出アメリカ記

出アメリカ記

出アメリカ記

教育の自給自足。

この言葉に、新鮮な響きを感じた。兵庫県西宮市で育った私にとっては、少子化世代とは言われながらも小学校は4クラスあって、一学年は160人くらいはいるのが普通だった。ところが、鴨川に来ると、今年で廃校になる地元の小学校は、全校生徒が60人である。今後もますます減るだろうと言われている。
私は、ここに来たくて、こういう仕事がしたくて鴨川に暮らしているので何ら後悔はないのだが、子どもたちはたまたまここに生まれただけである。このままここに暮らしていると、教育面であまり充実させてやれないのではないだろうか?なんてことを考えてしまっていた。

著者は言う。
「教育には二面性がある。ひとつには個人が幸福に生きるために必要な知識と能力を学ぶことであり、もうひとつは社会が社会にとって必要な人材を社会のために育成する教育だ。」
私は、ひとつめの教育を重視したいと思うのだ。いい大学に入っていい会社や国家公務員になって、たくさんお金があっても、それが幸福とは言えないだろう。私は、子どもに幸福になってもらいたいと思うのだ。
幸福についても、ヒントになる言葉があった。
「豊かで忙しい生活は幸福とはいえない。幸福な生活とは、最小限の収入と最低限の支出の生活である。・・・幸福は、豊かであっても貧しくても実現できるだろう。それは経済的な条件で決まるわけではない。」
こう考えてみると、実は私の生活はすでに幸福な生活であった。
子どもの教育が心配、と思っているが、いま私が暮らしている場所は田んぼも畑もあって、空も広くて、虫もたくさんいる。私はやりたいことをやらせてもらって収入を得ている。それに変えられるものはないだろう。
子どもには、結局のところ何があっても生き抜ける力を身につけてほしいと思うのだ。生き抜ける力があれば、なんだって自分で、周りの人とも協力して切り開いてゆけるだろう。
そのためには、親である私たちができるだけ子供たちのそばにいてやること。親が充足感を持って暮らすことが、子どもの自己確認につながるような気もする。
田舎には何もない、といわれるけど何でも作りだせる余裕も存在している。日々の時間、人生を充足させて幸福な暮らしをしてゆきたい。

悩んでいる私に、道の一つが提示されたような気がしました。

経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか

経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか (平凡社ライブラリー)

経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか (平凡社ライブラリー)

「経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか」何んとも長いタイトルである。タイトルを見た途端に、「当たり前だ。経済成長がなければ私たちは豊かになれない。だって、おカネがないと生きてゆけないじゃないか。」という反応が「常識」的であろう。「いや、経済成長がなくても私たちは豊かになれるよ」という人もいるだろうが、そんな人たちは理想主義者だと言われてしまうかもしれない。

でも、ダグラス氏は言うのだ。
『「常識」は必ず変わる』

たとえば、私の現場に近いところでいえば、1960年代の農業基本法は大規模農業を推進し、2000年の新基本法では農村の役割を見直し、現在も大規模農業化を推進しつつも、有機農業推進法ができたり、都市農村交流が農水省の政策になったり、忘れようとしていた農村の存在が大きくクローズアップされているのだ。今、都市農村交流事業は「常識」になっているではないか。

誰でも考えてみればわかるとおり、経済発展は人間の幸福をもたらさない。世界第2位の経済大国のわが国で、年間の自殺者数は3万人を超え、非正規労働者は解雇され路頭に迷っている。
ダグラス氏の言葉を借りれば、『経済発展は貧富の差をなくすことではなくて、貧困を利益が取れるかたちに作り直す「貧困の合理化」の構造』である。最近報道されている「貧困ビジネス」などはこの最先端を行っているものだと思う。

昨年からの金融危機を見ていても、経済発展が永続的に続くことはない。では、どうすればよいのか。
『経済成長を続けて豊かな社会を求めるのではなく、経済成長なしで、ゼロ成長のままどうやって豊かな社会をつくるか、という別の問題提起、問題の設定に変える…ゼロになったことを歴史的なきっかけにする』というのだ。
この考えは、豊かさの質を変えてゆくことにつながっていく。
競争社会を支える基本的な感情は恐怖である。おカネがなければ生きてゆけないんじゃないか、病気でも無理して働かないと解雇されるんじゃないかなどの恐怖である。この恐怖を鎮めるためには、ある程度安定した社会的措置が必要である。
その社会的措置をとるためにも、「発展」という言葉に変えて「対抗発展」という言葉が必要だという。
「対抗発展」とは、1つには、減らす発展・・・エネルギー消費を減らしたり、経済活動に費やす時間を減らしたりということ、もう1つは、経済以外のものを発展させる・・・経済活動以外の人間の活動を発展させる、市場以外のあらゆる楽しみ、文化、行動などを発展させる、という二つの意味を持つ。
もっと簡単にいえば、対抗発展は、快楽主義である。消費による快楽ではなく、われわれ人間の快楽、楽しさ、幸福、幸せを感じる能力、それらを発展させる快楽主義である。物を少しずつ減らして、その代わり、物がなくても平気な人間になる。つまり、減らすことが逆に人間の能力を発展させるのである。

この考えに、共感するところがある。
鴨川に来て以来、自分の手でやることが少しずつ増えてきた。半分仕事だけれども、ついこの前はみそづくりをしたり、銀杏の木の選定をしたり、私は昔よりも自分でできることが徐々にではあるが増えてきている。
手仕事の実感、自分にもできるという感覚は実存の感覚を増すのである。

一足飛びに状況は変わらなくても、変えるものとして現実を認識することこそがたゆまぬあゆみの原動力となるのだ。

幕末史

幕末史

幕末史

年末の銀座で購入。日本史の本なら持っているし、幕末をテーマにした小説も読んできた。歴史の流れを知ったつもりでいたのだが、著者の「薩長史観に立たない観方」が気になり思い切って購入した。正月から合間を見つけて読んできて、昨日は後半部4分の1を一気読みした。語り口調なので読みやすいという面が強調されがちだが、歴史の転換点と思われるものが明示されているのでポイントを押さえた読み方が可能である。
薩長史観に立たない」というその中身は、歴史を知っている人には当たり前なのだろうけど、「1865年(慶応元年)10月5日において、朝廷が条約の全面勅許を認めた。日本の国策が一致したのだから、ここから開国に向かって国づくりを進めてもよかった」という指摘である。このあと薩長同盟があり、大政奉還、鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争とどんどん混迷していくのだが、それはただ単に「徳川幕府が無能で、薩長が次代を見据えた行動をした」というわけでもなさそうなことに気づかされた。
歴史をどんな目で見るのかは本当に大切なことだ。一面的にみるのではなく、なるべく多面的に見ることで見えなかったものが見えてくるのだろう。なお、本書は幕末史と言いながら、明治10年(1877年)の西南戦争までの記述が含まれている。明治になっても新国家のビジョンが確定していなかったことの表れとして西南戦争までを述べたそうだ。
1853年のペリー来航から1878年大久保利通暗殺まで、25年で時代は全く変わってしまう。今の時代も、10年20年先にはどうなっているのかわからない。私が生まれて生きてきた30年にも、ひょっとしたら大きな転換があったのかもしれない。その転換が、徐々に現れてきているような気がする昨今である。

地方の品格

地方の品格―房日新聞「展望台」からのメッセージ

地方の品格―房日新聞「展望台」からのメッセージ

南房総には、房日新聞http://www.bonichi.com/という地域の新聞がある。ほとんどの人が一般紙と併読している新聞で、地域の行政の情報を知るには格好のメディアである。自然王国の活動もたまに載せてもらったりするのだが、そのときは地元の人から「房日に載っていたね」と声をかけられることもしばしば。で、その房日新聞に「展望台」という社説のような欄が一面にあり、本書はその展望台をまとめたものである。もっとも、展望台は、3人くらいで書いているらしいので、著者の分だけをまとめてあるものだ。
著者は、長年鴨川市役所職員として、セミナーハウスの誘致や合併事業など、企画畑に携わっていた人。そのせいもあってか、南房総光ファイバーの設置を呼び掛けたり、大山千枚田の活動を紹介したり、王国に昔いたちょうさん。の紹介をしたり、地域通貨についての話題もあり!と視野が広い文章である。ただ単に掛け声だけでなく、実際に物事を進めてきた人の目から見える地域を考えるきっかけになるだろう。
鴨川で田舎暮らしを考える人、元行政マンからみた南房総を知りたい人は必読です。

貧困のない世界を創る

貧困のない世界を創る

貧困のない世界を創る

著者は、2006年度ノーベル平和賞を受賞した人である。彼が総裁であるグラミン銀行は、マイクロクレジットという少額なローンを貧しい人(女性中心)に貸し出すことで起業させ、その女性が社会で生きていけるような仕組みを運営している銀行である。
名前だけ知っていても、この本を買おうと思わせたのはある人の「これからは貧困問題が大きなキーワードになりますよ」という言葉だ。
実は、1月20日に行われるこれまたバングラデシュのNGO”BRAC”を主宰するファズレ・アサン・アベッド氏の立教大学での講演http://www.rikkyo.ac.jp/feature/abed/にお誘いをいただいているのだ。
このアベッド氏の講演会にぜひとも参加しようと思っていて、しかし私はマイクロクレジットやアベッド氏の活動を全く知らない。その中で、ムハマド・ユヌスの著書を読めば、何か講演会の事前準備ができるかと思って、思い切って購入した。収入が低いので本を購入するのには熟慮が必要なのだが、結局は直感で買ってしまう癖はなくならない。
まだほんの少ししか読んでいないのだが、「これからは社会問題を解決することを目的とする企業が必要だ」という主張には驚いた。CSR(企業の社会的責任)という言葉だって、欧米から来た半ば偽善的な言葉のように聞こえていたが、社会問題の解決を目的とする企業が存在できるのか!と思うと大きな感動だ。
政府は、大きすぎて動けなくなり、利権に絡め取られる。NPOは、社会問題に対応したいのに、寄付集めなどで半分以上の時間をとられる。CSRは、99セントをもうけのために使い、免罪符のように1セントを使う経営者を止められない。では、なぜ社会企業(sosial business)は、社会問題を解決できるのか。それは、社会企業は投資家に一切利益を配当しないのだ。投下資本の回収はするが、それ以上の利益は求めない活動なのだ。利益を配当しない(=過度な営利追求はしない)ので、製品を高く売らなくてよいのだ。つまり高品質な栄養食品を安い金額で貧しい人に分けられる、ということだ。
いずれ、自然王国もこういう存在になりたい。というのも、慈善団体でもないし、営利追求団体でもないし、私たちは中途半端な存在なのか?と思っていた部分があるからだ。お金なんかいらない!という人が周りにいるのだけど、正直私は余裕を持って生きていけるだけのお金がほしい。お金のことを言うと、金の亡者だと言われてしまうのだが、社会企業として自然王国が成り立ってゆけば、それは結局地域の雇用も生みだすし、地域に必要とされる組織になることだろう。
本の内容と離れてしまったが、新しい気持ちを私に抱かせてくれた本だ。この本を読んで、それでアベッド氏の講演会に行こう。
ムハマド・ユヌスの自伝も読んでみたいが、逸る気持ちを今は抑えよう。

評伝宮崎滔天

評伝宮崎滔天

評伝宮崎滔天

を、とうとう購入した。逡巡を重ねたあげく、著者渡辺京二の方法を学びたい、宮崎滔天の生き様について知りたいという思いを抑えることをやめて注文した。昭和50年が初版で、2006年に新版が出ている。今の売れ筋の本とは違って、目次も大枠だし、見出しも小見出しもなく、たんたんと文章を連ねている。読んでいて静かに熱い気分になってくる不思議な本である。
宮崎滔天は、孫文に最も尊敬された日本人というキャッチコピーもつけられているほど中国革命成就に貢献した日本人なのだが、志は破れ浪曲師になり51歳で生を終える。学生時代に、三十三年の夢 (岩波文庫)を書店で必死に探して読んでみたが、当時は日本人が中国革命に「支那浪人」といわれながら参画していたとは知らず、アジア主義に対しても無知だったので、その本の意味も分からず、ただ宮崎滔天の熱情に浮かされるように読み流しただけだった。
渡辺京二は、

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

に出会ったことがきっかけで読み始めた。この人は、残された文献から様々な要素をくみ出して時代を浮き彫りにするのが得意なのか、読んでいると自分が明治始めにいたような気にさせる。その上、自分の主張もきちんと書き込んであり、文章読本としても力になる本だと思っている。
熱き思いを持って、静かに行動することを学びたい。

昭和史20年の教訓

昭和史 1926-1945

昭和史 1926-1945

を読み終えて、まとめとして書いてあったところを抜粋しておきたい。
本書は、昭和元年から20年までの歴史を扱っている。
その20年の教訓として、
1 国民的熱狂を作ってはいけない。その熱狂に流されてはいけない。
2 最大の危機において日本人は抽象的な観念論を非常に好み、具体的な理性的な方法をまったく検討しようとしない。
3 日本型のタコツボ社会における小集団主義の弊害
4 国際社会の中の日本の位置づけを客観的に把握していなかった(具体的には、ポツダム宣言の受諾が遺志の表明でしかなく、終戦はきちんと降伏文書の調印をしなければ完璧なものにならないという国際常識を理解していなかった)
5 何かことが起こったときに、対症療法的なすぐに成果を求める短兵急な発想。
最後のまとめとして、政治的指導者も軍事的指導者も、日本をリードしてきた人々は、根拠なき自己過信に陥っていたとある。

本書を読んで、「昭和史の全てがわかった」とするのは不十分だろうが、ひとつの指針とはなると思う。
先に引用した5つの教訓は、もう少しまとめてみるのと、調べてみるのが必要だろう。
有能な指導者ならば上の5つくらい全部理解しておいてもいいようなものなのだろうが、そう簡単にいかないのが人間の行動なのかもしれない。

しかも、上に挙げた5つは、そのまま現代の私たちにも当てはまりそうな気がする。
ここら辺もきちんと考えていかねばならないだろう。

ニッポンの仕事777

以前ブログで書いたhttp://d.hatena.ne.jp/shizenoukoku/20080722
の取材が、雑誌になりました。

(黄色い表紙で、目立ちます!)
コンビニにも置いてあります。なんと!地元中学校の前のコンビニにも
置いてありました。
私の言葉として、
「人の命も心も育てるのが農業。この仕事に不安は一切感じない」と目立つところに掲げてあります。
すごい。
自分じゃないみたい。
夏の暑い日の取材だったのでくたびれた格好をしています。
いつもか?
笑えるのは、前職「司法浪人」と書いてあるところ。
この雑誌は仕事を紹介する雑誌なので、当然弁護士の仕事も紹介されています。
そこで、「司法浪人」。
一見明らかに落伍者です。
でも、私もここに来て5年目。
司法試験をやっていたのは約7年。
もう少しで追い抜けそうです。
その先に何が見えるか?
もう見えています!
・・・と思いたい。
よろしければ、コンビニなどでごらん下されば嬉しいです。
また、この雑誌を読んでこのブログに来てくださった方、よろしければコメントをくださいね。
ありがとうございました。

遠い「山びこ」

遠い「山びこ」―無着成恭と教え子たちの四十年 (新潮文庫)

遠い「山びこ」―無着成恭と教え子たちの四十年 (新潮文庫)

私たちの世代でも名前だけは聞いたことのある「山びこ学校」の無着成恭(子ども電話相談室の回答者といった方がいいか?)と当時の教え子43人のその後を追ったルポルタージュです。
「山びこ学校」本体はまだ読んだことがない(現在注文中)のですが、本書に引用されている文章を読むと、戦後間もなくの時代の中山間地の農村の様子が伝わってきます。舞台は山元村という、山形県にある村です。
当時は養蚕、林業、わずかな田んぼという生産体系だったようです。
11月から3月は雪に閉ざされる過酷な環境。
子どもたちも、朝四時から夜の11時、12時まで家の手伝いをする状況です。
明日の米も食えない、といったような文章が次々現れます。
さらに驚いたのは、彼らが中学を卒業してからの山元村の状況です。
時代は高度経済成長の手前。ほとんどが村を出てゆかざるを得ない中、佐藤藤三郎という人が村に残って農業をします。
彼も、朝働いて高校に行き、夜も働いて家計を助けるという生活を続けます。
この生活に、農的生活の楽しさなどは、伺えません。
楽しいこともあったのでしょうが、この本を読むと悲惨な境遇が手に取れて、自分たちのしていることは結局豊かな時代の副産物なのかもしれないな、と思います。
もし、農業だけで現金収入を得て生きていかなければならないとすれば、かなり苦しいでしょう。
Yaeちゃんは、全国を歌って回っていますが、田舎には若者がいないというのが実感のようです。たまたま鴨川が、都市からのアクセスもよく、サーフィンもできて田舎暮らしもできるという理想的な場所なのかもしれません。
増刊現代農業に掲載される若者たちが活躍している地域も一部なのだろうなぁ。
自分たちのやっていることに、一瞬戸惑いを覚えてしまうほどの状況を知ってしまいました。
無論、それでくじけているわけではなく、時代の副産物であろうが、恵まれた地域であろうが、与えられた場所で全力を尽くすのが本分です。
地の利は、得ようとしても得られないものなのだから、それを十分に生かさなければならない。
さぁ、今日は電機連合100人の稲刈りです。

人生の疑問に答えます

養老孟司・太田光 人生の疑問に答えます

養老孟司・太田光 人生の疑問に答えます

仕事の合間に、思わず読んでしまいました。
人生の様々な悩み、仕事や家庭、夢の実現などに対して養老孟司氏と爆笑問題の太田光氏が思いを語っています。

印象に残ったのは、「人はなぜ悩むのか?」についての養老先生の考えです。
養老先生によれば、人間が悩む一つの原因として、脳の構造が右脳、左脳に分かれていることがあげられるそうです。
右脳と左脳は、基本的に正反対のことをやってて、例えば男性の場合、通常、左脳は意識脳で言葉を使い、右脳は無意識脳で言葉にはなっておらず、左がやっていることに対して、右はちょうど正反対のことをするということになっているそうな。
なるほど・・・。このように考えられるのですね。

そして、『中庸』という言葉の説明が興味深いです。
長いですが、すみません。

”「中庸」という言葉がありますが、何か物事をうまくやるためには、どちらか一方に偏るのではなく中庸でなくてはなりません。その中庸を理解するためには正反対のことを評価し、秤量しておかないと、中庸を導きだすことはできません。つまり、両極端がわからなければ中庸はわからない。だから、その両極端のことを左脳と右脳がそれぞれやって、中庸を見極めているんです。”

だから・・・?

”大事なことほど迷う、悩むのは当たり前なんです。言い換えれば、迷わないでやった行動は覚えていない。つまり、記憶に残ってないわけで、記憶に残るのは悩んだことになるわけです。”
“そこで重要なことは、正しい結論を出せるかということではなくて、そうした悩みを考え、それに耐えぬく脳の強さなんです。僕はそういう頭を『頭丈夫』というんだけれど、こうした悩みに負けない力が重要なのです。”

脳の強さか。どういうことをいうんだろうと読み進めると、
”いずれ決断しなくてはならない時期がくれば、決断せざるを得ないわけです。そこでも決断できないでいるということは「決断しないでそのまま過ごす」という決断をしたことになる。それだけのことです。そして、どんな決断をしたにせよ、結果は自分で負わなければいけないことには変わりはありません。”
といっています。
つまり、脳の強さというのは、決断に対して責任を負う自分の強さ、と理解すればよいのでしょうか。
ある意味、非情ですね。当たり前のことなんでしょうが。

そういえば、私は養老孟司氏の諸著作、例えば

唯脳論 (ちくま学芸文庫)

唯脳論 (ちくま学芸文庫)

人間科学

人間科学

「都市主義」の限界 (中公叢書)

「都市主義」の限界 (中公叢書)

考えるヒト (ちくまプリマーブックス)

考えるヒト (ちくまプリマーブックス)

解剖学教室へようこそ (ちくま文庫)

解剖学教室へようこそ (ちくま文庫)

などを学生の頃に読んで、大きな影響を受けてしまいました。
(はりきって参照してみました。どれも面白いと感じています)
これに、さっきのヒントがあるかもしれません。

そもそも養老先生は、私の雑駁な理解では、
現代は都市社会で、それはすべて人間の脳が生み出したものだから、現代は脳化社会だといえる。
具体的には「ああすればこうなる」と、すべてが予想できるかのように錯覚した社会だ。
しかし、自然はすべて予想できるわけではない。自然は、人間でいえば身体だといえる。
身体を置き忘れたことによる弊害が、現代社会に現れているのだ。
身体観をとりもどすことが、人間にとって重要なのだ。
身体観をとりもどすためには、日本人が里山を維持してきた方法である「手入れ」することが必要だ、と考えているのではないかという理解になります。

本書に、その「手入れ」についてビビッと来た表現がありました。

”子どもには、たえず手を加えては反応を見て、手を加えては反応を見るーこの繰り返しが必要なのです。しかし、手入れするのではなく、教育というプログラムを組んで、そのプログラム通りにやればいい、というのが今の論議なのです。”
”プログラムは、一度動き出せば、あとはほったらかしでも動きますが、手入れは努力、辛抱、根性が必要になります。(拡大は引用者)”

これは、子どもが対象となっている手入れですが、自宅の菜園を思うにつけ、手入れするには努力、辛抱、根性がいると思わざるを得ません。自宅の菜園は、私の修行の場かもしれません・・・・(苦笑)
王国はミツヲ氏に従っていれば何とかなりますが、自宅の菜園はそうはいきません。

本書のように悩みながらも、秋野菜の作付けをして、お世話していこうか。
努力、辛抱、根性で「手入れ」しているうちに、決断に対して責任を負えるように強くなれるのかもしれないな。
養老流にいえば、「どうしたらら強くなれるかなん考えているうちは、まだまだ『ああすればこうなる』の世界から抜けられていないぞ」といわれるような気がしますが。

そんなことを書いているうちに、また雨が降ってきた。
鴨川は不思議と、豪雨が少なかったのですが、今降っているやつは結構強そうだ。
菜園は来週から始めようか。(収穫は遅れるんですけどね。)
まぁ、自家用だから、気負わずゆこう。気になるのは家族の視線・・・(ぎゃあ!)