮らしていれば、誰にも頼ることができず、お金で解決するか、行政に頼るしかなくなってしまう。
今日、そんな話が二つあった。

驚天動地というほど大げさではないが、一つは一家族では如何ともしがたい作業を遅くとも年明けまでには完成させないといけないという事態。そこに追い込まれてしまったことに、その家族には何の問題もないのだが、その問題を放置していてはその家族にとって非常に暮らしにくくなってしまう。
そこで、作業の依頼があったというわけ。それを見たとき、なにもためらうことなく、「やりたい」と思った。「手伝ってあげよう」「やってあげよう」というよりか、少し不謹慎だが「あ、それおもしろそうだな」と思ってしまった。
無理難題を、仲間の力で解決できたらすっきりする気がして、そんなに簡単な作業ではないけれど、なんとかやれるんではないかな、と思ったのだ。
むろん、私一人でやるわけではなく、他にも一緒にやる仲間がいるわけで。
みんなでわいわいやれるだけのつながりを、時間をかけて作ってきたんだなと思ってとてもうれしくなってしまった。
この件に関しては追々報告していくことになるだろう。

後一つ。
こちらは稲刈りなんだけど、いつもはコンバインでさっと刈る田がぬかるんで、
バインダーを入れることもできないんだという相談。
見に行ったら、バインダーはたしかにはまってしまいそうな予感。
そこで、手刈りのお手伝いに行くことにした。
たまたま、明日は時間があけられるので、ちょうどよかった。
いつもお世話になっている方のお手伝いなので、早めに寝て明日がんばらないと。

落語の帯灸という噺で「困っているときは相身互い、お互い様やがな」というシーンがあるのだが、
いい言葉だな、と思って大切にしている。
この噺自体はこの言葉のようにスムーズに助け合うわけではないのだけど、
昔の人はこんな言葉を普通に使っていたんだな、と思うと、
今でも十分使える環境があるよ、と言いたくなる。

農村でのくらしは、相身互い、お互い様なのだ。

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大学生の視察受け入れ

自然王国に、視察の依頼があった。
どこかの自治体か?と思ったら、長野大学の1年生と2年生4名。
なんでも、ゼミで里山資源を活かした地域活性化活動を行っているとかで、
自然王国の活動を参考にできないか、とはるばる長野県上田市からやってきてくれたのだ。
ここ何年か、若い人たちが地域活性化に積極的であることに驚く。

私事で恐縮だが、私の20代前半は、韓国でのハンセン病定着村ワークキャンプとそれにまつわる活動、司法試験受験勉強に邁進しており、地域活性化なんて、考えたこともなかった。
農を通した都市住民との交流などは、自然王国に来た29歳の頃に初めて関心を持ったくらい。

むろんそれは私の歩んだ道なだけで、別に後悔はないのだが、20歳やそこらで地域の維持発展に関心を持つということは、それだけ社会性が身についていることなのではないかと思うのだ。
自然王国の活動が彼らの参考になれば、と思い自然王国の周りの環境、これまでの活動の歴史、今の活動、今後目指すことなどを話した。

そのなかで意識的に話したことは、自然王国のスタッフ一人一人が個人的に地元の集落とつきあっているということ。
つまり、「自然王国とはこういう考えの、こういう集団です!」と言って歩くよりも、地域のなかで働いて、その姿を見てもらうことで何かインパクトを与えられないか、と考えているということ。
農村部ではおそらく、理屈を言うのではなく、具体的なものを示すことが最も大切なのではないかと考えている。
これはまだまだ私も取り組んでいるところなのだが。

週末には早稲田大学大隈塾のゼミ生が稲刈りに訪れる。
彼らと話をするのも楽しみだな。

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手間がかかることが共同性を生む

朝から少し曇っていたが、久々に家で作業できるので、
みんなで田植えと稲刈りをした田んぼの脱穀作業を行った。
近くに住んでいる仲間の家にあるハーベスター(脱穀機)をお借りしての作業。
彼のハーベスターは、引っ越してきて田んぼをやっている仲間で基金を作って維持管理をしているそうだ。
引っ越してきた人たちは、いろんなお米の品種を育てたり、時期がまちまちだったり、
そもそも田圃の面積が狭く、一般の乾燥機にかけられる最低容量を満たさない収量であることが多い。だから、一人一人機械を持つのではなく、ある意味、機械をシェアして使っていくことが結果的にコストパフォーマンスがよいことになる。
この地域では、というか多くの地域で大型農業機械を個人で所有している人が多いが、このようにシェアしていくことで、結果的にみんなが助かることになっていくんだと思う。
全てが理想的にうまくいくわけではないけど、仕組みを作っていくことで共有から総有へうつっていければいいと考えている。
共有というのは、共有持ち分があることがおおく、総有とは共有持ち分がないという意味で考えたい。
収量的には、本当に少なくて、籾摺りをしたら30kgを切ってしまうのではないかというほど。
でも、立派に実ってくれて、稲と大地と空気と太陽と、全てのものに感謝するしかない。

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それにしても、今年初めて種まきからもみすりまでの一連の作業を行って、
稲作って本当に大変だと思った。
私の認識としては、昔はもっと大変だったんだろうが、今は機械も入ってずいぶん楽になったんだろうとすら思っていたのだ。
たしかに、機械が入ってとんでもなく便利になっているが、
その分機械の性能に合わせた作業をしていかなければならない。
私の場合でも、自分が悪いのだが、除草剤を使わずに稲作をしたい!と思ってやりはじめたが
おいつかず、結局草を多く生やしてしまった。
その結果、コンバインを何度も止めてしまうという失敗を犯すことになった。
ほかにも、野菜と違って稲作は栽培から食物にするまでに多くの過程を経ることになり、
そのなかで誰かの助けを借りなければならないことも多い。
これは煩わしいこともあるのだけど、稲作に多くの人手が言ったからこそ形成されてきた日本の風土というのもあるのだろうと感じた。
手間を掛け合って、共同性を作ってきた歴史というものがあるのだろう。

来年は、どんな働きにしようか。
今から、それを考えている。

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今日脱穀したもみを、何日か天日乾燥させてから、
もみすりを行う。
コンバインで刈ると、刈ったそばから脱穀しすぐ乾燥させるが、
手刈りの場合は、刈った後一週間ほど掛け干しし、それから脱穀して、
量が少なければ天日乾燥させて、ようやくもみすり、玄米という段取りになる。
大変だけど、おもしろい。

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くりかえすくらしのなかで

野菜発送作業を終えた後は、残った田んぼの稲刈りを行う。
今日は、ミツヲ氏、がみちゃん、私の三人。
がみちゃんがバインダーで刈る。

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今日刈った田んぼは、せっかく乾いていたのにここ数日の雨で、
一部はすっかり水につかってしまった。
手で刈るよりもずっと早いので、深いところには板を渡して、
なんとかだましだましバインダーで刈ってゆく。
午前中2時間、午後の2時間で刈り終える。

その後は、陰干し用の竹立て。
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王国は、いつまでこの陰干しを続けられるだろうか。
王国に来て、一緒に作業してくれる人がいる限りは、続けていきたい。
大山地区でも、陰干しをする人は本当に少なくなってしまっているから。
現に私も、稲刈り体験をした一枚だけ陰干しで、
後は全部コンバインで刈ってしまうのだから。

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私は夜の仕事があるため、最後までやりきることができなかった。
夕方4時半頃の写真。
土曜日から月曜日までの3日間かかったけど、これで一つの区切りとなる。

毎年同じ作業をくりかえしているのだが、
このくりかえしこそが農の営みに他ならない。
去年と同じように、今年もやれることこそありがたいことなのだ。

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自然王国の稲刈り、ほぼ終了。

昨夜遅くから雨。
朝も雨。
9時頃までは小雨程度だったが、
10時近くから土砂降りに。
バインダーで稲刈りをしていたミツヲ代表も一度避難。
しかし!
ありがたいことに10時を少し過ぎた当たりに雨がやみ、
それからは晴れ間も見えてきた。

自然王国のイベントはしばらく前から
土曜日に農作業を行って、翌日曜日は朝食を食べてから自由解散と
いう形をとっている。
だけど、今回の稲刈りに関しては、土曜日だけでは終わらないという読みもあり、
有志で残っていただいて稲刈りをやっていただいた。
みなさん二日目だったこともあり、それぞれの動きを把握して、
適切に稲刈りを進めていた。
段々慣れてくると「体験」から「仕事」に身体のモードが移り変わるような気がする。
人間は、自分の身体を目の前のことに適応させる能力があるのだと感じられる。
12時半前までかかって、約1反歩の稲刈りを終えた。

そして、食事は王国内にあるcafe Enで。
カフェスタッフがみちゃんが釣り上げたカワハギの刺身、肝吸いをいただいたあと、
En特製ナポリタンを食した。
会員の皆さんにご満足してもらえればうれしいのだけど。

自然王国の活動は、藤本敏夫氏が存命だった頃から数えると30年以上、
現代表の藤本ミツヲが自然王国に来てから10年続いている。
ちなみに、私が来てから9年だ。

その年代ごとに、適した活動があるのではないか、と皆で考えている。
私は、自分の活動も進めながら、私にすばらしい環境をもたらしてくれた自然王国の活動もなお充実させてゆきたい。

藤本さんが描いた頃の自然王国、そしてミツヲさん、yaeちゃんを中心として描いていく自然王国の形があるだろう。
それに関われるって、結構面白いこと。
生きることは、おもしろいこと。

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(稲刈りは、残すところあとわずか。一番上の大きな田を残すのみです)

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農的交流のススメ

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手刈り中心で進めているが、どうしても追いつかないところはバインダーで。
参加者の男の子が、興味深そうにずっとついてきている。

鴨川自然王国で、稲刈りイベントの受け入れをやってきた。
細かいレポートは後日に譲るが、何と言ってもこのイベントの醍醐味は、
いろんな人に会えることだ。
何度も来てくださる会員さんは、昔なじみだったかのような気さえする。
初めて来てくださる方とも、話をすることで少しずつその人となりを知ることができる。
当たり前のことだが、みんなそれぞれの暮らしがあって、その中から時間を作って
自然王国に来てくれるのだ。
日々の人生観、何に関心を持って暮らしているのかなどをききながら、
その話をどのように聞いて、自然王国での働きにいかしていくのかを考える。
農村で暮らしていると、ほとんど決まった人と、ほぼ決まったような会話をすることが多い。
でも、このようなイベントがあることで、自分が普段抱えている問題意識などを吐露し、
それに対する反応により、また新しい考え方が生まれるのだ。
それは、異なったものとものがぶつかって発生するスパークのようだ。
このようなご縁をいただけることが、素直にありがたく感じられる。
で、どうするのかっていうことだけどね。

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自給力を取り戻す

これからの活動の軸に、「自給力を取り戻す」ことを据えたい。
それは、誰かのためだけではなく、まずは自分のため、家族のため、周りの人のため。
今から9年前に鴨川に引っ越してきたときは、
自給のことなんて、ほとんど考えていなかった。
どうも、こちらに引っ越してくる人は「自給自足がしたいんです」という人が多くて、
なんだそりゃ?という驚きもあり、いろいろと考え始めた。

日本の国の自給率はカロリーベースで39%。
金額ベースではかるべきという議論もあるが、それはさておき、
生命維持の根幹である食を他国にほとんど任せきりというのは、正常ではない。

しかし、「自給率を上げよう!」という運動をするよりは、
私はまず、自分の自給力を上げていく道を選びたい。
なぜなら、本来自給というのは、その言葉通りで、まず自分が生きていけるか、ということが一番根本にあるはずだからだ。
自分の力でできることが積み重なっていけば、それを人に伝えることもできるし、
さらに大きく展開していけることにもなる。
それを方法論にまで高めていけば、政策にも関わることになるかもしれない。

また、「自給力をつける」のではなく、「自給力を取り戻す」のだと考えている。
ちょっとずれているかもしれないけど、人は本来「自給できるイデア」を持っていると仮想してみる。
本来できたはずのものが、技術の発展に伴い、使わなくなっていっただけなのではないか。
とすれば、それを様々な活動を通じて取り戻すことができるのではないか、ということ。
たとえば農作業体験が喜ばれるかというと、おそらく人間の生命活動の原点に触れた気がするからに他ならないだろう。
農家民泊で来ている子供たちの笑顔は、作られた笑顔ではない本当の気持ちが表れていたのだもの。

自分自身、今年初めて稲作を終えた。
たくさんの人の支えを得ながらだけれども、倉庫に入った米を眺めるたびに、
えも言われぬ感情がわき上がってくる。
これで一年生きていけるなぁ、ということだ。

米があれば、今日の飯には困らない。
米食って、踏ん張ろう。

「自給力を取り戻すプロジェクト」始めます。
アイディア募集します。
また、だんだんに私たちが考えていることも発表します。

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議論が具体的になってきた。

塾の仕事から22時頃に帰ってきて、
仲間の家に集まって0時過ぎまでミーティングをしてきた。
議題は、下半期の活動と、来年度に向けてどのように事業を展開するかについて。
振り返ってみれば、鴨川に引っ越してきて以来、
何度このような会議、「どうすれば地域が元気になるか」
「どのようにして地域に仕事を作り出すか」について話しあってきた。
いつもいろんなアイディアが出て、それが実現できれば楽しいだろう、という話になるのだけど、
あと一歩の踏み出し、
「じゃ、それいつやるの?」
「誰がやるの?」
という2点でいつもとどまってしまっていた。
しかし、今は違う。
「今やれることは何だろうか。どこに向かって進んでいくべきだろうか。」
「誰が、どのようにやっていこうか」
と、少しずつではあるが、具体的な内容と日程を描くことができ始めた。
それは、一人一人がこの地域に暮らして年月を経てきたこと、
やりたいこと、やるべきことの形が少しずつ見えてきたことが大きいのだと思う。
「首藤さん、あなたそんな生活で食っていけてるんですか?」と
聞かれることしばしばであるが、
はい、なんとか食ってます。それで仕事作っていく算段をしてます、と答えるしかない。
小さくても明らかな形を少しずつ作っていくことで、道ができてくる、そう信じている。

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新米をいただく

昨日稲刈りを終わらせておいて、よかった。
昨夜から鴨川でも大雨が降り出し、もし昨日やっていなければ、
どんなにどんよりした気分になっていただろうか。
O師匠のお声かけがなければ、あきらめてやっていなかったかもしれない。
助けてくれる人がいて、本当によかった。

今朝は、籾摺り。
大きな乾燥機からベルトコンベアーでもみすり機にもみが運ばれる。
地元の営農組合に復帰できて助かった。
こんな機械、個人で入れるような考えも余裕もない。

どんどん玄米が米袋に入ってゆく。
ここで収量をいうのは恥ずかしいのだが、
2反強で13俵半。
反収5俵ほど。
草を生やしてしまい、米ぬかを100キロほどしか入れなかったのもあってやむを得ないのだが、
やはり収量が少ないと、残念な気がする。
つまり、もっととれる田なのに、自分の管理がよくないせいで収量が減ってしまったと思うのだ。
これは来年以降の課題としよう。

夜は、新米をいただいた。
初めて自分がメインで関わってとれたお米。
亡くなった義祖父が田をやめて以来、10数年ぶりに我が家で稲作を行ったのだ。
「復田」というほどかっこいいものではないが、
自分でやり始めたということは自分にとって納得できること。

そんな思いを抱きながら、お米を口に入れると、
ほのかに甘さを感じ、来年も頑張ろうと思いを新たにしたのだ。
少しだけですが、お分けするお米もあります。
玄米でも白米でも、お送りできますよ。

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農家一年生の稲刈り終了。

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今朝、急に稲刈りをやることに決定した。
次女とウォーキングをやっている途中にO師匠に会い、
「やるなら今日だぞ」
と言われ、予定していた親戚の稲刈り手伝いを夕方に先送りして、
自分の家の稲刈りをやることにした。

コンバインならすいすい〜!
といくはずだが、我が田には草がたくさん生えている。
田は十分乾燥しているので、コンバインがはまることはないが、
草が多い田では10メートルおきに止まって、巻き込んだ草を取らねばならない。
「このままじゃコンバインで刈れないから、バインダーを誰かから借りて、ぼちぼちやるしかないかな」と師匠。
いや、しかし!
明日雨が降るかもしれないし、このままでは稲刈りが来週になってしまう、というわけで
なんとかだましだまし稲刈りをやってもらうことに。
実は、あまりに田の状況がよくないので、コンバインの運転は全部師匠に任せきり。
私は、回り仕事ということで、灼熱の中、田を走り回った。
飲んだお茶の量は、2、5リットル。
途中で、案の定チェーンに草が絡まり、コンバインのベルトが溶けて切れてしまい、
あわてて近くの農機具屋に買いにいく、というハプニングもありながら、
なんとかかんとか刈り終えることができた。

無農薬無化学肥料栽培に挑戦!
ということで、3反歩全部を無農薬にしたのだが、
思った以上に草の威力が強く、反省しきり。
栽培法を、よく考えなければならない。
でも、たくさんのトラブルがあったけど、稲刈りを迎えることができたことは、
素直にうれしい。
来年も頑張る。
来年はもっととれるようにとりくもう。

明日、籾摺りをやったら、玄米になる。
自給以上にとれる予定なので、お米のご案内をさせてもらうかもしれません。
よろしければ、ぜひ!

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